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難題は乗りこえられる―明けない夜はない―

梅雨空の飛翔 親鳥子の元へ

                

東京地方も梅雨に入りました。なにか、動きが緩慢となる時期ですが、外では、梅雨も構わず活発に活動している鳥がいました。

さて、本題です。

プロジェクトを進め、順調に進捗し、このままいけば大きな成果が出ると期待していたときに、自らの失敗ではなく、会社や社会の状況が変化し、そのプロジェクトの進捗が危ぶまれることがあります。

原因は、自然災害であったり、時の政治上の動きであったり、いろいろありますが、突然のことで、この先どのように対応するべきか対応策が考えられず、思考が止まってしまう状況になってしまいます。

このような突然の環境変化に遭遇した際、どのようにその後の対応をとったらよいのでしょうか。

作家、山本一力氏は、その作品の中で、その点についてヒントを与えています。江戸後期、幕府の突然の政策変更で江戸の町の景気が長期にわたり悪化してしまう状況が生じてしまいました。

そのような状況に置かれ戸惑う商人の中で、主人公を支える商人が、自らも鼓舞する気持ちを込めて。将来に向け対応すべきか、考えを披露しています。

私も、発展途上国での海外事業を進めていたときに、ある国でテロ騒動が起こり、社員の安全性確保のために、その国で進めていたプロジェクトから撤退すべきか否か、悩んだ経験があります。

今回は、山本氏の作品と私の海外事業の経験から「難題を乗り越えるためにどうすべきか」について、事例を紹介します。

明けない夜はない

作家、山本一力氏の作品「つばき」は、江戸後期の下町を舞台にし、深川で新たに一膳飯屋「だいこん」を開いた、店主つばきが主人公の物語です。

つばきは、飯屋の商いの才覚を持ち、客あしらいも評判で、徐々にお店の評判を高めていきます。

「だいこん」が評判を高める中、だいこんの繁盛を妬む他店による大掛かりな騙りにつばきは引っかかってしまいました。

しかし、騙りにあったことが明らかになったときにとった態度を、騙りの対象となった江戸でも有数の回漕問屋を営む木島屋の隠居に認められ、それ以降、木島屋との縁が強くなりました。

何回かの商売を経て、木島屋から大きな商売を受ける約束が取り交わされました。

そんな商売繁盛のさなか、松平定信の寛政の改革の一環である「棄捐令:旗本らが負っている貸金を棒引きにするお触れ」が、通達されました。

今まで、湯水のようにお金を使ってきた札差が、今後散々な目に合うことを喜ぶ江戸市民の中で、つばきは、今後、お金が回らなくなることで、江戸の活気が失われていくことを恐れるのでした。

そのように不安を抱える中で、つばきは、木島屋から申し出のあった大きな商売が難しくなることを考え、自ら木島屋に出かけ、今回の約束を延期することを木島屋の頭取番頭に話すのでした。

つばきの誠実な姿勢を改めて認めた頭取番頭は、今回の棄捐令を受けて、江戸の景気は

向こう四年間は底を這い続けるといいう見解を、つばきに極秘裏に話してくれるのでした。

ここで紹介する一節は、つばきが木島屋を訪れた帰り道、日ごろ世話になっている、室町の表通りに店を構える大店の隠居三人と出会った場面です。

隠居たちは、今後の棄捐令が江戸の町に及ぼす影響、そして、それをいかに乗り切るかを、つばきに語って聞かせます。

 “義兼屋がいみじくも口にした通り、大鳥居の先で(つばきに)出会えたのはご縁だった。

難儀なときにこそ、ひとの値打ちが分かるものだと、義兼屋は何度も口にした。

こんなときこそうろたえるなと、強い口調で話したのは備後屋である。

たとえつらい日が続くことになっても、明けない夜はない

松本屋の声はよく通る。常夜灯の脇を通りかかった者が、つい足を止めた。

木島屋の頭取番頭が言ったことも、室町の隠居三人が口にしたことも、まったく同じだ。

「慌てずうろたえず、時季の到来を待てばいい。間違いなく押し寄せてくる荒波を乗り越えるには、高いこころざしがいる」

八右衛門(木島屋の頭取番頭)の言葉には室町の三人が口にしたことを足してみた。

目の前に迫りくるきつい時代でも、乗り超えられそうな気になった。

(山本 一力著 つばき)

 

危機時こそ今までのやり方を見直し足腰を鍛える

私が、あるコンサルタント会社の社長を務めていたときに、ある発展途上国で発電所建設のコンサルティングを進めていたときの経験です。

そのプロジェクトは、数年をかけて設計から建設までのコンサルティングを実施する私の会社にとっては、海外事業の柱としていたプロジェクトでした。

プロジェクトをスタートさせて2年ほど経過したときに、その国で大規模なテロが発生し、テロ事件は収まる見通しが立ちませんでした。

発生の当座、社員を隣国に避難させましたが、その後をどうするか決めかねていました。

そのうち、親会社から社員の安全性確保のため、プロジェクトから撤退すべき、という意見が再三寄せられ、一時は、すぐに撤退すべきかと思うこともありました。

一方で、このプロジェクトの実施にあたっては、国内の国際機関の支援を受けてきたとともに、当該国の関係機関からも強い協力を受けており、それぞれの機関からも信頼を獲得しており、撤退などという発言はできる状態ではありませんでした。

プロジェクトが佳境に入った段階で、撤退することは、そのプロジェクトの進捗に影響を与えるばかりか、関係機関からの信用を失い、その後の会社の海外事業にも影響を与える懸念もありました。

社員の安全確保のため、撤退すべきか、継続すべきか難題を前に、悩む日が続きました。

結局、事態を注意深くまず見守ることとし、その間に、社員の安全をどのように確保できるか、国内の国際機関および現地政府の関係者と議論を進めました。

その結果、半年もすると、テロの発生の可能性は、プロジェクトを進める地域では小さいこと、安全確保のため、顧客である電力会社のが、警備を厳重にすすることの提案を受け、プロジェクトの継続を選択しました。

結局、その後は大掛かりなテロは発生せず、プロジェクトを完成させることができました。

突然の不可抗力のテロ発生という事態に、プロジェクトの将来が見通せない状況になりました。

しかし、落胆することなく、長い目で将来に備えることで、リスクを最小限にするめどもつき、テロ前に考えていなかった事業の進め方に対し、あらためて基礎を見直す機会となった経験でした。

まとめ

不可抗力の事態の発生で、自らは何も問題を起こしていないにもかかわらず、プロジェクトを取りやめなければならない状況に陥ることは、これからの時代、一段と多くなることともいます。

そのようなときこそ、事態が改善していくときに備え、自分の足場を固め、「明けぬ夜はない」ということを肝に据え、じっくり落ち着いてその急激な変化を見据えている姿勢が必要かと思います。

そして、そのような姿勢を貫くことができるのは、プロジェクトのリーダーもしくは、会社のトップであり、その責任は大きいと思います。