上司、リーダーの役割

未熟者の過信の弊害

家の坪庭に咲く芙蓉の花が満開です。朝日を受け、艶やかな姿を見せてくれています。 

        日に向かい 芙蓉三輪 婀娜に咲き

さて、本題です。

仕事を進めているときに、難題に遭遇することはよくあります。このようなときに、その難題を解決するために取った手立てがうまくいかいことも多々あります。

その原因の一つとして、その課題に向き合うだけの技術なり、能力がないのに自らの過信から、対策を講じて失敗することがあげられます。

作家、山本一力氏は、その作品で、長い間厳しい鍛錬を繰り返してきた弟子に対して、その師が語った言葉の中に、未熟者と技量を身につけたものの難題に対する姿勢のあり方の違いについて語っています。

私も、若い時に従事した建設現場で、技術不足を知らず、難しい課題に対応し、過信からトラブルに遭遇してしまった経験があります。

今回は、山本一力氏の作品と私の経験から「未熟者の過信の弊害」について事例を紹介します。

未熟者は過信から相手を見くびることに

山本一力氏の著作「大川わたり」は、江戸後期の江戸下町を舞台にした作品です。

主人公、銀二は若いときに大工の腕を見込まれたものの、ある事件をきっかけに賭博に手を染めるようになり、20両という借金を抱え、賭場の親分に借金を返すまでは大川を渡ることを禁じられました。

その後、親分との約束を守り、大川の反対側の町で大工仕事を続けます。

賭博がらみで弱った心身を改め、どのような修羅場に出会っても、気持ちがぶれない自らの度量を鍛えることを決意し、その地域で高名といわれる師範のいる剣術道場に入門を乞いました。

師範である、堀庄之助から入門の許可を得た銀次はそれ以降、昼には職人として働き、夕食前に道場で木刀の素振りを五百回繰り返すことを約束するのでした。

小説では、木刀の素振りを毎日欠かさず続ける姿を、その後師範に認められ、銀次は、師範の勧める、江戸でも大きな乾物問屋の手代として働くようになります。

手代として働き始めてしばらくすると、乾物問屋を巻き込んだ事件が発生しました。この危機に、銀次は、師範をはじめとした人たちの協力も得て、それまでの剣術の修練で鍛えた心と技でその事件を解決していきます。

ここで紹介する一節は、銀次が剣術の修行を初めて一年ほどが立ち、初めて師範との立会いに向かったときの、銀次が取った行動と、その姿見た師範の言葉です。

(師範)「竹刀を持ちなさい」

初めて道場で竹刀を持てたことに、銀次は気を昂らせた。しかも堀正之介(師範)が稽古をつけてくれるのだ。

竹刀を手にした銀次は、素振りの要領で正之介の正面に立った。

———-

竹刀の先に大きな目玉がついている。動けば襲われる—– 。

これが怖くて銀次の足が凍りついた。動けないのに汗が出た。息が上がり、立っていられなくなった。銀次が竹刀を落とした。

———-

「今日限り、修行は無用だ」

「えっ—–そんな—–」

銀次がうろたえた。

「取り違えるな。おまえは十分に体得したゆえ、このうえの修行は無用だと言ったまでだ」

銀次にはわけが分からない。正之介を見る目がまん丸になっていた。

「おまえの身が竦んだのは、それだけ相手の技量が見抜けたからだ。心得のないものは、わしに向かってきて打ち斃された」

「——–」

「相手を見切るのも大切な眼力だ。これだけの短い間でよくぞ身につけた」

正之介の口調が優しいものにかわっている。

「おまえは剣術の腕ではなく、度胸を学びたいと申した」

「はい——–」

「相手を見切られれば、あとの仕様もある。未熟なものほどおのれを過信し、相手を見くびることで大けがをする」。

 (山本一力著 大川わたり)

 修行を通して相手の力量をしっかり把握することができる能力を、未熟者であった銀次がしっかり身につけたことを、師範は見て取るのでした。

 

未熟者の過信がトラブルを招く

私が、30代にダム建設に従事していた際に、構造物の設計を担当し、構造物が完成し、その後、水を貯め始めたときにその構造物にトラブルが発生したときの経験です。

ある構造物の設計から工事監理まで担当していました。

ほぼその工事も完成し、世界でも比較的珍しい工事だったので、よく人が調査に訪れてきました。

私はその当時は、もうこの構造物のことなら設計から施工まで何でも知っていると思っていましたので、来る人、来る人、その質問にはさらさら答えていました。

そのような時、ある人が「こんなにうまくいくことがあるのだろうか。何か忘れてしまっていることはないのか」というようなことを話しているのが気になりました。

しかし、出来上がっていく構造物を見るにつけ、そのようなことはすっかり忘れてしまいました。注意を喚起してもらったものと思いますが、その時は何にも気が付きませんでした。こんなことも慢心のなせる業だと思います。

いよいよ水を貯め始めたところ、いろいろ予想もしていなかったことが起こり始めました。そして、最初に、そして最後までわれわれの前に立ちふさがったトラブルが、その人が指摘してくれた所で起こったのでした。

トラブルは、何とか解消し、その後の湛水も無事に進みました。しかし、その中で、自分が、建設中に専門家のような形で、あのように流暢に来訪者に対して説明していたことを恥ずかしく思う毎日でした。

人に説明する以前に、自分は技術的に未熟者であると考え、もっと現場を見て、成すべき事を成す。そして、人の指摘は素直に聞き、得るものがあれば直ちに従う。

それでも心配な点があれば事後の備えをして最後の時を迎える。こういった大切さをこの経験から教えてもらいました。

まとめ

 山本一力氏が小説の中で書いているとおり、人の技量を見切ることの大切さは、人ばかりでなく、自然の驚異に対しても当てはまるものだと思います。

技術的に未熟でありながら、難しい構造物の設計をし、思いが至らず、トラブルを起こしてしまうことは、多くの人が経験していることであると思います。

難しい課題に遭遇した場合、自分の力量を過信することなく、どれだけその裏に控える人、もしくは自然の力を理解することができるか、その難題を的確に応える球の基本かと思います。