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サラリーマン人生を充実させる-会社生活43年の経験からの3つのヒント―

会社生活では、慣れ親しんだ職場からの異動、さらには転職など、節目節目でいろいろ進むべき道を、これまでの経験や今後の生活なども考えて決断しなければならないときがあります。

そして、ある道を選択した場合、その選んだ道が正しかったかは、後から振り返っても比較できるものがなく、評価が難しいことかもしれません。

作家、宮本氏は、その著書の中で、30年間のサラリーマン人生を振り返った主人公お話を書いています。

振り返ったとき、いろいろ転機がある中で、自分が判断し、歩いてきた道がどのようなものであったかに思いを馳せる主人公の姿です。

私も、30代中ごろに、職場を変る機会がありましたが、ある理由でその異動が流れた経験があります。

そのときは残念な思いをしましたが、現職にとどまったことで、その後に得るものが多く、43年間のサラリーマン生活を振り返り、自分なりに面白い会社生活を送れたな、といった満足感があります。

振り返ってみて、まあ、よいサラリーマン生活であったと思うためには、日々どのように暮らすことがよいのでしょうか。

私の43年間の会社生活の経験から参考になる事項を紹介します。

踏み外すことがあっても光っている会社生活

小説「草原の椅子」は、阪神淡路大震災後の阪神地域に暮らす50歳のサラリーマンで、妻と離婚し、娘と暮らす遠間憲太郎を主人公にしています。

震災の衝撃がまだ残っている中で、遠間は、パキスタンの桃源郷といわれているフンザを訪れました。

そこで出会った長老から遠間に告げられた、「潔癖」「淫蕩」「使命」の3つの言葉が、その後の遠間の人生に何らか影響をおよぼしながら話は進んでいきます。

小説は、2部に分かれており、ここで紹介するのは下巻です。

下巻では、母親に虐待されて育った少年、啓介の世話を手伝うこととなった憲太郎が、次第に啓介へいとおしさを感じるようになり、自らが育て親になる決意するまでが描かれています。

カメラメーカーの営業部門次長として忙しい夏場を過ごし、やっとのことでとれた休暇を利用し、前から訪れることを願っていたタクラカマン砂漠に、親友の富樫、心寄せる女性とともに啓介を連れて旅に出ます。

ここで紹介する一節は、いよいよ旅に出かける前に、憲太郎が、自分の30年間の会社生活を振り返った場面です。

(遠間憲太郎)光工学の技術者として入社したのに、ある日突然、営業マンの道に押し出され、今日に至っている。

けれども、サラリーマンの自分にも、幾度も転機はあった。

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その三十年近い歳月のなかには、目に見えない幾つかの扉が、自分の前に立ちはだかった。

扉を押し開くと、暗闇の奥に幾つもの道が続いていた。右の道をいくか、真ん中の道にするか、左の道を選ぶか——。

その選択には、さまざまな自分の判断もあったにせよ、誰かにうしろから押されたのか、あるいは自分の人生をつかさどる何者かの意志であったのか、もしくは偶然、もしくは必然であったのか、自分は左の道を歩き出した。

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また扉があり、また幾筋もの道があり、また扉があり—–。

そうやって、ふと振り返ると、うしろに自分が歩いてきた道が、曲がりくねりながらつづいていた。こんなに遠くへ来たのか、と茫然となるほどに、その道は長く光っていた。

どっちの道を行くかの選択が正しかったかどうかは、もはやわからない。けれども、自分が迷いながらも、さまようように歩いてきた道は、自分が作ったのだ。そして、それは振り返ると、ところどころ踏み外した跡はあっても光っている——。

引用:草原の椅子 下巻

会社生活を充実させる秘訣

自分の43年間の会社生活では、入社直後に従事した建設現場の担当職から本社課長を経て、海外事務所の所長、そして会社の社長を経験しました。

その中では、今までの職務とは全く異なった職場への突然の異動も何回かあり、多様な職場と職位を経験することになりました。

そのような多様な職場を経験しましたが、それぞれの職場が私にとって有意義であり面白いものでした。

また、このように多様な職場に就くことで、多くの会社内の仲間、上司、そして社外の関係者と知り合うことができ、それらの人がどのように仕事に打込んできたかを見ることもできました。

私の経験と知り合った人の様子から、会社生活に満足するためにどのように生きていくことが、サラリーマン生活を充実したものにするかが見えてきた気がしています。

実行すればよいと思う事項は、いろいろありますが、大切なこととして以下の3点があげられるのではと考えています。

  • 仕事をやり切る
  • わくわく感をもってしごとする
  • 前向きに行動する

具体的な経験談を紹介します。

仕事をやり切る

自分自身が経験したこととして、最も大事なことが、“仕事をやり切る”ではないかと思っています。

入社してすぐにダム建設の現場に着任しました。

その現場には、結局10年以上滞在することになりましたが、ダムを建設するための調査から設計、施工まで建設にかかわる一連の仕事を経験することができました。

さらに、ダムに水を貯めるという、ダム建設の締めくくりの仕事にも携わることができました。

ダムを建設するという仕事に就き、長い山での生活が続きましたが、調査という最初のステージから、水を貯めるという最後のステージまで従事することができました。

ひとつのプロジェクトをやり切ったという経験は、10数年の長いサラリーマン生活を補って余りあるほどの充実感を得るものでした。

一ヶ所の職場にいることが長かったのが私の事例とすると、2,3年で職場を変っていく仲間たちもいました。そのような人を見ていると、就いた職場で充実したものを感じる人と感じない人がいました。

それらの人の行動を見ていると、その仕事をほんとうに興味深く実施している人か、何となく仕事に流されてしまっている人かに分かれるようです。

そして、仕事に充実感を持って取り組んでいる人の仕事ぶりを見ると、常に、自分でその仕事をやり切るという意識を強く持っている人たちでした。

そして、そのような人は最後には、立派な成果も出す人でした。

このように、自分に課された仕事をやり切るという意識を持って仕事に取り組むことが、サラリーマン人生で充実感を得る大切なことであると思います。

わくわく感をもって仕事する

ある会社の社長になったときに、社員の満足度を調べたことがありました。

アンケートの結果を見ると、一般の会社との比較でそれほど大きな差がなく、若干満足度が高い項目も見られました。

ただし、「仕事を興味あるものとしてとらえているか」という問いに対しての結果が予想よりも低いものとなりました。

このため、さらに調査をしていくと、仕事のやり方が受け身的で、自ら進んで取り組もうとするやりかたになっておらず、わくわく感が持てていない社員が多いことがはっきりしました。

このため、いかに社員にわくわく感をもって仕事をしてもらうか、いろいろ検討しました。

基本的な方針として、社員自らが考え、判断し、行動できる仕事のやり方を進めることを掲げ、推進しました。

2年ほど経って、再度、社員の満足度調査を実施した結果、この“わくわく感をもって仕事をする”という項目が見事に上昇しており、喜んだことを覚えています。

一つ一つの仕事を“わくわく感を持って取り組む”ことが継続できれば、サラリーマン人生が、より充実したものになると確信しています。

前向きに行動する

40代半ばを超えるころから、管理職なり、経営者になって、部下に仕事を依頼する機会が多くなり、部下との接触が増えていきました。

ある仕事を部下に依頼したときの経験です。

この仕事が、その部下にとって難しいと思うような場合に、部下の対応が大きく2つに分かれることにあるとき気づきました。

ある人は、まず、「わかりました。いつまでに処理すればよいですか」と、前向きな返事をしてくれます。

一方で、やれない理由をこまめに述べ、何とかその仕事を避けようとする人がいます。

仕事が始まっても、その姿勢の違いはどうしても現れてきます。

前向きな人は、課題が出てきても、何とか処理しようと、あらゆる手を考え、予定内に仕事を処理してしまいます。

そして、その仕事ぶりを見ていると、まさに前述した“わくわく感”を前面に出しているのでした。

そのような人に、仕事が終わった後で話を聞くと、必ずといっていいほど、「挑戦しがいのある面白い仕事でした」という返事が返ってきました。

前向きに仕事に取り組むことで、仕事が終わったときの充実感は大きいものがあり、このように仕事を続けていれば、サラリーマン生活の最後に、達成感を感じることができるのではと考えています。

まとめ

サラリーマンとして、30年、40年と会社生活を送るのは一般的なことと思います。

人生の半分以上をこのように会社とともに暮らすのであれば、サラリーマン生活が終わり、振り返ったときに、小説「草原の椅子」の主人公のように、「ところどころ踏み外した跡はあっても光っている」といった感想を持ちたいものです。

今回紹介した、3項目がお役に立てればと強く思っています。