モチベーションをアップしたいとき

仕事に誇りを持つことが充実感の源-43年の会社生活からの教訓-

最近はあまり見かけませんが、30年前には自分の仕事に誇りを持ち、その分野では人に負けないといった職人肌のサラリーマンがまだまだいました。

その人の仕事をする姿を見て、仕事に臨む姿勢、やり方を学んだ人は私をはじめ多くいるのではないでしょうか。

作家、高田氏も、その著書で主人公が、仕事一筋に打込んできた職人の矜持に触れ、その人の能力の高さを改めて思い知る様子を描いています。

私も、若い時の建設現場にいたときに、親分肌の上司から、現場の動かし方や請負の人との付き合い方などいろいろなことを学びました。その上司の背景にあったのは、自分が現場を動かすといった誇りであったと思っています。

今回は、高田氏の作品と私の建設現場での経験から「仕事に誇りを持つことの大切さ」を紹介します。

強い誇りを持つ職人の仕事への強い思い

小説「あきない世傳金と銀」は、江戸時代中期の大坂が舞台です。主人公の幸は、いくつかの試練を経て、大坂天満にある呉服商「五鈴屋」に奉公に出ます。

熱心に働く姿勢とその才能を認められ、五鈴屋の嫁に迎えられます。

幸は、主人とともに商売に精を出しますが、旦那がなくなり、その弟に嫁ぐことを繰り返します。

一番に気を許した旦那も若くして亡くなり、幸は、自らが主人となって五鈴屋を盛り上げていきます。

いろいろ商売の上で縛りのある大坂の店を本店として、自らは江戸に出て商売を始めることを望んでいました。

そして、大坂の店も軌道に乗り、いよいよ江戸に店を構えることができました。

ここで紹介する一節は、江戸での商いを確立するため、新たな商品として今までにない染め物技術を取り入れることに苦労しているときの話です。

新たな染め物を作り出すため職人を探し始め、「この人しかいない」と強く願った染め物師、力藏を見つけました。しかし、その職人からは、過去のしがらみを理由に、幸の依頼を強く断らるのでした。

「今朝方、嬶からあらましを聞きました。私は小紋染めとはもう関わりを持たねえが、腕の立つ型付師なら心当たりがある。紹介させてもらいますぜ」
「だが、私は二度と型付師に戻るつもりはないんでさ。こればっかりは、死んだお袋に化けて出られても、曲げられねえんです。どうかもう、この話、ここまでにしておくんなさいまし」
「五鈴屋さん、堪忍しておくんなさいまし」この通りです、とお才(型付師のかみさん)は畳に額を擦り付けて、涙声で詫びる。
「あれがあの人の矜持なら、もうわたしは諦めますよ。私の勝手な思い込みで、色々と掻き回してしまって、五鈴屋の皆さんにはお詫びの言葉もないです」

出典:高田 郁著 あきない世傳金と銀 第七編

このように一度は断られた主人公、幸でしたが、強い矜持を持つ人こそ頼る技術を持つ、という信念のもと、幸は、一縷の望みをかけてその職人に染めを頼み続けます。

これが最後の頼みとして、幸は遠く伊勢の職人からわざわざ取り寄せた型紙をもって、力造のもとを訪れました。最初は、強く否定していた力造でしたが、その伊勢型紙のすばらしさを見、その型紙をつかって染め物に打込もうと決意するのでした。

お才が傍らにしゃがみ込んで、幸の腕を取り、言葉は発しないまま、亭主の足もとを示す。

吐く息が。ああ、との声を伴った。

———-

刹那、力造は蓋に覆いかぶさるようにして、四つ這いになった。

遠い遠い伊勢の白子で、型彫師の梅松によって、精魂込めて彫られた型紙。

神業に近い腕前、それに気の遠くなるほどの根気を費やし、精進に精進を重ねて生みだされる型紙、その孔のひとつひとつから「どうか、どうか、美しく染めてほしい」との命がけの懇願が伝わってくる。

力造の下顎が戦慄(わなな)き始めた。何とか堪えようとして噛みしめた歯が、がちがちと鳴っている。

力造は土間に置いた手を前掛けでごしごしと擦ってから、やっと巡り合えた愛しいひとに触れるように、震えながら型紙に触れた。声にならない吐息が漏れる。

ああ、届いたのだ。

型彫師の想いが、型付師の心に届いたのだ、と幸は確信した。”

(高田 郁著 あきない世傳金と銀 第七編)

自分の誇りを持っている人はなかなかに思いどおりには動き出しませんが、自分がこれだと思った仕事に対しては、人一倍の集中力を示します。

私が建設現場で出会った上司も同じように仕事に誇りを持った人でした。

誇りをもって仕事に打込む上司の充実した姿

まだ私が30代のころに在籍した建設現場での経験です。

そのころ、建設現場には、必ず現場のたたき上げの技術者がいました。私の現場にも鬼軍曹的な存在の人がいました。

その人は、40代でしたが、いくつかの建設所を経験し、それぞれの建設所で現場を動かすことができる人、ということで頼りにされていました。

現場は、朝八時には工事が始まりますが、その人は、前の晩、いくら遅くまで酒を飲んでいても、必ず事務所の中で一番に現場に立ち、現場を一通り見たうえで、建設を担う建設業者に指示を出して帰ってくるのでした。それを自分の必須の任務という強い誇りを持っていました。

そのようなこともあり、今、現場がどのように動いているか、また、今の現場の課題は何かを誰よりも把握している人でした。

それだけに、その上司は、毎日、毎日が充実した仕事ぶりでした。

このため、役職は課長の下でしたが、課長も所長も彼の対応を信頼していました。

指摘は鋭く、甘い言葉は請負の人も、我々に対しても掛けることはなく、的確に指示を出し、ダメなものはダメとはっきり言う、まさに建設現場の鬼軍曹でした。

若手が鬼軍曹から学んだこと

私を含め、大学を出たての技術者は、理論的なことは理解しますが、現場をどのように動かすか、請負業者の仕事の進め方は今のままでよいか、工程は確保されているかなどわからないことだらけで、学ぶべきことが多くありました。

そのようなことは、教科書にも書いておらず、まず、現場に出て、その鬼軍曹が、何を気にしているかを読み取り、どのような対応を図るかを日々学ぶのが、最も効率の良い勉強方法でした。

また、鬼軍曹は、任せることは任せます。ただし、予定通りにいかない場合は、徹底的に叱られます。

こういったことをするうちに、何年かすると我々、若手技術者も、一応は現場を動かすことができるようになりました。

まさに“建設現場は俺が動かす”という気概を持って仕事に打込む上司の背中を見、我々若手は、いかに仕事を充実したものにするかを教わった気がしています。

まとめ

私が現場でお世話になったような鬼軍曹は、今ではいないか、もしくは少数になってしまったと思います。

しかし、私が建設現場で経験したように、自分の能力に誇りを持って望む姿勢が、充実感もしくは達成感を与えてくれることは確かな事実であると思います。

個人にとっても、また企業にとっても周りの環境の変化が激しく、一つの仕事に集中することが難しい時代ですが、せっかく仕事をするのであれば、充実感を持って取り組みたいものです。

そのためには、自分が誇りをもって、担う仕事に取り組む姿勢が大切なのではないでしょうか。