上司、リーダーの役割

部下の指導で意識すべきポイント-思い込み禁止他-

人を指導することは大変難しい問題だと思っています。また、よい指導者に合えば、持てる資質を存分に引き出してくれるものの、必ずしもそのような名伯楽は多くないようです。

よく「名選手、必ずしも名伯楽にあらず」と言われます。ある道に熟達した人が、必ずしも、人を上手に育てることはないということを言い表しています。では、なぜそのようなことが起こるのでしょうか。

指導する人が、その道を知り過ぎていて、指導している人もそんなことは知っているはず、という思い込みがあるのではと思っています。

作家、辻堂氏はその作品で、剣術に優れた父親が、息子に指導を始めたものの、なかなかに息子の技術が向上せず、指導がうまくいかない事例を紹介しています。

また、私も、学生時代に家庭教師をしていたときに、同じ間違いを犯していたことを覚えています。

また、私が社長を務めていたときの人材育成制度の経験から、人を教えるということについて、やってはいけないことが何点かあり、また、どうしても指導に向いていない人がいるようです。

今回は、辻堂魁氏の作品と私の会社経験から「部下を指導するときに気を付けることとして、思い込みの他」について紹介します。

“わかっているはず”という思い込みが指導の弊害に

小説「黙(しじま)」は、江戸時代中期を舞台に、小塚原小伝馬町の牢屋敷での死刑執行の介錯を生業とする主人公、別所龍玄が、その仕事の中にあって清々しく生きていく様を描いた物語です。

龍玄は、その姿と若さにたがわず、19歳で父親からこの任を継ぎ、死刑執行時の手際のすばらしさが評判になるほどの剣の使い手となっていました。

14,5歳の時に、自分の天賦の才を開花させた龍玄ですが、剣の修業では、幼い時につらい経験をしていました。

剣術に優れた父親は、息子が自分の後を継ぐものと心に決めており、早くから剣の稽古を始める必要があると考えていました。

このため、自らが指導者となって、稽古を始めました。しかし、息子、龍玄は、なかなかに上達せず、そのうちに、父親も諦め、稽古もうやむやになってしまいました。

その後、龍玄が9歳となり、父親の生業を継ぐうえでも、剣の修業を始めなければならない年齢になりました。

人の勧めもあり、その当時一刀流で名を馳せていた大沢道場に入門し、道場主の優れた指導を得て、天賦の才を磨くこととなりました。

ここで紹介する一節では、幼い息子に対する父親の指導法が、なぜ息子の技術の向上に寄与しなかったのか、その理由を明確に述べています。

勝吉は、自分が親から継いだ刀剣鑑定の生業を、当然、倅の龍玄も継ぐものと思い込んでいた。父親と倅とはそういうもので、それが正しき人の道なのだと、疑っていなかった。

このままにしてはおけん、と勝吉自ら龍元に剣術の稽古をつけ始めた。

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ところが、勝吉の剣術の稽古は思いどおりにいかなかった。

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勝吉のつける稽古は、幼い倅のそばまで近づき、父親らしく、倅にどこまでも寄り添う辛抱強さに欠けていた。

たとえば、木刀を真っすぐ振りかぶり、真っすぐうちこむ素振り一つにしても、素振りが右へわずかによれていたとき、利き手の右腕と左腕の力に差があるため、左腕に力をつければよいという、筋道だった稽古のつけ方には、思いいたらなかった。

勝吉は、自分がわかっていれば、幼い龍元も当然わかっているものと、思いこんでいた。だから、倅のできない理由がわからなかった。

なぜできぬ、情けない、この子にはもって生まれた資質がないのか、などと落胆し、勝吉の方が先に根気負けして、稽古をつけるのに厭(あ)いてしまったのだ。

それで、勝吉の稽古も三月余でうやむやになった。以後は、大沢道場へ入門するまで、流言は、剣術の稽古を一切しなかった。

(辻堂魁著 黙(しじま))

親には稽古の指導を諦められてしまった龍玄でしたが、9歳の年に大沢道場に入ると、その天賦の才を開花させました。

道場主をして、「龍玄の剣の腕は天稟にて、龍玄以外にはないもの」と言わしめたほどにその能力を高めたのでした。

父親が取った態度のように、自分がわかっているのだから息子もわかっているはずといった、相手を思いやることのない指導では、その天賦の才にも気づかないといった事例でした。

自分のペースで教えることが指導の弊害に

もう50年も前になりますが、学生時代に家庭教師をしていました。

大学の友人も同じように家庭教師をしており、教えている子の学力がどのくらい自分の指導で伸びたかを話すことが結構ありました。

話をしていると、どうも同じ期間教えているのに、私が教えている子の学力の伸びが遅いということがわかってきました。

一人、二人家庭教師をしていたときには、それがどういうことで起こっているか気づきませんでした。しかし、息子が中学生になり、数学を教えているときに、自分の指導の弱点に気づきました。

息子が抱える問題については、何でこんな問題がわからないのか、といった意識がまずありました。

このため、息子がその問題のどういった点を難しいと思っているかといった点についてはまったく思いが至りませんでした。

いくら教えても、息子がしっかりと理解した様子にないことがはっきりしてきたため、これでは教えても、ということでいつしか教えることもなくなりました。

まさに、龍玄の父親が、息子に剣の稽古をつけていたときと同じことをしてしまっていました。

今回、小説「黙」を読み直し、人を指導するためには、まずその人にしっかり向き合い、寄り添って、当人の気持ち、能力をまず理解してから始めることが大切であると思っています。

この経験は、その後、部下を持つ立場になったときに、人を育成するという難しい問題に対応するうえで、大いに役立ちました。

指導で意識すべきポイント

私が、土木建築関係のコンサルタント会社の社長を務めていたときの経験です。

技術系のコンサルタント会社ということで、高い技術力を持つ部門がいくつかありました。その部門で技術を磨いてきた人たちも、50代を超えるようになり、若手にその技術を継承する必要がありました。

それまで、とくに系統立っての技術継承方策はとられていませんでしたが、技術を持つ人があと10年もすれば退職していくという懸念もあり、すぐに手を打つ必要があり、人材育成制度と名付け、活動を開始しました。

このため、グループマネージャを部下の指導者としました。そして、部下の技術の達成度合い目標にし、スケジュールを決めて取り組むこととし、半年ごとに、非指導者の達成度合いを評価することにしました。

1年ほどこの人材育成制度を進めていると、部下の成長の程度に差がみられることがはっきりしてきました。

その原因をアンケート調査、指導者との面談などを通じて調査しました。

大きな原因の一つが、指導者にあることがはっきりしました。

その指導者の特長として、4点あげられました。

① 部下の話を聞かない:教えている人の話を聞こうとしないで一方的に話を進める

② 思い込みの強すぎ:もうそのことは知っているはずという思いから部下の理解度を考慮        しない、もしくは、部下が疑問と思うことについて部下に考えさせず、すぐに答えをだす

③ 本気度不足:自分の仕事が忙しいと言って指導することを二の次に考える

④ 性格的に指導に向いていない

このようなことが明確になったことから、その後は、指導者についても研修を行うなどで、これらの点の改善に取り組みました。

また、どうしても指導に向かないマネージャーについては、指導者の交代を実施しました。

まとめ

人を指導し、思い描いたように成長してもらうことは難しい問題だと思います。

しかし、指導する人が被指導者の立場を考慮して指導することで、両者の信頼感が増し、非指導者の成長が歴然としてくるものであると思います。

また、指導する人は、前述の指導においてやってはいけないこと理解して、進めてもらいたいと思います。

これから指導を受ける可能性のある人は、十分その指導者の特質を確認してから始める必要があると思います。隆玄の父親や私のように、自分ありきでなく、指導する人に寄り添う人を見つける必要があると思います。