上司、リーダーの役割

人材育成の成功のポイント-長期視点と指導者の質-

企業が20年後、30年後の成長を目指すうえで、社員の人材育成は欠かせないものです。

また、社員の充実感を増す上でも、人材育成は欠かせないものと思っています。

では、どのような視点で人材育成を進めていけばよいのでしょうか。

作家、浮穴氏はその著書「楡の墓」の中で、人材育成に触れています。

一点目に、長期的な視点で人材の育成を考えること。二点目に、技術を伝えていく人、いわゆるトレーナーの質と指導する力量も大切であることが大切と書いています。

私も、ある会社の社長となってから、継続的な会社の成長を掲げて経営を進めてきました。

そして、継続的な会社の成長にとっては、人材育成が欠かせないことと考え取り組んできました。

その中で経験したこととして、浮穴氏が指摘する点のほか、人材育成の対象となる人が自発的に、自ら成長したいという意思を持てるようにすることも大切であることを学びました。

今回は、浮穴みみ氏の作品と私の社長経験から「人材育成を成功させるためのポイントとして、長期視点と指導者の質」について紹介します。

あのクラーク博士いわく「人材育成は長期的な視点が大切」

小説「楡の墓 七月のトリリウム」の舞台は、明治初期の札幌の開拓地です。

明治初期、政府は北海道の開拓を進めるうえで、今後の北海道開拓の指導者となる人材を育成するため「開拓使仮学校」を明治8年に設立し、翌年「札幌学校」と改称し、札幌に移転しました。

日本政府は、札幌学校にアメリカからマサチューセッツ農科大学学長のウィリアム・スミス・クラークをはじめとした3名の指導者を招き、本格的な教育を始めることにしました。

時の開拓長官である黒田清隆は、「札幌学校」の成功に向け、運営責任者として強い思いを持っており、同じく、札幌学校に期待を寄せるクラーク博士と教育方針について熱く語り合うのでした。

(クラーク博士)—–黒田さん、教育の成果が出るまでには、時間がかかる。だが往々にして、世の中は悠長に待ってはくれない。特に近代合理主義というのは、手っ取り早い成果ばかりを求めて、役に立たないとみなせば、容赦なく切り捨てる。

十年たてば綺麗な花が咲くのに、草ばかりだと言って、三年で切ってしまうのです。その植物は土の下でじっくりと栄養を蓄えて、いつか咲こうとしているというのに——。我がマサチューセッツ農科大学でも、やはりそのような傾向があるのです。成果が上がらないなら、役に立たないなら、そんな大学はいらない、補助金は出せない——情けないことです。

クラークは、学校経営に苦悩する学長の顔を垣間見せた。

—–私の目標とする教育は、すぐには結果が出ないかもしれない。しかし教育とは、本来そういうものではありませんか。根気よく土地を耕し、種を蒔き、収穫を待ち——考えると、教育と農業とはとてもよく似ています。

(黒田長官)—–おっしゃる通りです。

黒田は深くうなずいた

(浮穴 みみ著  楡の墓)

人を教育するときの精神を見事に言い切っているクラーク博士の言葉だと思います。

人材育成は長期視点と自発的意思が大切

たが、一方で、大きな課題も見えてきました。

各社員それぞれが、カリキュラムに乗っ取り能力の向上を図っていましたが、個人ベースで取り組みの成果が異なってきました。

この原因を探るため、対象者へのアンケートや個人面談を行いました。

私が、土木、建築関係のコンサルタント会社の社長になったときの人材育成に関する経験です。

社長になったときには、会社としての明確な人材育成方針はありませんでした。

会社のトップが変わるたびに、いろいろ方針が出され、手掛け始めてはいましたが、長続きせず、はっきりとした成果は認められていませんでした。

会社は、技術系のコンサルタント会社であり、人が財産でもあるため、10年、20年と会社が成長していくためには、人材育成をどのように進めるかが喫緊の課題でした。

人材育成計画を作るうえで、まず学ぶべき項目を大きく、会社にとって必要となる基本的な能力と、各専門技術に特化した能力に仕分けしました。

これを基本として、会社に入ってからの10年間で身につけるべき能力を項目として定め、これら項目を年度展開することで、人材育成計画書を作りました。

この計画書を基に、個々の社員ごとにカリキュラムを立て、実施に移りました。

2年ほど経って、基本的な能力は身についてきましたが、一方で、大きな課題も見えてきました。

各社員それぞれが、カリキュラムに乗っ取り能力の向上を図っていましたが、個人ベースで取り組みの成果が異なってきました。

この原因を探るため、対象者へのアンケートや個人面談を行いました。

その結果、わかったことが、与えられたカリキュラム内容が、画一的であり、社員にはやらされ感が強いことがはっきりしました。

このため、当初の計画を見直し、基本的な能力以外は、個々の対象者に寄り添った計画書を作成することにしました。

大事にした点は、その内容について対象者の理解を得ておくことでした。

この方式に基づいて人材育成を進めていますが、対象者の自発的な行動がみられるようになりました。

やはり、仕事と同じで、人材育成も、個々人の自発的な意思を大切にすることが必要ということを勉強した経験でした。

育てることに意志を持つ指導者

小説「楡の墓」のここでの舞台は、江戸末期から明治初期にかけて開拓が進められた札幌です。

当初からその開拓の責任者であった蝦夷地開墾取扱掛、大友亀太郎は農地の開発の要(かなめ)となる水路の構築をはじめ、その地の開拓に多くの業績を残し、開拓にあたる人々からの信頼も厚いものがありました。

また、開拓は、10年、20年先まで続くものであるという認識から将来の指導者の育成にも力を入れていました。

明治維新となり、東京の政府から開拓の責任者が送られてくるようになり、それまで一切を任されていた大友は、次第にその責任者との間で、開拓に関する意見が合わなくなり、開拓の任をはずれることになりました。

大友から将来の開拓の指導者としての資質を見出され、大友の教育を受けながら開拓に精進してきた開拓民である幸吉は、崇拝していた大友が去ることを知り、自分も開拓地を去ることを決意しました。

まさに、その地を離れようとした朝、同じように大友から指導を得ていた役人、丹蔵から幸吉は、大友の彼らに対する思いを聞かされるのでした。

(丹蔵)「大友様は、『確かに、わたしは無責任かもしれん。土地の開拓は道半ばで去ることになった。だが、わたしは、人の開拓は、十分にやったつもりなのだ』、そうおっしゃった。幸吉、それはな、例えば、おめえのことさ」

(幸吉)「お、おらのこと——」

「んだ。おめえや、わしや、村の者たちのことだ。おらたちは、大友様からたくさんのことを、教わったでねが。大友様が、二宮尊徳先生から、薫陶を受けたのと同じようにだ。二宮先生は亡くなったが、その教えは、わしらが受け継ぐ。それから、その後は、おめえたち若いもんが、ずっと受け継いでいくのだ

「おらたちが——」

「『わたしが去っても、村の者たちは、立派にやっていくだろう、いや、わたしよりも、よほどうまくやるかもしれぬ』、大友様は、そうおっしゃって、笑っていたよ」

「そっだらことがありましたか」

(浮穴 みみ著  楡の墓)

指導者が、強い育成に向けた意志を持つこと、そしてその意味を、指導を受ける側が理解することの大切さを物語っています。

指導者の意欲が大切

長期的な視点と自発的な意志のもとで、人材育成を進めることが大切であることを書いてきました。

また、私がコンサルタント会社の社長を務めていたときに、浮穴氏が書いている通り、その対象者を指導する人材の質と意欲も重要であることを学びました。

個々の社員を対象に人材育成計画を作成し、その指導にあたるものとして、一律にその対象者が所属するグループのマネージャーを任命しました。

やり始めて2年たち、個々の対象者の成果を面談で確認しました。すると、指導にあたっているグループマネージャーの人材育成に対する熱意の違いで、大きな成果の差が出ていることが分かりました。

成果の出ていないグループマネージャーに話を聞くと、「自分はそのようなことを経験したことがなく、やり方がわからない」とか、「本来業務が忙しく面倒を見ていられない」といった答えが返ってきました。

人材育成が、将来の会社にとり、どれだけ重要なことであるかを指導者が理解していないこと、また、指導者としての質が不足していることが問題点として明確となりました。

このため、人材育成は会社のもっとも重要な経営方針であることを、今一度指導者に周知するとともに、トレーニングの研修を行いました。

さらに、指導ということに不向きな人材については、指導者を変更することで対策をまとめ、実施に移りました。

小説「楡の墓」の大友のように、人材育成は組織にとって、将来に向けた布石であることを理解し、それだけの能力を有している人が指導者になる必要があることを知った経験でした。

まとめ

組織が将来的に存在し、成長し続けるためには、10年後、20年後に、能力のある人材がいなくてはならないことは、よく理解できることだと思います。

一方で、それではどのように組織を担ってくれる人材を育てるか、ということになると、なかなかに方針を持ち、進めることが出来ないことも確かであると思います。

もし、人材育成の必要性を意識したのであれば、その実践において大切なことは、次の2点だと思います。

① 長期的視点で、対象者が自発的に行動できるようにすること。

② 指導者がそれだけの質と能力を持つことが重要であると思います。