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後悔しないための決断方法、基本に立ち返る

転職を考えたり、大きいな仕事で最後に決断しなければなら刈ったり、会社生活では、幾度となく、大きな決断をしなければならない場面に遭遇します。

せっかく決断したことであれば、思った通りに成就することが望ましいのですが、一方で、必ず成就するといった保証がないことも確かで、あの時の決断が、と後悔することがあると思います。

後悔の多くは、決断して行動しはじめてから、こんなはずではなかったとか、環境が変わってしまったということで生じるものであり、これらが原因として挙げられると思います。

では、決断したことを後悔しないためにはどのようにすればよいのでしょうか。

決断したことを後悔することなくしっかり進めるうえで意識することとして、本来、自分が成し遂げたいと思っていることをよく考え、その思いを基本に決断すべきだと思います。

また、決断し、行動に移った際には、枝葉末節的なことは切り捨てる覚悟で進んでいく必要があります。

作家、和田竜氏は、その著書の中で、一つの決断をした場合の対処の仕方について、ある戦場での武将の言葉を紹介しています。

私も、ある工事で難題に出くわし、その解決のための二つの選択肢から一つを選ぶときに、苦しい決断をしなければならないことがありました。そのときは、難題の基本的な解決策を徹底的に考えることで、乗り切った経験があります。

今回は、和田竜氏の作品と私の建設現場での経験から「後悔しない決断の方法として基本に立ち返る」について紹介します。

後悔しないためには、決断したら瑣末なことは絶つ

小説「村上海賊の娘」は、戦国末期、織田信長がその勢力を拡大していた時代の小説です、その舞台は、信長が一向宗本願寺派の本山、大坂本願寺を攻め、兵糧攻めの策を講じてい

たときの、中国地方を統一していた毛利家です。

本願寺派の門主である顕如(けんにょ)から、兵糧攻めに耐えうる10万石の兵糧の運搬の要請を毛利家は受けました。

兵糧の運搬については、陸側は既に織田勢に抑えられており、瀬戸内海を経て海路で難波海から本願寺に持ち込むしか手段がありません。

このため、毛利家では、瀬戸内海で船軍団を有し、海賊として強力な戦力を有する村上海賊の協力を得ざる得ない状況でした。

村上海賊の当主、武吉は、唯一の娘であり、寵愛する景を毛利家の家臣、児玉就英(なりひで)に嫁がせたいと思い、景の嫁入りと引き換えに支援することを条件として毛利家に伝えました。

景は男勝りの武力を有し、海賊働きも進んで行うような、荒々しい性格を有しており、さらには醜女という評判もあり、就英はその縁談に気が進みません。

毛利家の当主、輝元の叔父で、毛利家を支える吉川春元は、戦いに勝つためには村上海賊の支援が必須であることを確信していました。

このため毛利家の重臣が集まった、村上海賊に支援を要請することを決断する会議で、就英がなんと言おうとも、そのようなことは瑣末なこととして、就英を説得するのでした。

ここで紹介する一節は、そのときの吉川春元が残した、戦いにかける思いを描いた場面です。

重臣たちが、就英に視線を集中させ、目で訴えていた。

—–毛利家のため、その醜女で悍婦の景姫とやらをもらってくれ。

その意は当然、就英にも通じた。就英は目をつぶり、顔をあげるや、「もらいまする」と叫び上げた。

「能島村上の姫御前をもらうことで毛利家が安泰となるならば、某はあの醜女をもらいまする」

「よう申した」

元春は、はたと膝を打ってその決意を褒めた。

———-

就英は、汗の引いた禿頭を目で罵っていたが、苦し紛れの抵抗に出た。

「但し」

重臣たちをぐるりと睨め(ねめ)回す。

「陸戦はいざ知らず、海戦では女子は忌避すべきものにござりまする。されば能島の姫が向後、軍書に反する行いに及びますれば、某は直ちにこれを反故にいたしまする」

———-

重臣たちは静まり返った。就英の条件は、将来、いや今すぐにも破られ、縁組はなしになるだろう。—–

だが、元春だけは「結構だ」と、あっさりとその条件を呑んだ。

元春にしてみれば、能島村上の加勢さえ得られれば、後々どうなろうとかまわない。戦場において一つの決断をすれば、目をつぶらざるを得ない障害の一つや二つはついて廻る。

武に生きるこの男にとっては、就英の出した条件など一顧だにする必要もない瑣末なことであった。

(和田竜著 村上海賊の娘(上巻)) 

この元春の決断により、能島村上は毛利家に力をかすこととなりました。

いざ闘いが始まると、激戦の末、村上海賊の力が織田側の力を上回り、毛利家は勝利を得、大坂本願寺に兵糧を届けることが出来たのでした。

本質を基本に決断することで工事を完遂

ある構造物の建設工事に従事していたときの経験です。

構造物が完成し、使用に供されるようになりました。すると、あまり時間が立たないうちに、構造物にトラブルが生じ、使用に供することを一旦停止し、復旧工事を行わざるを得ない状況となりました。

構造物が使用できないことは、各方面に多大な迷惑をかけることとなり、素早く回復できる復旧工事が望まれていました。

原因を追究するため、いろいろ調査を進めると、トラブルの直接的な原因箇所がすぐ見つかりました。一方で、その直接的な原因の引き金となった要因までは、その調査では見つけることが出来ませんでした。

ここで、この先どうするかで2つの選択肢がありました。

一つは、直接的な原因箇所を復旧し、停止期間を極力早めに切り上げて、使用に供する案でした。

いま一つは、引き金となった原因箇所を特定し、根本的な原因を取り除いてから復旧工事を行う案でした。この場合には、同じトラブルはまず発生しないという保証がありましたが、一方で、よけいに時間がかかり、使用に供することが遅れてしまうことが懸念されました。

建設所の上層部は、早期に使用に供せるよう、停止期間を短くする案で進めようとしていました。

一方、現場で工事に直接携わっていた私以下の職員は、万が一、根本的な要因を見過ごして、同じことが起きた場合のリスクを考え、いくらか時間を要しても、徹底的に原因を追究する案が妥当と考えていました。

建設所のトップの意向が強く、我々の案が通りそうもないため、構造物を使用する部署に掛け合い、どれだけの時間をもらえるか、ぎりぎりの調整を行いました。

また、その部署のトップから、我々の案を支持してもらうことを確約し、最終的な判断の会議に臨みました。

建設所のトップの頭越しに、関係部署のトップを巻き込んでの判断となり、サラリーマンとしては、出過ぎた行為となりましたが、結局、我々が望んだ方針で、その後、修復工事を進めました。

修復後、すぐに使用に供しましたが、それ以降は一切のトラブルもなく、構造物は機能しています。

建設所のトップの判断に従うべき事態ではありましたが、何が本質的に必要かを考え、決断し、行動し、その後に禍根を残さずに済んだ経験でした。

まとめ

物事を決断し、後悔なくそのことを成し遂げるために、決断するときとその後の行動はどうあればよいのでしょうか。に、

まず、決断するときは、自分が目指すものの本質を徹底的に探り、納得したうえで決断することだと思います。

そして、行動に移った際は、作家、和田氏が書くように、枝葉末節なことに捕らわれず、その見極めた本質をはずすことなく邁進することが必要と思います。

本質的なことが何かを考えて決断し、実行していく気概も必要と思っています。