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部下の育成方法、上手に叱る-会社生活43年からの教訓-

プロジェクトのチームであったり、グループであったり、ある組織を任されたときには、そのプロジェクトや会社を成長させるうえでは、部下を育成することも大切な任務となります。

では、部下を指導し、成長させる、さらには、自分が率いる組織を生き生きとした組織にする上で、どのような上司もしくはトップの行為が、効果があるのでしょうか。

取る手立てとしては、部下の行為に対しほめるやり方と、叱って指導する方法があると思います。

私の経験では、ほめることが、一番効果があるのではと思っています。それも、なぜほめたかをしっかり伝えることが大切とも思っています。

また、叱るという行為も、人を成長させるうえでは、効果のある方法であると思います。しかし、叱る行為は、そのやり方で、部下のやる気を失せさせてしまうデメリットもあります。

叱っただけで、その理由もなしでは、部下はなぜ叱られたのかもはっきりせず、次第にやる気が失せていってしまいます。なぜ叱らねばならなかったのか、きちっと説明し、納得させることで、成長につながっていくものと思います。

作家、宮部氏はその作品の中で、それとなくほめることで、その人に自信を与える例を示しています。

私も、米国の発電所を訪問したときに、そこの所長が進める“ほめる行動”のもとで、勤めている職員がいきいきしている様子に感心した経験があります。

一方で、自分が所属する部署では、叱ることのデメリットも経験しました。

今回は、宮部みゆき氏の作品と私の会社経験から「部下を育成するための方法として、褒めるにしろ、叱るにしろ、納得感を持ってもらうことが大切」について紹介します。

下っ端でも褒められれば成長する

小説「きたきた捕物帖」の舞台は、江戸時代の江戸本所深川です。

主人公は、16歳の北一です。3歳の時に、母親からはぐれそのまま迷子となり、親が見つからず、本所深川で岡っ引きしていた千吉親分に引き取られました。

千吉親分の本業である文庫売りを手伝いながら、岡っ引きの一番下の手下として生活していました。

親代わりの千吉親分が、北一が16歳になったときに、フグ毒に当たって死んでしまうところから話が始まります。

保護者がいなくなった北一は、面倒見の良い差配人、富勘の世話で長屋での一人住まいをはじめました。

引き続き、文庫の担ぎ売りをしながら、界隈で事件が起きると、千吉親分の手下でもあったことから、事件の謎ときに関わり合うようになりました。

ここで紹介する一節は、そんな北一が、ある建物の床下で骸になった人物の素性を明らかにする事件に関わったときの話です。

本所深川の同心、沢井連太郎から、その骸の素性を明らかにするため、まずは骨を集めるように北一は指示を受けました。

北一は、毎日、土の混じった骨集めに、なんで自分がこのようなことを、と思いながらも、床下で刷毛などを使い丁寧に骨や遺品集めをしていました。

その作業も終わり、骨の骨格などから、その人が年老い、飢えて床下で死んでいったものと結論付けられました。

北一の努力で、事件性がないことがはっきりしたことから、同心、沢井から北一は、その努力をほめられるのでした。

沢井の若旦那が、冷たい目を半目にして北一をちらりと見る。

「まあ、病死か飢え死にだろうな」と、検視の旦那が言った。

「では、自分でこの床下に入ったんでしょうね」

「うん——雨露をしのごうとしたのか、誰かから逃げていたのか」

検視の旦那は顎をつまんで首をひねる。

「どっちにしろ、この家の者には関わりねだろう。行き倒れに床下に潜り込まれ、勝手に死なれていい迷惑だってことよ」

その言葉に、沢井の若旦那が短い溜息を吐き出した。

「安堵しました」

怯えている人びとの中で下手人捜しをするのは、若旦那も気が重かったのだ。

「よくやったな、北一」

投げかけられた労いに、北一は目をぱちくりさせてしまった。

「富勘が、こういう仕事ならきっとおまえが役に立つと推挙してきたんだが、正直私はあまりあてにしていなかった。済まんな」

千吉も喜んでいるだろう——という続きの言葉は、北一の頭には入ってこなかった。

富勘が推挙したあ?

それでおいらはこんな目に。振り売りはできず、飯はおかみさんに集(たか)ちまって、亡骸のまじった土の臭いが体の芯までしみ込んで、泥と水で冷えて、骨と友達になって。

—–さんざんだよ! 

 なのに、笑えてくるのが不思議だった。

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さんざんな目にあっても、その行いで問題が解決し、自分がほめられたことで、明るい気持ちになった北一でした。このようにほめられ続けていけば、北一は、さらに難しいことにも挑戦していくはずです

快活な職場は心からのほめ言葉から

私が、米国の原子力発電所を訪問したときの経験です。

その発電所は、長年、無事故が続き、稼働率も高く、米国の原子力業界でも評判の高い発電所でした。

訪問の主たる目的は、技術的な面での意見交換でしたが、現場の雰囲気を見て感激することがありました。

職員間の挨拶はもちろんのこと、来客に対しても明るい声で挨拶が交わされていました。そのような雰囲気の職場で保守管理にあたっている作業員に話を聞くことが出来ました。

班長を務める女性の明確な説明から、自分の部署の明確な目的意識のもとで、確実な業務の遂行がなされていることがわかりました。

なぜ、このように職員、作業員の一人ひとりが、いきいきと明るく働いているのか、不思議に思い、発電所の所長との面談の中でその点について話を聞きました。

すると、開口一番、その所長から出た言葉が「善い行いをしている職員、作業員を見たら、その場で“ほめる”ことだよ」とのこと。

善い行いをしている姿を見た時には、近づいて行って、まず「ありがとう」と言い、その上で、なぜ、ありがたく持っているかその理由をきちっと説明するのだそうです。

また、そのときに、高価なものでなくても、所長からということで、すぐにポケットからボールペンなどを出し、プレゼントしているそうです。

このように、所長自らほめることを繰り返すうちに、皆、自分がやっている業務に自信を持ち、さらに、上を目指して頑張るようになるとのことでした。

そのような結果として、無事故で、稼働率も高く、発電所の運営がなされているということも頷ける話でした。

説明の無い“叱り”は反発を招くだけ

ほめることの効果について話をしましたが、叱る行為はどのような影響を部下に与えるのでしょうか。

叱ることは、部下の成長を促すうえでは大切な手段であると思いますが、その叱り方が問題であると思います。

なぜ叱るか、その理由をきちっと説明し、部下に納得感を持たせられれば、その部下にとってその行為はよい反省材料となり、自分の身につくものとなります。

逆に、部下の行為を見て、ただ叱り飛ばすのでは、怒鳴られた部下も納得感が得られず、上司に対し反発感を抱くようになってしまいます。

私が、ある建設所で勤務していたときの経験です。

私の隣の課の課長は、気に入らないことがあると、よく部下を叱り飛ばすことが多い人でした。

若手がその課に転勤になり、早速その課長のもとで仕事を始めました。

朝、仕事が始まってからいくらもしないうちに、その人は課長に呼ばれ、いきなり、叱りつけられていました。

結構長い間、課長からの一方的な話しが続いていました。叱った理由でも話しているかと思っているうちに、部下から不貞腐れた声が発せられ、そのやり取りは終わりました。

後で、そのやり取りの話を聞くと、その課長からは叱る言葉しか出てこず、理由を聞いても何も言わないとのことでした。

このようなことが何回か続き、その人は、言われたことだけをすればよいという姿勢に変わってしまいました。

成長どころか、自分を守る姿勢に固守し、それどころではない状況になってしまっていました。

その後、職場を移り、課長との関係が外れたことで、また、やる気を持ち直してくれましたが、ただ、叱っているだけでは、部下の成長には何らの効果もない事例と思っています。

まとめ

部下を成長させたいと思った時に取る行動は、思った以上の仕事をしたときは、すぐに褒める、また、間違いがあったときは、しっかり理由を説明して叱ることが重要であると思います。

ほめる場合は、相手も理由がだいたいわかるもので、それにより一層よい仕事をしたいという気持ちになってくれます。

一方で、叱る場合は、その理由がないと、なぜ叱られているのかわからず、納得感が得られず、やる気を失せさせる原因になります。

上司は、しっかりその点を意識して行動する必要があります。

また、部下は、特に、叱られた場合には、その理由を問いただしていく必要があると思いま