モチベーションをアップしたいとき

変化にはためらわず楽しく対応

昇る日に 紅葉輝き 月霞む

家のそばでは紅葉が美しくなりました。日の出どき散歩に出ると、ちょうど日が昇り始め、紅葉を照らしています。西の空では月が今まさに沈もうとしています。

さて、本題です。

会社生活を送っていると、それなりに充実した仕事に従事し、給料にも不満がないと、現状に満足し、まあこんな生活でもよいかなと思うことが多いかと思います。

しかし、折角、仕事をしているのであれば、その仕事のなかに、わくわく感なり、達成感を得たいものです。

私の経験上、達成感を得ることができたのは、順調の仕事が進んでいたのに、トラブルに遭遇し、行き詰ってしまったものの、何とか、解決策を見つけ乗り切ったときでした。 また、自ら新たな事業に挑戦し、課題を解決していく中で、成果がはっきり出始めた時に、わくわく感を感じました。

やはり、わくわく感や達成感を得るためには、今の状況に変化をもたらすことに臨んでいくことでその機会にめぐりあえるようです。

作家、堂場瞬一氏は、その著書「小さき王たち 激流」のなかで、変化を楽しむことについて、話を紹介しています。

私も、50歳前半の時に、今までの専門とは全く違う海外職場に転勤になった際に、仕事のなかにわくわく感を感じることができました。専門とは全く違う仕事に、当初は戸惑うばかりでしてが、今までと違ったことに挑戦することで、仕事の面白さを感じた経験でした。

今回は、堂場氏の著作と、私の経験から「変化にためらわず、楽しく対応すること」について、事例を紹介します。

変化を楽しむ

堂場瞬一氏の作品「小さき王たち 激流」は、三部作の最終編です。

小学校時代からの友人であった二人の男性、高城と田岡の衆議院選挙にまつわる、大学を卒業した70年代から、子供そして孫に至る戦いが主題です。

高城は大学卒業とともに新聞記者となり、新潟支局で働き始めます。一方、田岡は、新潟一区を地盤とする衆議院議員を父に持ち、卒業とともに、父親の私設秘書となりました。

衆議院選挙が近づき、田岡は、父親と同じ党公認の候補者を支援しますが。当選には微妙な状態であり、金銭を有力者にばら撒くことで当選を確実にしようと試みました。このことを知った、新聞記者高城は、友人との好誼に悩みましたが、結局、その収賄事件を記事として取り上げました。

このことで、両者の間は咲かれ、お互いに相手を陥れることに力を注ぐようになり、その戦いが50年続きました。

激流では、両者の孫の時代に移ります。高城の孫、健介と田岡家の孫娘、愛海が主人公です。

高城の孫は、祖父の意思を継いで新聞記者となり、新潟支局に配属となり、祖父の後を継いだ田岡家の現職議員を何とか落選させるべく、選挙戦での不正に目を光らせます

一方、愛海は、将来、父親を継いで田岡家の議員になるべく、新潟のテレビ局に勤め始めました。

ひょんなことから、二人は惹かれ合うようになり、結婚を意識するようになります。しかし、両家が相容れない頭のなかでは理解する二人は、自分たちの将来に、明るい展望を見出すことができない状況にありました。

選挙も間近となり、愛海にも東京への異動の話が出てきたこともあり、今後の方向を何とか決めなければと思う健介は、昔から相談相手になってもらっていた、元検事で、現在は弁護士をし、父親と長い親交のある松永に相談することにしました。

ここで紹介する一節は、その松永が、健介に諭す言葉です。

 (松永)「最近の若い連中は、まず『自分が』という傾向が強いんじゃないか? 二十代なんて、まだまだ自分が確立していないのに、絶対に日常を変えたがらない。生活のペースや趣味は、あくまで自分のやりたいように、ということなんだろう。恋愛や結婚に関しても同じだ。例えば結婚しても独身時代の趣味は変えたくない、同じような生活パターンを守りたいと思ってる人が多いだろう? だからこそ自分と趣味嗜好や価値観が合う人を探し続けて、結婚に踏み切れない人が増えて、晩婚化が進んでいるんじゃないかな。自分とそんなにぴたりとくる人は、簡単には見つからない」

(健介)「それは——あるかもしれません」この前。愛海に同じようなことを言った、と思い出す。健介も愛海との結婚を考えるが、二人でどういう風に暮らしていくのかは、まだ想像もできないのだった。健介には趣味らしい趣味もないから、そういう部分を犠牲にするようなことはないと思うが。彼女の方はどうだろう?

「おまえたちの上の世代は、結婚すれば生活が変わるのも普通だと思っていたんだよ。俺もそうだった。まあ、俺たちぐらいの世代になると、だいたい奥さんが合わせてくれたものだけどな」

「今はそういうわけにはいきません」

「両方が歩み寄る時代―――というか、本来はそれが普通なんだろう。しかし、変化するのは楽しいものだぞ。結婚は、どんな人にとっても最大の変化のチャンスなんだ

(堂場瞬一著 小さき王たち 激流)

現状を打破できない健介に対し、松永は現状を変えることの必要性と、変化することで起こることの楽しさを語りかけています。

青天の霹靂的な転勤に楽しさを見つける

私は、会社に土木技術屋として入社し、入社以来、ダムの建設、発電所の地点調査など、50歳過ぎまで土木技術を中心に、技術屋として仕事をしてきました。

53歳になったときに、突然上司から声がかかり、「会社のワシントン事務所の所長として駐在してもらえないか」という、異動の話でした。

多少興味はあったものの、これまで、そのポストは企画系などの人材が務めていたところであり、どのような仕事をすればよいのか、ほとんど理解していない状況でした。

また、技術屋がワシントン事務所長となるのは、会社始まって以来のことでもあり、周りの知人からは、「おまえの今回の件は、青天の霹靂人事」だなどと、たびたび言われる状況でした。

また、英語については、読み書きはできるものの、TOEICテストでも実務級をやっと超える程度で、会話にはほとんど自信もない状態でした。

また、家族同伴が望ましいということも一つの問題でした。

このように、いろいろ難題が多いワシントン事務所への転勤でしたが、これまでの技術屋としての現状を変えてみることで、新たな会社生活の展開もあるのでは、という希望もあり、その異動に応じることにしました。

半年ほどの準備の末に、いよいよ現地に着任することになりました。

せっかく現地に就き、会社全体を網羅する調査業務が主体の仕事であることから、多くの現地アメリカ人と知り合いになり、これまで勉強不足であった、世界情勢や地政学も一から勉強し直そうという覚悟で仕事を始めました。

仕事を始めると、拙い英語でしたが、世界情勢に関する興味ある情報は、いろいろな講演会や会議で聞くことができ、また、個人的にもコンサルタント会社の人から、米国と日本のエネルギー関係などの詳細も聞くことができ、これまでとまるで違う世界に突入したことに興奮を隠せない状況でした。

そのような仕事のなかで、ワシントンDCに在住する日本の多企業の方とも親密になり、個人的なお付き合いも始まりました。

また、このブログでも何回か紹介しましたが、王貞治氏とか山下泰裕氏といった著名人とも直接話をする機会を得るなど、自分の世界が広がっていきました。

結局、5年間、ワシントンDCに滞在しましたが、転勤するか否か迷ったときに、それまで築いてきた技術屋としてのキャリを離れ、変化を求めたことが正解であったことを帰国時に痛感しました。

まとめ

仕事が順調に言っているときには、特にそうだと思いますが、なかなかに人生の節目となりそうな環境の変化に対応することが億劫に感じることがあるかもしれません。

しかし、人生のなかで、ここは現状を打破する機会だ、と思う機会は少なからずあることと思います。

堂場氏が作品のなかで、語っている「変化するのは楽しいものだぞ」と思うことで、自分に与えられた変化のチャンスをつかむことができるのではと思っています。

また、その変化にチャレンジすることで、今までとは違った楽しみを見つけ出すことができると思っています。