モチベーションをアップしたいとき

一歩を踏み出す勇気が成功の秘訣

残照が 秋の旅路の 締めくくり

北海道旅行の帰り、新千歳からの飛行機からは、沈みゆく日が見え、一面に広がる夕焼けが旅の終わりを告げていました。

さて、本題です。

会社生活を送っていると、大きなプロジェクトへの参加を打診されたり、将来の成長のために転職を考えたり、将来の自分の行く末を決めるような判断をしなければならないことがあります。

この場合、あえてリスクを冒さずに、現状にとどまっていても、今までと変わりない生活は送れます。

しかし、リスクを冒して新たな機会に挑戦することで、違った世界が開け、今までにない生きがいを持って仕事に励むことができる可能性があることも確かです。

このような場合、どのように判断したらよいのでしょうか。

作家、高田郁氏は、その作品「あきない世傳 金と銀 出帆編」の中で、現状を打破し、事業を拡大しようと日々悩んでいる主人公の姿を描いています。

大きな成長が期待できるものの、負うリスクも大きくなる事業への進出を判断しなければならない状況に追い込まれました。そのとき、商売上の先輩から、前に進むことの大切さをアドバイスされ、一歩前進することを決断しました。

私も、40歳半ばで、部門の方針として新たな事業に進出する際に、そのーダーを任され、新たな事業に挑戦する意思のあるメンバーを集めるため、声をかけた人たちに、ある決断を迫ったことがあります。

今回は、大きなリスクを伴うものの、一歩前に出れば今までと異なった世界に旅立つことができる機会を与えられたときに、どのように判断すべきか、高田氏の著作と私の経験から事例を紹介します。

帆を上げて港を出るか、帆を畳んで陸にもどるか

 高田郁著「あきない世傳 金と銀 出帆編」は、このシリーズの12作目の作品です。

五鈴屋江戸本店の主人で、この作品の主人公である幸は、10年前に絹織物の販売を江戸で始めて以来、いろいろなアイデアで持って、呉服太物の商売を広げていきました。

しかし、不幸が重なり、呉服仲間を追われ、呉服商を断念せざるを得ない状況となりました。

呉服商を断念したものの、新たな商売として、木綿の織物を取り扱うようになりました。店主の幸ほか奉公人らが知恵を絞り、木綿の織物も江戸市民に受け入れられるようになりました。

しかし、このような中でも、ふたたび呉服を扱えるようになることが、主従の強い願いでした。

4年も過ぎると、木綿織物を扱う複数の仲間の店の協力を得て、呉服屋復帰への道筋が見えてきました。

しかし、そこに、幕府から大きな課題が突き付けられました。呉服太物仲間の結成を許可する代わりに、高額な冥加金を出すよう指示がありました。

あまりの冥加金の額に、仲間たちには諦めの気分が漂い始めていました。しかし、どうしても呉服商を諦めきれない幸は、何とかこの危機を打開する方策がないか、悩む日が続きました。

そのような中、かって夫であり、現在江戸でも有数の両替商となっていた、惣次と出会いました。その惣次に今の悩みを語ったところ、強い激励の言葉が幸に届きました。

ここで紹介する一節は、惣次と幸の、そのときの会話です。

(惣次)「商いは戦いだす。勝つか負けるか、生きるか死ぬか。刀の代わりに算盤交えての真剣勝負や。おまけに、戦う相手は商人ばかりとは限りませんよってにな。おかみ、いうもんも中々に厄介な敵だす」

首を捩じって、相手が後ろについてくることを確かめると、三代目保晴(惣次)は視線を天へと転じた。

「公方さまが代替わりして二年、時代は変わりつつある。堅苦しい方ではのうて、面白い方に。それこそ、知恵の絞り甲斐がある。これからは知恵比べの時代が来ますよってにな」

本両替商として、広く世間を見ている男の力強い台詞に、幸は勇気づけられる。

ゆっくりと歩いて、裏門まで辿り着いた時、

「節介ついでに、言うときますで」

と、相手は身体ごと幸に向き直った。

「厄介な敵は、おかみだけと違う。蛸やらその女房やらは、遠慮のう叩き潰したったらええ。けんど、『酌むべき事情』を持つ相手は、そういうわけにはいかん。せやさかい、一番厄介出すのや」

(幸)「確かに」

思わず、口をついて、その言葉が出た。

地道に、そして誠実に、浅草で太物商を営んできた仲間たち。呉服太物仲間へ舵を切ろうとしたところに、降ってわいたのが千六百両の冥加金だ。そこまでの負担を強いられる理不尽と、これまで通り太物だけの商いで暖簾を守れる、という現実。

幸は唇を一文字に引き結んで、動揺に耐える。

「あんさんは面白い、ほんに面白おます。何で私は、こないに面白い女房を手放してしもたんやろか」

阿保だすな、ほんまに、と惣次は愉しげに言い添えたあと、ふと、真顔になった。

帆を上げて港を出るんか、帆を畳んで陸にもどるんか。五鈴屋にとっても、仲間にとっても、正念場だす。悩んでいる暇も、迷うている暇もおまへんで」

せいぜい気張んなはれ、と三代目保晴は声を張った。

(高田郁著 あきない世傳金と銀 出帆編)

 

新事業に一歩踏み込んだ仲間たち

私が40代後半になったときのことです。

私が所属していた部門は、発電所の建設を担っており、技術主体の部門でした。建設が華やかであった時代が過ぎ、2000年ちかくになると、将来的な電力需要の伸びも収まり、これまで通りに発電所を建設する状況でなくなることが想定されました。

このため、それまで建設に従事してきた技術屋を違った事業で活用することが望まれ始めていました。

私が所属していた土木部門が新たな世界で生きていく方向として、海外、特に発展途上国の電力開発に貢献することが考えられました。

この、海外事業のリーダーとして私が、一から始める事業を率いていくことになりました。発展途上国でどのような仕事があるのか、それをどのように事業として成立していくか

といった事業計画の作成とともに、重要な課題が、これまで手を着けていない分野にいかにやる気のある人材を集めるかといったことがありました。

事業としては、発展途上国の電力開発にコンサルタントとして貢献することにしました

が、これまでそのような経験はなく、まさに、一からことを始める状態でした。

しかし、上層部からは、どのようなことをしても良いというお墨付きを得ていたこともあり、それならということで、若手の生き生きした人材を、本社、支店を問わず、集めることにしました。

すぐに、現状を捨てて、新しい世界で新たな分野を立ち上げようと声を掛け始めました。

話を聞いた人たちにとっては、現状やっと仕事を覚え、これから今の仕事に立ち向かおうとしていたときに、新たな、それも、将来が保証されているわけでもない、分野に進むべきか、悩む問題であったと思います。

そこで、本店内はもちろん、支店や建設所など若い土木技術者がいるところを中心に人材募集のキャンペーンを行いました。

キャンペーンでは、ポセイドンアドベンチャーの映画の話を借り、危機に際して、今まさに一歩を踏み出し、将来に備えなければ、自分たちが土木技術屋としてやることはなくなるといった、脅迫じみたプレゼンを行いました。

結局、入社5年目ぐらいの若手を中心に、40代の数人も含め、新たな事業に挑戦しようと決断した10数名の人が集まりました。皆、新たな挑戦にモチベーション高く集まった人たちでもありました。

発展途上国の電力機関の専門家として、また、建設の始まっているプロジェクトの一員として、多くの人が出かけていきました。

初めての海外勤務ということでしたが、皆、これまでを振り切り、与えられた新たな職場で、技術ばかりでなく、マネージメントの能力も鍛えていきました。

そのようなことがあってから、20年以上過ぎました。

集まってくれた若い人たちも、会社の中では、部門をあずかる年代となっており、部門のトップやプロジェクトのリーダーとして組織を引っ張っている人が多くみられます。

多くの人が話してくれるのが「あのときに、海外事業に一歩を踏み出したことで今の自分がある」ということでした。

若いということで、現状にそれほど未練はなかったと思いますが、今の職場を離れる不安は結構大きいものであったと思います、そのような状況で、さらに自分を磨くため、新たな世界へ一歩踏み出す決断をしたことが今に生きているのでは、と私は思っています。

 

あとがき

 会社に入り、ある時大きな転機を迎えることがあります。大きなプロジェクトへの参加を打診されたり、考えも及ばない部門への異動を問われたり、自分の判断がその後の自分の生き方に大きな影響を及ぼすような決断を迫れます。

そのようなとき、どう判断すればよいでしょうか、高田氏の作品および私の経験から思うに、そのようなときは、今を飛び出し、新たな世界へ旅立つことをお勧めします。

私も、50代初めに、今までの経歴からは予想もつかない部署への異動を打診されました。技術屋として生きてきた自分には、あまりにも違う世界でしたが、意を決し、その場に飛び込みました。

その後、その職場で思いのほか充実した仕事をし、そのときの経験を活かし、その後は、経営者として会社の成長を考える立場となりました。

あのとき、一歩前に出てみようといった決断をしたからこそ、自分でも思い描かなかったような醍醐味あふれた会社生活を送ることができたと思っています。