今の状況に不安があるとき

不運を幸運につなげる方法-43年間の会社生活からの教訓-

会社で、難しい職場や自分の希望しない部門に異動になったり、皆がやりたくないと思う仕事に就いたりしたときなど、自分の不運を恨み、つい会社を辞めたいと思ってしまうときがあると思います。

また、ある仕事を任され、一生懸命に取り組んだものの、その結果が失敗に終わったときには「なんて自分は不幸なんだろう」と、思うこともあるかもしれません。

作家、山本周五郎はその作品の中で、武道を修行中の主人公が世に認められずにいるときの話として、不運に屈しないことの大切さを書いています。

私も、43年間のサラリーマン生活の中で、いくつか全く異なった職場を経験しました。その中には、自分の意に沿わない職場もあり、納得のいかない仕事に苦労しました。しかし、そのときの不運を乗り越える経験が、その後の会社生活によい教訓を与えてくれたことを学びました。

今回は、山本周五郎氏の作品と私の会社生活の経験から「仕事で不運と感じたときにそれをどのように乗り越え、幸運に結び付けるか」について紹介します。

不運に会っても本質をしっかり持つことで境遇の変化に対応

小説「花も刀も」は、江戸時代末期の剣客、平手造酒(ここでは作者にならい“深喜”)と表記)が主人公です。

「花も刀も」では、藩を離れ、浪人となり、剣の修業に励み剣客といわれるまでになるものの、努力が空回りし、なかなか師範の道を切り開くことができず、失意の青春時代を送る平手を描いています。

一流の剣士になることを決意した平手でしたが、長く学び、それなりの地位を得た道場を、道場主の目指す流儀と異なる件を使うことから破門されてしまいました。

失意のうちに、やっと仙台藩下屋敷の師範に仕官することが出来、日々の生活も安定した平手でした。しかし、平手を追い落とそうとする者の讒言に会い、師範の職も数か月で失うことになりました。

悲嘆にくれる中、平手は職を失うことになった経緯を説明するため上司にあたる世話役、頼母のところへ出かけましたが、頼母としても辞任の件は何とも手立てを講じられない状況でした。

ここで紹介する一節は、そのような状況にある平手に対し、頼母が、どんなに悪い状況下でも自分の本質は忘れないように、と諭すのでした。

「人間は条件によって、左右されるものではない」と、頼母は続けた。

「今度の辞任についても同じことが云えると思う、師範の地位を去ることは、さぞ不本意であろう、私にもそれはわかる、だが、この地位にとどまろうと去ろうと、そこもとの本質には関係ないだろう、

もしこれによって、そこもとが失望したり、自爆自棄になったりするとしたら、それは辞任という条件のためではなく、そこもとの本質によるものだ」”

(山本周五郎著 花も刀も)

不運に自爆自棄になっている状況を乗り越え、次の成長のためには、“自分の本質をしっかり持つこと”が大切であることをこの事例は示しています。

不運、不幸が成長の糧に

ここも、「花も刀も」からの引用です。

仙台藩下屋敷の師範を辞任した平手は、自分の剣の技術を認めてくれていた、当代随一の剣豪といわれていた剣術家、千葉周作の門下生になることにしました。

門下生になって三年たち、千葉周作の教えについて考え、一緒に稽古に励む上位者の真摯な稽古の姿を見、これまでの不運をふり払い、そこに新たに進むべき剣の道に気が付くのでした。

“は自分の目が開いたように思った。

これまで感じたこともなく、彼の目から隠されていた道が、幕を切って落としでもしたかのように、彼の前に広く大きく展開したように感じられた。

確かに、彼は自分の視界が広がったと思った。

—–よし、やるぞ。

と、彼は自分に云った。

仙台藩を出たことはよかった。あのままでいたら生活は安穏かもしれないが、結局は下屋敷の師範として、小さく固まったにちがいない。

そうだ、淵辺道場(最初に剣術を稽古した道場)を逐(お)われたこともよい。不幸や不運は、それに屈しさえしなければ、人を成長させ新しい力を与える。

そうだ、と深喜は思った”

(山本周五郎著 花も刀も)

不運だと思った経験からその後の成長につながる精神力を学ぶ

このブログでも何回か紹介した、若い時の建設現場での経験です。

構造物がほぼ完成するという、工期末に起こったトラブルにより、工期を延長して修復工事をしなければならなくなりました。

この修復工事も、一度で済めばよかったのですが、結局、何回か修復工事を行う必要があり、当初考えた以上に苦労が連続する中で、構造物を完成させることが出来た経験でした。

この間、工期延長を関係個所にお願いせざるを得ず、私は現場の設計責任者として、大きな負担を抱えることになりました。

なんで、私が、リーダーの時にこんなトラブルに遭遇しなければならないのか、と何回か修復工事を実施するうちに、自分の不運を嘆くこともありました。

しかし、工事が完成し、一緒に工事に携わった人たちが集まり祝杯を挙げ、これで本当に工事が終わったと実感した時には、別な考えが自分には湧いていました。

難題が多く、苦労することは多くありましたが、一つ一つの課題に真剣に取り組み、皆で知恵を出し合って問題を解決してきたときの、緊迫していたものの、物事が解決に向かうといった高揚感をそのときに改めて感じました。

この様な経験をすることが出来、一時は不運を嘆いていたときがあったものの、結局は、困難に会っても、忍耐と謙虚さを学ぶことができ、自分にとって幸いなことであったと思えるようになった、ありがたい経験でした。

予想外の出向への戸惑いが後の成功体験に

40代半ばの頃のことです。突然、子会社への出向を命ぜられました。

それまでの職場では、10年近く同じ部門で勤務し、それなりの実績を上げることが出来、評価されているのでは、と自分では思っていました。

そのため、引き続きその部門をリードするポジションに就くと思っていた私には、残念な出向でした。

新たな会社に出かけても、自分が担う役割がはっきり見えずにしばらく勤めていました。

そのうちに、その会社では初めてとなる大きなプロジェクトを受注することとなりました。

いくらかそのプロジェクトに関わる経験があった私に、そのプロジェクトのリーダーの役割が回ってきました。

そのプロジェクトをどのように受注するか、といった戦略を立て、実際にお客様のところへ行ってプレゼンをしする際には、先頭に立って説明しました。

チームの努力の甲斐があり、1年半ほどの受注活動を経て競合に勝ち、受注することが出来ました。

出向した当初は、なんでこんなことになったのか、自分のキャリアもこれで終わりかと思ったものでした。

しかし、そのプロジェクトの受注活動から受注にいたる経験で、いかにお客様と対峙するか、チームのメンバーをいかに活用するかといった、その後の会社経営に役立つ多くのことを学びました。

まとめ

自分が今、なんて不運もしくは不幸な状況にいるのかと思うことは、何かしら仕事についていれば、多くの人が経験することだと思います。

そのときに、自分の不運、不幸に負けてその先を見失ってしまうか、立ち直り、先へ進むかで大きな差が出てきます。

まさに、山本周五郎が語る「不幸や不運は、それに屈しさえしなければ、人を成長させ新たな力を与える」ということだと思います。