仕事で行き詰った時

苦しい経験が成長のカギ-会社生活43年からの教訓-

アスリートにしろ、起業家にしろ、その道で何かを成し遂げた人が語るのは、「苦しみのない成功はあり得ない」という言葉です。

では、苦しみを経験することの価値は、一流のプロスポーツ選手、企業の経営者など、いろいろな世界で一流と言われる人たち一部の人だけのものなのでしょうか。

むしろ、「苦しみを経験することの価値」は、自分が思い描く目標を達成しようとする多くの人に当てはまる言葉ではないかと思っています。

作家、宮城谷氏は、中国の後漢王朝を建てた劉秀のもとに集まった二人の将軍を引き合いに出し、多くの苦しみを経験して成長した将軍と苦しみの何かを知らずに生きてきた将軍、二人の器の違いを紹介しています。

私も40歳前に、建設所で大規模工事に従事していたときに、多くのトラブルに遭遇し、それを乗り越えてきた経験があります。

その後、60歳を超えてから2つの会社で経営に参画する機会がありました。そこでは、若い時の苦しい経験が大いに役立ったことを覚えています。

今回は、宮城谷氏の作品と私の経験から「苦しい経験が成長のカギ」について紹介します。

耐え難い苦しみが宝に代わる

小説「呉漢」は、紀元後25年に劉秀が後漢王朝を建てる以前の、劉秀が頭角を現す時代から中国を統一するまでの話です。

主人公、呉漢は、設立当初から劉秀のもとにはせ参じ、その後、軍の最高位である大司馬に任命され、劉秀の中国統一に貢献しました。

「呉漢 下巻」では、劉秀が洛陽で皇帝になったものの、依然として周囲の地域では、有力な王がその地域の覇権を握っていました。

劉秀は、自らが理想とする王朝を建てるため、地方に分散する国王の鎮圧を目指し、軍を派遣しました。そして、司法に散らばる王国を消滅させ、最後に、蜀の公孫述を滅ぼし、全国を統一しました。

ここで紹介する一節は、東方で帝国を形成する劉永を討つため、主人公の大司馬、呉漢が劉秀の命により、劉英の討伐にあたっている将軍、蓋延の後ろ支えに派遣されたときの話です。

劉永を追い詰めるものの、的確な情報収集をせず、また、戦略を持たずにとどめをさすことができない蓋延に対し、呉漢は、蓋延の生い立ちからその弱さを語るのでした。

軍を停止させた呉漢のもとに、蓋延がやってきた。

呉漢は怒声を放ちたくなる不快さを堪えた。蓋延はまた呉漢をあきれさせた。

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蓋延に機敏さがあれば、呉漢への連絡もはやく、呉漢軍が迅速に動いて劉永を捕捉できたであろう。蓋延の目くばりと気くばりには、ほかの疎漏もある。

呉漢はつい語気を荒げて、

「睢陽は劉永の本拠地であり、その城を、あなたは苦労して落とした、ときいた。劉永を追跡するにおいて、睢陽に守備兵を残さなかったのか」

と、問うた。ところが蓋延は悪びれることなく、

「むろん城に兵を残しました。ところが住民がいっせいに叛き、それらの兵を追い出して、劉永を迎えようとしているのです。劉永の父祖は偉いものですな。かれらの恩恵は、人ばかりか地にも滲みている」

と、過去の梁王をたたえた。

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—–蓋延は軍の上級官吏としては、瑕瑾(かきん)がなかったのに—–。

大軍をあずかる将となって、その際が伸びず、器が広がらないのは、もともとの志のありようと無関係ではあるまい。

呉漢は、昔、祇登に教えられたことが、どれほど貴重であったかを、蓋延を見て痛感した。貧困と不遇は忌むべきものであるが、人によっては、その耐え難い苦しみが莫大な宝に変わる。

蓋延はおそらく空乏の淵に落ちたことはあるまい。つねに、有る、という範囲にとどまって、起居と進退をつづけていた。

つまり、蓋延は、無い、ということをほんとうは知らない。無い、ということをほんとうに知っている者は、有る、ということがいかなる変容を遂げても、適応できる

(宮城谷 昌光著 呉漢(下巻))

苦労を知らず、自分が変化していくことができずに成長した蓋延は、結局追い詰めた劉永をとらえることができず、その任を終えるのでした。

土木構造物の構築時の失敗、困難の経験

大学を卒業してほぼすぐに土木技術者として大きなプロジェクトに参加し、土木構造物の建設に従事することになりました。

それ以降、10数年の間に、いくつかの土木構造物の設計と建設に従事しました。

ある構造物の建設では、自分が担当していた場所で事故が起き、死亡者が出る災害が発生しました。ちょっとした作業員の重機の操作ミスが、この事故を招いたものでした。

原因が、工事中の作業ミスということではあったものの、自分の持ち場で人が亡くなったということで、悲しくなるやら悔しいやらで、構造物をつくることの恐ろしさを学びました。

また、水を貯める池をつくる工事では、人工の池が完了し、いざ水を貯め始めると、水位が上がらなくなりました。

原因を調べると、自分が担当した箇所で漏水が発生していました。このため、すぐに水を抜き、補修工事を行い、再度水を貯め始めました。

すると、いくらか水位が上がった段階で、再び水位が上がらなくなり、再度、調査と修復工事をせざるを得ない状況となりました。

短期間に原因を探り、補修工事の設計を行いましたが、この間、先の見えない工事が続き、現場の責任者となっていたこともあり、つらい思いをしました。

再度の補強工事が功を奏し、人工の池が完了し、トラブルなく水を貯めることができました。

しかし、計画した工期と工事費を超える結果となってしまい、関係者に大きな迷惑をかける結果となってしまいました。

また、このように、多くの失敗、困難を経験したことから、その後の会社生活において、貴重な教訓として学んだことが二つあります。

一つが「謙虚」であり、いま一つが「忍耐」です

失敗の経験から学んだ“謙虚”

トラブルが起きたときの原因調査のときに、自然がもたらす大きな力に、自然には人智も及ばないことがあり、つねに謙虚な気持ちで自然に対峙することを教えてもらいました。

また、このことは、自然に対してだけではなく、人に対しても同じようにいえることであることを、その後の会社生活で経験し、多くの難題に遭遇したときの力になりました。

会社生活の最後に、会社を経営するという役を担いましたが、このときも、組織を動かすという意味で、大いにこの「謙虚」でいることが役立ちました。

組織のトップとして事業を進めるときに、自分勝手にならず、仲間や部下の話を聞くことが出来たのも、「謙虚」の意味することの大切さを学んでいたおかげと思っています。

困難から学んだ“忍耐”

いくつかの工事で、短期間で物事を処理し、結果を求めて行動したことに対する反省から、トラブル対応時には、粘り強く思考し、行動することの大切さを学びました。

また、上司がいかに部下を育てるかということについても、「忍耐強く理解させる」ことの大切さを学んだことも確かです。

経営者となり、事業を進めるときに、つい短期の結果を期待してしまうこともありました。

しかし、基本的には、長期的な視点でものごとを考えることが基本である、ということに思いが至ったのは、苦労のなかで学んだ、この「忍耐」でした。

まとめ

すんなりと、学校生活を送り、会社に入って来る人がいますが、多くの人はその後の会社生活で遭遇する苦しい体験時に、立ち向かう勇気を持てずにいるようです。

一方で、私の周りには、若い時に苦しい経験をした人が結構います。これらの人たちも私と同様、自分なりの教訓を得ている人たちが多くいます。

そして、それらの人たちは、その教訓を生かし、その後の会社生活では、前向きに、じっくりとその困難に対応していることを、私は多く見てきました。

私が学んだ大きなことは「謙虚」と「忍耐」ですが、苦労を経験した人たちは、その中から、大きな学びを得て、成長しています。