上司、リーダーの役割

信頼関係の構築方法、謙虚な姿勢-会社生活43年からの教訓-

何か事をなそうとするとき、一人でできることは限られており、多くの人の理解を得て、支援してもらうことが必要です。

しかし、一方的にやりたいことだけを協力者に告げるような姿勢では、集まった人たちの理解は得られず、ものごとを成就させることが出来ずに終わってしまいます。

それでは、自分が人に信頼され、一緒になってものごとを進めていく上では、どのようなことが必要なのでしょうか

まずは、上から目線ではなく、人を下から見ることが大切であると思います。そして、一方的に話をするのではなく、よく聞く姿勢を持ち続けることが大切であると思います。

作家、宮城谷氏はその作品の中で、下から人を見ることと、よく話を聞くことの大切さを紹介しています。

私も、いろいろな職場で、人がどのような態度で他の人と仕事をするかを見ているうちに、この2点の大切さを学んできました。

会社で経営を任されるようになってからは、この2点を常に心がけて経営を進めることを心掛け、社員の信頼を得るよう努めました。

今回は、宮城谷氏の作品と私の会社経験から「人との信頼関係を構築するうえでは、よく聞くなど、謙虚な姿勢が大切」について紹介します。

上から目線の姿勢では、信頼を獲得することはできない

小説「呉漢」は、紀元後25年に劉秀(のちの光武帝)が後漢王朝を建てる以前の、頭角を現す時代から中国を統一するまでの話です。

主人公呉漢は、設立当初から劉秀のもとにはせ参じ、その後、軍の最高位である大司馬に任命され、劉秀の中国統一に貢献しました。

上巻では、前漢時代が終わり、その後を継いだ王莽の時代が短期で終わりをつげ、劉秀をはじめとした各地域の有力な豪族らが覇権を目指して、戦いを始め出した状況を描いています。

ここでは、劉秀の側近として活躍した呉関が主人公です。呉漢は貧家に生まれ、若いころから農業に従事して育ちました。その後、その働きぶりの熱心さ、誠実さを認められ、地方の首長に任じられました。

その後、良い上司を得、また、能力の高い仲間が集まり、一つの武力集団を形成するようになります。

ここで紹介する一節は、呉漢が地方(当時の県)の亭長に任ぜられ、その報告に、昔、農地で働いていたときの主人で、呉漢に目をかけてくれていた若き主人、彭寵を訪れた時のことです。

目指した主人、彭寵は不在であり、その代わりに弟の彭純が出てきました。

兄の彭寵と異なり、弟の彭純は、その育ちから県の亭長となった呉漢に対し、横柄な態度を示すのでした。

彭家の門をたたいた呉漢を、庭先に座らせて、横柄に接見したのは、彭寵の弟の彭純である。

彭寵は不在であった。

「王莽の狗が座るにふさわしいのは、堂上ではなく、庭であろうよ」

そういういいかたをした彭純は、父を殺した王莽を憎悪しており、新王朝への反感もかくさない。その目は、亭長(呉漢)を蔑視するだけである。

呉漢はこの屈辱に耐えた。

名家に生まれ、しかも長男ではないと、高慢になるしかないのかと、呉漢はむしろ彭純をあわれんだ。

人を上から視ている限り、生涯、なにも見えない。いちどでよいから、人を下から視れば、彭純の視界に多くのものが映る。そんなかんたんなことさえ、彭純は知らず、むろんおこなわず、一生を終えるにちがいない。

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彭純にののしられた呉漢は、また、あらたな心の目がひらいた意(おも)いがしたので、今日、彭家に報告にきて、彭純のような浅劣な男に合えたことに感謝した。

(宮城谷 昌光著 呉漢(上))

人の話を聞く勇気

ここで紹介する一節も、小説「呉漢(上巻)」からです。

前漢が倒れ、王莽が皇帝に即位し、新を建国しました。

儒家の思想に基づいた国王王莽の政策は、現実性から離れ、即位後10年たった頃から盗賊や豪族らが起こした反乱が続き、王莽は滅びることになります。

小説「呉漢」の主人公、呉漢がある理由からせっかく手に入れた政府の役人である亭長を辞め、逆に官軍に追われる身となりました。

逃亡の最中に、呉漢の先生役を担う祇登に出会い、祇登から、なぜ王莽の治世が定まらず、賊が各地で跋扈するのか、そのわけを聞くのでした。

(呉漢)「亭長を罷めたいとおもいはじめていたので、思い切れて、よかったかもしれません。官軍(王莽軍)が正義の軍であると信じつづけるには、むりがあります」

本音であった。

いま賊とよばれている者たちの大半は、王莽の過酷な法がつくりだしたといえる。人民がなにに苦しみ、なにを望んでいるか。

王莽が王宮からでて、いちどでよいから、庶人と膝をまじえて語り合ってみれば、一日でわかり、法の弊害を除去することができよう

王莽の頭脳は明晰のはずである。その明晰さを、自身のためだけではなく、人民のために発揮してもらいたい。

(祇登)「良薬は、苦いものだ。王莽にはそれを飲む勇気がない。

王朝には正しい意見を具申している者がすくなからずいる。それを聴こうとしない皇帝は暗愚にみえるが、頭が悪いわけではなく、勇気がないというのがほんとうのところだ。

王莽だけではなく、人としての成否は勇気の有無にかかっている」

「勇気ですか——」

(宮城谷 昌光著 呉漢(上))

結局、王莽の帝国は、国民の信を失い滅亡します。その後、頭角を現してきたのが、後に後漢帝国を建てる劉秀でした。

うわべのコミュニケーションでは意志は通じず

ある会社の事業所の所長をしていたときの経験です。

所長就任直後に、これからの事業所の方針を所員に伝えるため、100名程度の所員が集合

した席で、方針に関わる話をしました。

1回話しただけでは、その真意は通じないと考え、各部の部長を集めて、方針に込めた思

いとその真意を話し、意見交換を行いました。最後に、部長には自分の部に戻ってから、時間をかけて部下に話をし、よく理解させるように頼みました。

部長からは、部下には情報は常に伝えているし、部下からも話をあげてくれているということを聞いていました。また、 部下の人たちからも「上司には、話は聞いてもらっています」という話を聞いており、それならば、ということで部長にお願いしたのでした。

しかし、暫く後に、若手との懇談の席で、私の方針の話に触れると、よく理解していないことがわかりました。

おかしなことと思い、いろいろ話を聞いてみると、やはり、私が部長に話した内容が正確には伝わっておらず、本当に伝えたいことを伝えてくれないことがわかりました。

もう分かっているはずだから、ただ話をしておけば理解してくれるという思いで話したことでは、人を介してその下の人たちに自分の意志は伝わらないことを実感した経験でした。

目線を合わせて話すことで理解を得、信頼を獲得

問題がはっきりしたことから、どうして私の話が、部長を経由して伝わらなかったのか、直接所員に話を聞くことにしました。

すると、上司から情報を流してくれることも少なく、私の話も、部長から一方的に話が合っただけであることがわかりました。

どうしてこのようなことが起きているのか、また、部長と部下の間にどのようなギャップがあるのか、いろいろ考えた末、一つの原因にいきつきました。

基本的に、上司と部下では、役職上ですでに上、下の関係があります。上からの話は、 坂をボールが転がるようにスムースに流れていきますが、下から上にボールを上げようとすると、相当なエネルギーを必要とします。

このため、両者間でコミュニケーションが取れず、理解も進まない結果となっていることがわかりました。

職位のままの姿勢で上司が話をし、話を聞こうとしても、この勾配は解消できないと思います。

下の人が、上に上がることが出来ない以上、上の人がどれだけ姿勢を下げて、目線を同じにして話をし、話を聞くようにしなければ部下の理解は得られないと、このときの経験でその思いを強くしました。

まとめ

何か事を成し遂げようとしたとき、人の協力が必要になることは通常のことだと思います。

そして、ものごとを成就させることができるか否かは、協力してくれる人、一緒になって努力してくれる人の理解を得ることができるかにかかっています。

協力者の理解を得ることができるか否かは、部下といえども、上から人を見ずに、同じ目線でいられるかにかかっていると思います。

そして、このような態度は、常にどのような人に対しても謙虚な姿勢から生まれるものであると思っています。