能力を高めたいとき

-柔道家山下泰裕氏の講演から-常に高い理想の姿を追って日々努力

2020年東京オリンピックを前に、JOC会長になられた山下泰裕氏の講演を、20年ほど前にワシントンDCで聞く機会がありました。

山下氏は、なぜ怪我をした状態で臨んだロスアンゼルスオリンピックの決勝で勝つことができたのか。

そこには、氏が目指す高い理想の姿を求めて、日々努力を重ねてきた日常の姿がありました。

山下氏は、常に前向きで、状況が悪い時でも楽観的にものを考えることのできる方でした。

1984年にロスアンゼルスオリンピックで金メダルを獲得し、現在(2007年) 柔道の世界的な普及を目指して活躍している山下東海大教授の話です。

講演の中で気づいたことですが、話し方、話の内容とも山下氏は楽観的な人で、しかも前向きであるという印象を受けました。

モスクワオリンピック(1980 年)の時に、政治上の問題で日本が出場を辞退した際、ちょうどその前の日本選手権で、相手のわざにより骨折をし、病院で寝ていた時の話から氏の性格をうかがい知ることが出来ます。

 

当時の新聞が“山下選手に2重の苦しみと”というタイトルを付け、一面で取り上げました。

その記事を読んだ読者が気の毒に思っていた中で、ご本人には「良く頑張ってきた、思うようにいかないかも知れないが、体と心を休ませなさい。もう一度、じっくり 新しい一歩を歩き始めなさい」という言葉が聞こえてきていたということです。

それ以来、オリンピックに出られない悩み、憤りがすっかり吹き飛んだとのこと。

悪い事態も、良いように解釈出来る人の性格が良く出ていると思いました。

理想の姿を追い続け、常に努力する姿

オリンピックで金メダルを取るなど、数々の名誉を刻んできた氏が語る言葉はやはり重みがあります。

ロスアンゼルスオリンピックで、足に怪我をして決勝に臨んだ時の、「どうやって、勝とうと思ったか」という質問に対しての答えです。

「イチロー選手も言っていたが、(一流と言われる選手は)逆境にあり、勝てる確率が20%、5%であっても、

“その20%、5% の勝機に集中して勝つ方法を考えている。”

一般の人は、80%の勝つ確率があっても、残りの20%を心配し失敗してしまう。その少ない確率でもその可能性に考えが集中するよう、常々努力し、いろいろ経験し、たゆまぬ努力をしている」

と話していました。

氏の好きな言葉は、「今をひたむきに、未来を見据えて生きる」ことだそうで、夢、 理想、限界の3つに挑戦していくことだそうです。

講演会の時に、氏にサインをもらい ましたが、そこにもやはり「挑戦」と書いてありました。

一流アスリートは、年齢に関係なく夢を持ち続け、さらにその夢に向かって後ろを振る向くことなく努力する。

現在、現役を離れ、世界中に柔道の心(精神)を伝えるべく活動しているということで、言葉の端々にその熱意が伝わってきました。

「何がそのように山下さんを動かす原動力になっているのか」

という質問に対し、

「今50歳だが、新しい目標に向け今まさに離陸しようとしているところのような気でいる」とのこと。

常に新たな夢と理想を持って活動しているそうです。

 

氏はイチロー選手と対話したことがあるということで、その時の話に関連して、「一流の選手は、いくつも実績を上げ、もうこれでよいと思うことはないのか」といった質問がありました。

その質問に対し、「我々が行き着きたいところは自分が描いた遙かに 高い理想の姿。その理想に向けて自分を鍛錬していく過程において、途中の実績は関係ない。後ろを振り向かず、前だけを見て生きてきた。途中で休んで、周りを見、水を飲むくらいのことは必要だが、腰を下ろして、良くやった。“よっこいしょ”と言った瞬 間に、引退の時が来ている気がする。」

「人は、我々のこれまでを見て、凄い凄いと言ってくれるが、我々の目標は先にあるだけ。後ろを見ることはない」とも話していました。

若い人を育てる夢を持ち続ける山下氏、JOC会長に就任

「若い人たちに、やる気を出させるためにどうしたらよいか」との質問に対する氏の答えは、

「自ら自分が信じられるかがまず大切。目先、自分のことばかり考えず、夢、理想を持つことが必要。今の子供たちが夢がない、覇気がないと言っているが、これは大人の所為。自分たちの生き様が悪い。大人たちが、自信を持ち、夢を持って生き、子供の前で、生きることの楽しさを伝えていくことが必要」

山下氏は、真剣に若手の育成を考えているということで、10年後、20年後に今の努力の結果が出てくることを楽しみにしているとのこと。

氏の指摘のポイントは、“目先の結果に追われているばかりでは駄目で、10年後、20年後に若い人たちがどれだけ力を発揮し、生き甲斐を持っていられるか”だと思います。

自分の中学の時の夢として、氏は「オリンピックに出て、金メダルを取り、国歌を聴く こと、さらに、柔道のすばらしさを世界に伝えること」と書いたそうです。

今まさに、そのことを実現し、実施している自分は幸せ者と話していました。

最後に

山下氏は子供の頃、相当の悪ガキで、周りの子供たちをいじめていたそうです。

その氏が、金メダル、国民栄誉賞など数多くの賞、トロフィーを受賞してきた中で、一 番大切にしているのが、ロス五輪で金メダルを獲得し、地元に帰った時にもらった、この子供の時の友人からの表彰状だそうです。

その表彰状には「いろいろ子供の頃にはいじめられてきたが、今回のオリンピックで、 我々の期待に応えてくれたことは、子供の頃の悪行を精算してあまりある行い。

よってここに、表彰状を授与する」と書いてあったそうです。

-青木 功氏の講演から-高い目標に向けて努力する一流プレーヤー1980 年の全米オープンでニクラウスとの死闘を演じ、また、1983 年のハワイアンオープンでは逆転イーグルで優勝するなど、数々の戦績を...