会社の経営改革

失敗から得る教訓

前のブログで「驕れるもの久しからず」という題で、戦いに勝つ、もしくは困難な仕事をやり遂げ、その余韻にいつまでも浮かれている者が陥りやすい、傲慢さの弊害について書きました。

一方で、大事なしごとぉ負かされたときに、失敗をしでかしたときはどうでしょうか。

「よく、失敗から学べ」といわれますが、失敗したものはどうしても自分が敗者となってしまった気がして、なかなかに学ぶところまでいかないことが多いかと思います。

しかし、作家、柳田邦男氏はその著書の中で、敗者がまた、なぜその敗北から学ぼうとするのかまた、なぜ学ぼうとしなければならいないかを書き記しています。

私も、会社生活の中で、多くの失敗をしましたが、そのたびに、次の成長に向けた教訓を得た気がしています。

敗者はその原因を冷静に見つめる

小説「零戦燃ゆ」は、零戦の開発から、零戦が最も活躍した太平洋戦争の初期から、その弱点を狙われ、その威力を削がれるまでを、日米決戦の全体を通して描きあげられた長編小説です。

昭和16年12月8日の日本軍の真珠湾攻撃により、日米の太平洋戦争が始まりました。この攻撃で、大勝をおさめた日本軍は、その後も一大決戦となる、昭和17年5月のミッ

ドウェイ海戦までは優位に戦いを進めました。

ここで紹介する一節は、ミッドウェイ海戦に先立ち、オーストラリア北東部の珊瑚海での日米の空母どうしによる初めての海戦の後での日本と米国海軍の開戦後の状況です。

勝利をおさめたと考えるに本文は、その勝利に浮かれ、一方、米国海軍は、その敗戦から、次の戦いに向け、ワシントンで戦訓を学ぶための検討会を開きました。

 サッチ少佐(米国海軍所属)は珊瑚海海戦時には、ハワイで戦闘機隊の再建にあたっていたが、戦闘機戦法の知恵者として評価が高かったので、ワシントンの検討会に呼ばれたのだった。

さて、サッチ少佐らを迎えた海軍省航空局の作戦担当や航空機開発担当者らは、勝ち戦の話よりは、日本機との航空戦における敗因を聞き出すことに、重点を置いた。

戦訓とは、もとより失敗や敗北の原因を冷静に見つめて、その中から教訓を導き出し、次の勝利へ結びつけようとするものである。

勝者がいつまでも勝者ではあり続けられず、しばしば敗者によって覆されるのは、敗者の側が、戦訓を生かして、激しく迫るからである。

これに対し、勝者の側は、戦勝気分に酔うあまり、敵対する相手を単純に弱者と見下すばかりで、自らの長所短所を正しく見つめるのを忘れがちである。

古来、「勝者の記録よりも敗者の記録の方が価値は高い」といわれるのは、そのあたりに理由がある。

珊瑚海海戦に対する日本海軍と米海軍の反応は、まさに勝者の驕りと敗者の執念という両極に分かれていた。

開戦以来戦勝気分にひたっていた日本海軍の連合艦隊司令部は、珊瑚海海戦で米機動部隊を壊滅できなかったことを、ひたすら第五航空戦隊司令官原少将の弱気のせいにして、空母決戦時代の重要な戦訓を読み取ろうとはしなかった。

(柳田邦男著 零戦燃ゆ 飛翔編)

人との交渉の失敗から学ぶ教訓

私が、ある会社の工場長を務めていたときの経験です。

金曜日の午後に現場から連絡が入り、一つの工場で、危険物を貯蔵していたタンクのふたが壊れ、周囲に駅が飛び、近傍の農家に迷惑を変えたとのことでした。

着任早々で、工場長として何をすればよいか分からず、部長以下に対応を任せていました。月曜日になり、朝出かけていくと、監督官庁から立ち入りの検査が入るとの連絡を受けました。

立ち入りの当日、検査官が数名来られ、事実の聞き取りの後、私も出席しての検査官から検査報告がありました。

私はその席でただ聞いていればよいと思っていたのは大間違いで、今回の事故に対する会社側の対応の悪さについて厳しいお叱りがありました。

金曜日に発生していたトラブルを月曜日まで連絡せずにいた怠慢さなど、さんざんなお叱りを受けました。

そのような中で、状況をよく把握していなかった私は、実務経験のある部長が何か応えるのではと、ただ話を聞くばかりでした。

しかし、その部長も明確に質問に答えることがなかったことから、こちら側の反省が足りないということで、検査官の怒りは高まるばかりでした。

検査官からのお叱りが続くこともあり、事務所のトップとして腹をくくり、わかる範囲で状況を説明し、今後の対応を話ししました。

その話を聞き、トップがそのように話すならば、その対策をすぐ実行すること、2週間後にまた、その状況を検査に来るとのことで、その日の検査は終わりました。

難しい対応策がありましたが、そのことに真剣に取り組み、2週間後に再度検査を受けました。

対応策が完了し、私も今回はトップとして真摯に検査官に対応したことで、事業の再開の許可を得ました。

工場のトップでありながら、トラブルを起こしたことに対し、反省の言葉もせず、工場としての明確な対応方針を示せなかったことが、検査官の不信を増幅してしまった経験でした。

そのようなことがあり、それ以降は、事業を進めるうえで、お世話になる地元の市町村ほか、役所との交渉事については、常に工場長として前面に出、方針を明確に伝えるようにしました。

また、その会議で明確な受け答えができるよう、準備も怠りなくするようにしました。

そのようなことを進めたおかげで、監督官庁の人とも良好な関係を築けるようになり、地元の首長さんたちとも、何でも話し合える関係を築くことができました。

就任直後に出会った失敗が、事業を円滑に進めるうえでよい教訓となった経験でした。

まとめ

ある事態に遭遇し失敗をすることで、委縮したままでいると、次に同様な事態が生じても、また、同じことを繰り返すことになります。

その失敗を乗り越え、失敗を認識し、なぜ失敗したかの原因を考え、次に同じようなことが発生した場合に備え、どうしておくべきか対策を考える必要があります。

そして、それを組織全体に浸透しておくことが重要で、そのような準備をしておくことで、次に同様な事態に陥っても、慌てることなく、円滑に対応することができるよ