今の仕事に疑問がある時

謙虚な人が難局を乗り切る-会社生活43年からのアドバイス-

仕事を任され、何か判断をするときに、自分の意見をしっかり持つことは大切です。

しかし、今までに経験したことがない状況下で判断をしなければならないとき、また、経験したことがない難局に遭遇したとき、自分の能力を過信して、判断してしまうことで思わぬトラブルを招いてしまいます。

私も、若い時に従事したダムの建設現場で、過剰な自信から周りを見ることを忘れ失敗した経験がありますが、自分に自信があるときに、このような状況に陥りやすいのではないかと思っています。

では、困難な事態に遭遇したときには、どのように対処すればよいのでしょうか。

作家、司馬遼太郎は、その作品「菜の花の沖」の中で、船長である主人公に、困難な事態に人としてどのような姿勢でいつことが必要かに触れ、過剰に自信を持つことの弊害を解いています。

私も、前述した経験から、自然に対し謙虚であることを学びました。

今回は、司馬氏の作品と私の経験から困難に遭遇したときに謙虚さを持つことの大切さを紹介します。

謙虚な人の本質

小説「菜の花の沖」は江戸時代後期に廻船商人として活躍した高田屋嘉平が主人公です。

嘉平は、淡路島の貧家に生まれましたが、持ち前の行動力と胆力から、廻船商人となり、ついには、蝦夷・択捉の海で活躍しはじめます。さらに、国を閉ざしている中で、ロシアと交流を行うなど、数奇な運命を生き抜きました。

ここで紹介する一節は、高田屋嘉平が船主となり、千五百石積みの船長を務めていた高田屋嘉平衛の言葉です。

江戸時代、大海での航海にはリスクが付きまとっていました。リスクを伴う大海に出て、安全に航海を進めるうえで、船長が肝に銘じておく教訓として、嘉平は「傲慢にならず、臆病者と言われるくらいの謙虚な人である」ことを述べています。

「真艫(まとも)に帆にあたっている」と、たれもがうれしそうにいった。船乗り冥加というもので、こういう場合は口々に声を出して祝いあうものである。マトモな話ではないとか、マトモな人間とか、あるいはマトモにぶつかってしまったとかいう陸の言葉はこういう船乗りの言葉から来たものであろう。

「船中の武者は臆病ぞ」「陸の武者は時には虎を素手で撃つような勇気を出さねばならないが、船の武者はあくまでも臆病であらねばならない。臆病こそ勇気に勝るものである」

という意味のことを、さまざまに言いかえて、船乗りたちは教訓にしてきた。あらゆる現象に注意を働かせ、決して一か八かかの勝負などはするな、ということであろう“

出典:菜の花の沖 司馬遼太郎 文春文庫

船、とくに江戸時代の船は、一旦、海上に出れば、暴風雨、海流といったリスクにさらされ続けます。そのような船の船長として、難局を乗り切るためには、「臆病であること」、まさに自然に対する謙虚さを持つことの大切さを、この一節は紹介しています。

謙虚さを失った人たちが招いた難局

私が、水力発電所の建設でダムの付帯設備の設計に従事していたときの経験です。

ある構造物を構築することになりましたが、その構造物を設置する場所、構造物が受ける荷重など、設計するうえでは、難しい条件がそろった構造物でした。

このため、いろいろな条件を考え、当時としては、日本でも珍しい工法を採用しました。

新しい工法を採用するということで、建設に携わった我々技術者は、世界レベルで同様な工法を採用した事例などを十分勉強しました。

さらに、各種の解析手法を用いて、構造物が、実際に働くときに受ける地震などの荷重に対して安全性を持つように構造物を設計していきました。

一方で、比較的珍しい工事であったこともあり、現場を訪れる技術者も多くあり、それらの方々と意見交換をし、そのたびにいくつかの指摘をもらいました。

その時に、指摘してもらった意見については、十分対応したつもりでいました。

しかし、そのような意見は既に考えているといった、驕った感覚を自分自身が持っていたこともあり、多くの人たちの意見については、結局設計に反映することもなく工事を進めていました。

そのような中で、ある人が「こんなにうまくいくことがあるのだろうか。何か忘れてしまっていることはないのか」というようなことを話しているのが気になりました。

しかし、出来上がっていく構造物を見るにつけ、そのようなことはすっかり忘れてしまいました。注意を喚起してもらったものと思いますが、その時は何にも気が付きませんで

した。

このように驕った心をもって工事を実施している中で、大きな難局に遭遇することになりました。だと思います。

謙虚さを忘れた人が陥る難局

このようにして工事が完了し、その構造物を実際に働かせてみると、いくつかのトラブルが発生しました。

トラブル解決のため、行工事を遅らせてその原因の追究にあたりました。その結果、発生したトラブルの原因のいくつかは、工事中に訪れた多くの人が現場を視察する中で、我々に対し、アドバイスしてくれた事柄でした。

そのようなこともあり、トラブルの発生した現場に立った時には、現場を訪問してくれた皆さんがアドバイスしてくれたことを、なぜしっかり検討しなかったのかといった、自分の謙虚さのなさに苛立ちを覚えました。

多くの人が意見を寄せてくれた中で、自分がといってはおこがましいところがありますが、いろいろ勉強したなどと慢心し、さも自分が一番このことを知っているかのように流暢に来訪者に対して説明していたことが恥ずかしくてしょうがありません。

まさに、司馬遼太郎の話す教訓で、“船の武者”を“重要な構造物を構築する技術者”に置き換えて意識することをすっかり忘れてしまった経験でした。

まとめ

今までに経験したことがない状況下に置かれたときなど、難局に遭遇したしたときに、どのように対応すればよいのでしょうか。

人の声を素直に聞く、自然を凌駕しようとはせず、自然に対しても謙虚な姿勢になることが大切であると思います。

まさに、菜の花の沖の高田屋嘉平が言う「臆病者」となって、周りの意見を聞く、自然の状況を把握するなど、注意を怠らない姿勢が、求められるのだと思います。

自分の経験からも、人の指摘は素直に聞き、得るものがあれば直ちに従う。それでも心配な点があれば事後の備えをして最後の時を迎える。こういった大切さを教えてもらいました。