仕事で行き詰った時

判断に迷った時には条件を選別-会社生活43年からの教訓-

会社など組織に勤めていると、何か大事な仕事を任されたときなどに大きな判断をしな

ければならなくなることはよくあることだと思います。

このようなとき、判断するために上司や専門家にアドバイスを求めることで、解決のきっ

かけを掴めることがあります。一方で、人それぞれに言うことが違い、よけいに判断することがこわくなり、これまでつけてきた自信を失い、よけいに悩んでしまうこともよくあるようです。

このように迷いの状態に入ると、なかなかにそこから抜け出すことができず、一層イライラしてしまう状態に陥ってしまいます。

判断するときに悩むことは、それだけその仕事を真剣にとらえているということで重要なことですが、判断することに迷いが生じてしまうことは避けたいものです。

では、迷いを避けて判断するためにはどうしたらよいのでしょうか。

作家、司馬遼太郎氏は、その作品「峠」の中で、余分なことに捕らわれず判断することの大切さを紹介しています。

私も、従事していた建設現場でトラブルに遭遇した際に、その後の対応策として二つの案が対立し、そのどちらを選択するかで悩んだときに、判断すべき条件をシンプルにすることで、問題を解決した経験があります。

今回は、司馬氏の作品と私の経験から「判断に際し悩んだときに間違った判断を避ける方法として、判断条件を選別することが大切」について紹介します。

夾雑物に捕らわれると判断を誤る

小説「峠」の舞台は、江戸末期、薩摩藩と長州藩を主体とする倒幕の動きが活発化する中での、徳川親藩である長岡藩です。

主人公は、この難しい時期に、長岡藩の行く末を導いた家老河井継之助です。

徳川親藩としてどのように長岡藩を生き残らせるか、その行く末を判断する場面が何度かありましたが、ここで紹介する一節は、その中の一つの場面です。

長岡藩の藩主、牧野忠恭が京都所司代として赴任することになりました。

倒幕側が勢力を握る京都は、すでに京都所司代を務める藩主にとって、危険この上もないところであると判断する河井継之助は、すぐにでも、京都を離れるべきと主張します。

一方、藩主とともに、京都に出てきた重役たちは、京都が危険であるとは思うものの、これまでの慣習、藩主の面目を考え、なかなかに撤退の判断を下せずにいました。

それら在京重役を前にした河井継之助の言葉です。

継之助はその後も京都情勢をさぐってみるのに、事態は容易ではない。おそらく数年にして倒幕革命がおこるであろう。

「長岡藩が京にいるべきではない」

という信念はいよいよつよくなった。京は危地である。

「たしかに危地である」

という見方では、在京藩吏がことごとく継之助とおなじであった。かといって、

「京都所司代をすぐさまご辞任なさるというのもどうであろう」

と、在京重役はその点で踏みきれない。殿様にも面目ということがおありであろう。

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が、継之助はそういう重役連を説きまわった。

次第にかれらも継之助の意見に、意見としては賛成するようになった。

「ただ、現実の問題としてどうか」

「そこがまちがいです」

継之助は、重役たちに物の考え方というものを説いた。

「物事をおこなう場合、十人のうち十人ともそれがいいという答えが出たら、断固そうすべきです。

ちなみに、どの物事でもそこに常に無数の夾雑物がある。失敗者というものはみなその夾雑物を過大に見、夾雑物に足をとられ、心まで奪われてついになすべきことをせず、脇道に逸れ、みすみす失落の淵におちてしまう。

大公儀に気がねなどしていてはついにわが長岡藩もそうなるでありましょう」

「物事はそのほうの言うようには簡単にはいかぬ。世間は単純ではない」

「そこさ」

と、継之助はおどした。

「そこが失敗者の考え方でござるよ」

諸重役はみな顔をしかめた。

(司馬遼太郎著 峠)

継之助の言葉は、将来の行く末の選択を迫られたときに上司の意向を忖度するなど、本質的な判断に鋭意強を与える、周りの思いを考えすぎて悩み判断することの誤りを諭した事例です。

基本条件を明確にすることで判断の間違いを回避

私が人工の池を建設する工事に参画した時の経験です。現場の課長を務めており、設計関係の責任者を務めていました。

人工池の構築も完了し、水を貯め始めたときに、ある個所から水が漏れる事故が発生しました。池の水を抜き、原因箇所の調査をすると、一部に損傷が見られたことから、その部分を補強し、再度水を貯め始めました。

水を貯め始め、前に事故が発生した水位よりも若干上の水位に達した段階で、再度水が漏れ始める事態となりました。再度水を抜き、水漏れの原因を調べると、前回と同じ個所で、やはり欠陥が認められました。

この対策として、2案が考えられました。

一案は、工期が迫っていたことから、前回と同じような対策を講じて、すぐにでも水を貯め始め、人工池の工事を完了させる案でした。

早く工事を完成させ、この人工池が関わるプロジェクト全体への影響を最小限に抑えたいと考える、所長ほか上層部の意見でした。

二案は、欠陥箇所だけではなく、その周辺の基礎部まで含めた調査をし、根本的な原因を調べてから、補強工事を実施しようとする案でした。現場で、工事の実際を見、工事に携わってきた我々課長以下が強く希望した案でした。

第2案を実施した場合、工期が伸び、予定の工期を守れないということを強く主張する関係部署の意見もあり、現場の判断を鈍らせました。

しかし、前回と同様の補強では、ある水位で、また同じことが起こる可能性があり、現場の所長以下で、どちらにするか議論が続きました。

結局、水をしっかり貯めることができ、今後に後悔を残さないよう、詳細な調査を実施して対策案を考える2案を採用しました。全体プロジェクトへの影響については、関係者と調整し、極力悪影響が出ないよう処置することとしました。

再度の補強工事が終わり、水を貯め始めましたが、その後はトラブルを起こすことなく、人工池に水を一杯にすることができました。

全体プロジェクトへの影響についても、所長以下で関係者との綿密な調整を行うことで、最小限の影響で収めることができました。

安易に工期を守るためといった強硬意見にとらわれることなく、しっかりした構造物をつくるという基本に戻って補強案を決め、工事を完成することでき、判断の難しさを学んだ経験でした。

まとめ

はじめに書きましたが、仕事を任され、重要な判断をするとき、考え、悩んでしまうことは必然と思います。このようなとき、上司や専門家の意見を聞くことで判断の材料とすることがあります。

これはこれで、一つの対処方法ですが、周りの意見をいろいろ聞いたり、関係部署や関係者への影響などを考えたりすることで、本質的な解決策を見失うこともよくあります。

まさに、小説「峠」で紹介したように、夾雑物を意識することとなり、判断が違う方向に行ってしまう状況です。

 人の意見を聞くことは必要ですが、判断にあたっては、判断することで自分が求める基本をしっかり持ち、周囲からの意見は参考として聞き、基本を外さずに考え判断することが大切です。