今の仕事に疑問がある時

慣習から抜け出して問題を解決-社長経験からの教訓-

新型コロナウイルスの感染拡大で在宅勤務が広がる中、ハンコを押すために会社に出なければならない、といった内容の記事を新聞で読みました。

これまでの慣習を破れず、本来の目的を全うできない事例だと思います。

普段の仕事においても前例第一がはびこっていたり、課題が見つかりそれを解決しようとして前例を踏襲したために真の解決に至らなかったりすることが多くあります。

通常の問題であれば、前例を参考にすることで解決することが多いかと思いますが、異常時の問題解決や変革を目指すときなどでは、前例を踏襲していたのでは、なかなかに本質的な解決策が見つかりません。

このような非常時に問題を解決するにはどうすればよいのでしょうか。

作家、浅田氏はその作品の中で、今まで常識と思っていた事実に疑問を持ち、その常識の反対の発想でものごとを解決することの大切さを描いています。

私も、会社に勤めていたときに、長年の前例にとらわれてしまい、仕事のやり方を変えてまで効率化を図ろうとせず、それでいて、いつも忙しいと話している多くの社員に出会いました。

今回は、浅田氏の作品と私の社長経験から「非常時には慣習を抜け出して問題解決にあたることが大切」について紹介します。

盗っ人は悪いが、盗みを許す世の中はもっと悪い

小説「中原の虹」の舞台は、中国清朝末期、1900年初めの満州です。

清朝は落日を迎える様相を示し、清に代わる覇権を握ろうと、各地で軍閥が跋扈していました。その中で馬賊の張作霖は、満州地域を武力で抑える総攬把としてその勢力を拡大しています。

張作霖は、中国東北地域の馬賊をまとめ上げ、勢力を伸ばし、満州に一つの国を建てようとしていました。

その張作霖の発想は、清朝政府の高官をはじめ、通常の馬賊の常識を打ち破るもので、今までの慣習を踏襲しないという姿勢を常に見せていました。

ここで紹介する一節は、その張作霖が、満州の大都市奉天市内を馬に乗り巡っていたときの事件です。

子供が肉屋の荷車から肉の塊を盗み逃げましたが、通りすがった張作霖につかまり、肉屋に引き渡されました。

その肉屋が、幼い泥棒の腕を折ろうとするのを見、なぜ子供が盗みを働くのか、何が一番問題であるか、張作霖は、肉屋をはじめ群がる群衆を前に語りかけるのでした。

肉を運んでいる荷車が引っ張るようになっていることで、後ろに目が向かないことこそ問題があると話しだしました。

暗に、荷車を引っ張るのではなく、押すようにすれば自然と目が前を向き、泥棒などさせないようにできるのではと、問いかけるのでした。

そこには、これまでの慣習に縛られるのではなく、新たな発想で、世の中を変えていこうとする張作霖の思いが語られています。

(張作霖)「いや、引っ張るんじゃなくて、押せばいい」

二度笑いかけて、人々はみなおし黙った。確かに荷車は引くものと、大昔から決まっている。だが仮に、人も驢馬も、みんな荷車を押すとなったらどうだろう。人の目は前向きについているのだから、少なくとも泥棒はいなくなり、荷物を落とすこともない。

「ところで、荷車は引くものだと、いってえ誰が決めた」

白虎張(張作霖の呼称)は梶棒を覗きこみながら言った。鍛冶屋の目つきも真剣になった。

「知るかよ。たぶん乾隆様とか太祖様とか、大昔の偉い人が決めたんじゃねえのか」

「だったら俺様が決めよう。このさき奉天の荷車は引いちゃならねえ。みんなして押そうぜ」

「ううむ。たしかに名案だが、さて、うまくできるかどうか。なにせ荷車は引くもんだと思い込んできたからな」

「もしうまい工夫ができたら、おめえは大金持ちだぜ」

「そうとまで言われりゃ、俺だって腕に覚えのある職人だ。ひとつその押し車ってえやつを、こしらえてみようじゃねえか」

徒弟たちはいつしか仕事を放り出して、押し車の工夫をあれやこれやと論じ始めていた。どうやら白虎張の頭脳に閃いた機知は実現しそうだった。

吉永(日本から派遣された軍人)は感心した。盗ツ人は悪いが、盗みを許す世の中はもっと悪い。法律や道徳よりも重要な世の中の慣習を、張作霖は改めようとしている

( 第四巻)

ハンコの文化が在宅勤務の足かせに

4月3日の日経新聞電子版に「ハンコを押すために出社」という記事がありました。

コロナウイルスの感染を抑えるため通勤を極力減らそうということで、在宅勤務が広がっています。そのような中、日本独特のハンコの文化が在宅勤務を阻害しているといった内容です。

社内文書を電子化する企業は多くなりましたが、決済関連の資料などで役職者の印鑑が必要とする企業はまだまだ多く、ハンコを押すためだけに会社に出ざるを得ない人たちの思いだと思います。

ハンコに代わる手立てが無いわけではなく、どうしても昔からの慣習を捨てることができず、感染拡大の大きな方策である、家にいることが出来ない状況を作り出しているのでした。

30年来の仕事のやり方が効率化の阻害要因

私が、ある土木、建築関係のコンサルタント会社の社長を務めていたときの経験です。

社員の仕事ぶりを見ていると、日々の業務の中で、今までやっていることだからということで、無駄なことをやっている事例に出会いました。

ある日、海外事業を担っている本部の課長が承認伺いに私の席に来ました。

内容は、あるプロジェクトの「契約締結承認伺い」でした。つい1,2 週間前にも同じプロジェクトで、同じような承認書が上がってきたなと思い、その人に尋ねると、それは「応札承認伺い」とのこと。

さらに、私から「応札時点と契約時点で金額は大きく変わっているのですか」と尋ねました。答えは、「それほど変わっていないとのこと」。では、社長まであげる意味があるのですかとの問いに「30 年来このスタイルでやっています」との回答がありました。

この答えを聞き、常に、毎日忙しいといっている部署でなぜこのように、業務を煩雑にしているのか疑問を持ちました。

仕事の効率化を目指そうとすれば、応札時と契約時点で大きな変化が無ければ、本部内で承認すればよいことで、わざわざ社長まで持ってくることはないはずです。

社内の規定を変える必要があるということですが、無駄なことを排除するために、なぜ規定を変えようとしないかが次の疑問となりました。

それ以来、社内の慣習的に仕事をすることで効率が落ちている課題をあげてもらい、業務の簡略化に必要な規定類などについてはすぐに見直し、実行していきました。

このようなことを繰り返す中で、効率化の意味合いに気づいた社員が、常に慣習を疑う意識を持ち、仕事に従事するようになりました。

「早くからやりたかったものの、なかなかに時間がなかった」というのが言い訳で、30年間しみついた慣習の不具合に気づかないようになってしまっていたのではと思っています。

まとめ

長く続いた慣習は、なかなかにその悪さを見出すことは難しいことともいます。ハンコの文化の悪さも、今回のコロナ禍の中で顕在化したことだと思います。

私の経験でも、仕事にどっぷりつかってしまった人には、なかなかに今までの仕事のやり方の悪さは見えてこないことが多いようです。

今、一段と「働き改革」が望まれている中、今回のコロナ禍を契機に、ハンコだけでなく、何が仕事の効率化を妨げているのか、よく考える機会であると思っています。