今の状況に不安があるとき

知恵と工夫で困難を克服-43年の会社生活からの教訓-

新型コロナウイルスの感染が続き、外出の自粛要請があり、在宅勤務や観光の抑制などで、家にいる時間が長くストレスを強く感じている人が多いというニュースを度々聞きます。

そのような中で、今までの仕事のやり方を見直し、在宅でも明るく仕事ができるよう工夫しようとする取り組みがなされています。

このように、多くの人が工夫して、今の困難な状況を乗り越えようとしていますが、さらに続く厳しい状況をいかに乗り切ればよいのでしょうか。

作家吉村氏は、その著書「漂流」の中で、難局をいかに乗り越えるかについて書いています。

小説は、八丈島のさらに南にある孤島で、生きるために必須の水と食料の確保で苦しみながら、13年間という長い月日を仲間たちと知恵を絞りながら生き抜き、ついには日本に戻ることを可能にした漂流民の話です。

私も、自分が所属する組織の存続が危ぶまれていたときに、仲間と知恵を出し合い、起死回生の試みを行うことで、その難しい時期を乗り切った経験があります。

今回は、吉村昭氏の作品と私の経験から「困難を乗り切るうえでは、知恵と工夫が大切」について紹介します。

衆知を集め無人島からの脱出をかなえた漂流民

小説「漂流」は、江戸時代中期、土佐の船乗り長平が、積み荷を目的地に届けた帰路、土佐沖で暴風に会い、帆柱、舵が消失する中、江戸から南約600㎞離れた鳥島に漂着したときの脱出に至るまでを描いた話です。

主人公である長平は、他の3名とともに島に漂着しましたが、長平以外の3人は1年ほどで死んでいきました。

その後、一人で暮らすようになり、孤独感から一時は精神的に参り、入水自殺を試みることもありましたが、そのたびに強い意志を持ち、生き抜いていきました。

数年たち、同じように漂流してきた、大坂および薩摩の船の船乗り14名とともに、島のそばを通る船を唯一の救助の可能性と頼み、暮らし続けました。

ここでは、島に沢も湧水もなく、飲料水の確保に不安を抱えている中、水を十分確保するため、雨水を貯める池を作ることを決意し、作り上げるまでの漂流民の努力を紹介します。

穴を掘る道具もなく、水が漏れないようにする材料もない中、島に生える木々などを活用し、皆の持つ衆知をかき集め、池を作り上げるのでした。

結局、頼ることのできるのは、雨水だけであるという意見に一致した。幸い、島の降雨量は多く、しかも四季を通じて極端な差はなく、むしろ平均していると言っていい。それをたくわえる大きな貯水槽—–池があれば、問題は解決するのだ。

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池を掘ることは簡単だが、そこに雨水がたまることは不可能に思われた。砂礫は溶岩が粉状になったもので、たちまち雨水を吸いこんでしまうにちがいなかった。

「底をシックイで塗りかためたら、どうだろう」

薩州船の重次郎が珍しく口をはさんだ。かれは、玉島港で臨時に雇われた男で、栄右衛門たちの生地である志布志浦に近い秋月の者であった。

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「いい思いつきだ。たしかに漆喰を池の底にぬれば、水が吸われることはふせげるだろう。しかし、漆喰をつくることはできぬと思うが——」

長平は、頭をかしげた。

「いや、できぬことはない。私の家では、老いた父親が漆喰をつくるのがうまいが、決してむずかしいことではない。私も作り方を見ているから、作ってみせる」

重次郎は自信ありげに答えた。

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眼前の池は、夢でみた湖とは比較にならぬ小さなものだが、それが自分たちの作り上げた池だと思うと深い感慨をおぼえた。

たしかに、池の底には、少量であるが水がたまり、その上に霧雨が落ちている。漆喰は十分に水洩れをふせぎ、雨水をたくわえている。五年半前に島に漂着してから初めて眼にする、真水のひろがりであった。

さらに降雨がつづけば、池は満々と水をたたえ、飲料に困ることは皆無になるだろう。池は重次郎の漆喰作りの指導に負うところが大きいが、衆智を集め労力を惜しまず働けば、このような事業も可能になる、とあらためて思った。

(吉村昭著 漂流)

その後数年たち、待てども姿を見せない船をあきらめ、長平は自分たちの手で船を作り、島から脱出することを計画しました。

ちょうど、薩摩の船が漂流した際に、鉋(カンナ)や鑿(ノミ)ほか船を作る道具を携えてきていたのが役に立ちました。

また、これらの道具のほか、釘を作るための鞴(フイゴ)などを自力で作成し、冬の暴風時に島に流れ着く木材を集め、船を作り出しました。

3年の時をかけ船が出来上がり、鳥島を脱出し、青島経由で八丈島に至り、全員、自分の生国に皆帰ることが出来ました。

救いに来る船の姿は見えず、日本に帰ることに暗雲が立ち込める中、強い意志を持ち、漂流民全員の衆知を集め、一人ひとりが生きていくための工夫をし、ついには生国へ帰ることを可能にした人間の姿が描かれています。

関係者の衆知を集めて困難な海外案件を受注

私が、土木、建築関係のコンサルタント会社に出向し、一部門の長として働いていたときの経験です。

その部門では、発展途上国の発電所の開発に関わる、設計、建設に関わるコンサルティングが主たる収入の柱となっていました。しかし、部門の収支は悪く、赤字が続いている状況でした。

このまま赤字が続いた場合、会社としてその部門を縮小もしくは廃止するということも聞いており、早期に赤字経営から脱局する手立てを講じる必要がありました。

数年前までは継続的に案件を受注していたものの、競争会社の強力な受注展開などにより、ここ数年は大型なプロジェクト案件については、失注することが続いていました。

そのような中で、中国で建設される大型の水力発電プロジェクトのコンサルタントが募集される見通しとなりました。

このプロジェクトに関しては、私が出向前にいた会社が建設した水力プロジェクトの技術的な経験が活かせる案件で、そのことをアピールすることで、わが社が優位に立てる見通しがありました。

受注すれば数年は仕事が続くプロジェクトであり、その後の案件獲得にも活路が開ける案件でした。

この案件を受注することの重要さについては、競合会社も十分に認識しており、激しい受注合戦が展開されることが考えられました。

この案件を必ず受注するという覚悟のもと、過去の応札に関わる仕事のやり方を大幅に変えて挑戦することとなりました。

まずは、発注元である、発展途上国の関係者に当社の技術的優位性を理解し、関心を持ってもらうため、大掛かりな技術PRを行うこととしました。

今回対象となる発電所建設にあたっては、技術的に解決すべき大きな課題があり、その課題解決にあたっては、親会社の発電所開発の経験が活かされることが分かっていました。

このため、これまで頼ることの少なかった親会社に相談し、経験者の協力を得、その技術力をフルに活用し、当該国関係者の関心を得ることに尽力しました。

そのほか、プロジェクトに従事する要員も、幅広い視野で選定しました。さらに、応札金額に関しても、細部にわたってコスト削減を行い、これまでにない労力と知恵を働かせ準備を進め、応札しました。

時間をかけた発注者との良好な関係作り、一人ひとりの細部にわたるプロポーザルづくりでの配慮が功を奏し、その案件を受注することが出来ました。

部門が存続するか否かの難しい状況でしたが、後ろ向きにならず、常に前向きな思考で、仲間と衆知を集め、この難局を克服することのできた貴重な経験でした。

まとめ

現状、コロナ禍で不自由な生活を強いられている人が多くいる中、いろいろ工夫をして明るく生きていこうとする取り組みがなされています。

また、職種の違う人たちが、その能力をシェアすることで、困っている人を支援する取り組みなど、皆が知恵を出し合って、助け合っていこうとする話もよく聞きます。

一方で、このような難局の中、不安を抱え、精神的に弱くなってしまっている人たちも多くいるという話も聞きます。

そのような中、作家、吉村氏が描く漂流民が示した、“何とか活路を開いていこうという前向きな姿勢”が、いま我々には求められているのではないでしょうか。

そして、難局を乗り切った人たちは、変わっていく社会の中でも、明るく、しかも強く生きていくことが出来るのではないでしょうか。

今まさに、強い意志を持ち、衆智を集め、生きていく時なのではと思っています。