モチベーションをアップしたいとき

仕事でのやりがいを継続するには-社長経験からの教訓-

前のブログ「やりがいを持つ仕事は夢を語る社長のもとで」では、人生の大半を仕事に費やす中で、その仕事の中に喜びを見つけることが、モチベーションをアップし、仕事を終えた時の達成感も充実したものになること。

そして、やりがいをもって仕事をするためには、夢を語る社長のいる会社で働くことが有効であることを紹介しました。

では、仕事のやりがいを継続するためにはどうすればよいのでしょうか。

作家、辻堂氏は、その著書で、意味のないことを続けることはできず、意味を見つけることが人生にとって重要であることを書いています。

私も、長い会社生活で、こんなことをやっていて何になるのかと思いながら仕事を続けたことがあります。また、その仕事に意味を見つけ、日々やりがいを感じながら時間がたつのを忘れて、仕事に従事した経験があります。

そのような経験から、会社の社長になったときに、社員にやりがいを持って働いてもらうことを重要な経営上の課題としており組んできました。

今回は、辻堂氏の作品と私の社長経験から「仕事にやりがいを持ち、それを継続するためにはどうすればよいか、その方法」について紹介します。

意味を感じられない事は続けられない

小説「風の市兵衛」の舞台は、江戸時代末期の江戸です。主人公、唐木市兵衛は、10代の頃に剣の修業をおさめ、風の剣とよばれる技を使う剣術使いとなりました。

しかし、10代後半に、今後の世の中では、商家、農家をはじめ領国の経営こそが大切になるとの思いから、剣の修業を終わらせました。

それからは、算盤をたしなみ、商家で経営を学ぶなどして、経営の実際を学び、武家や商家の経営の支援をすることに、生きがいを見つけました。

江戸へ出てからは、武家や商家に半年とか1年の任期で用人として雇われ、そこで、日々のやりくりに苦労する雇人を助け、立ち直りを図ることを生業としています。

雇われた家では、家のやりくりをする上で、必ず、悪徳者が絡んだ問題が存在していました。

市兵衛は、やりくりの指南とともに、その問題の解決のため剣を使うこともたびたびでした。

ここで紹介する一節は、市兵衛がある旗本家に雇われ、そこで問題解決のために活躍を始めた時の話です。

20数年経て、江戸に戻った市兵衛が、13歳で家を出て以来初めて、兄にあたる旗本の中西信正と対面し、語りあうのでした。

兄の「なぜ剣の修業をやめたのか」との問いに、市兵衛、は剣の修業を止め、算盤で生業を建てるようになった経緯を兄に語るのでした。

(片岡信正)「—–剣はどこで修業した」

(市兵衛)「南都興福寺で、十八まですごしました」

「昔、上方に風の市兵衛という風の剣を使う若い侍がいる噂を耳にしたことがある。おまえのことだと思っておった。風の剣とは、どういう剣だ」

「戯(ざ)れ言です。風の剣など、ありません。—–風の剣とは、所詮、言葉の綾です。心得、と言ったほどのものです」

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「その後は——」

「大坂で商いと米作りと酒作りの修業をいたしました」

「剣はやめたのか」

「ただひたすら強おなる。剣にそれ以上の意味を見出せなかっただけです。意味のないことを人は長くは続けられない、それを剣の修業で学びました」

「商いと米作りと酒造りに、意味を見出せたのか」

「己が算盤をはじいて稼ぎを手にしたとき、己が耕した土地に実った白い米を食ったとき、己が醸し手をかけた酒を呑んだとき、己が世間に生きてあることの喜びを知りました。その喜びを言葉にすると、生きる意味になりました」

(辻堂 魁著 風の市兵衛)

市兵衛は、剣術に天賦の才がありながら、そこに生きる意味を見出せず、算盤で金を稼ぐこと、米を作ることなど、物を生み出すことに生きる意味を見つけたのでした。

任せてもらうことでやりがいを感じ仕事を完遂

 建設所に勤務していた30代初めの頃の経験です。

ダム建設に従事し、私はダムに付帯する構造物の設計を担当していました。

ダムの基礎部に監査廊という、将来のダムの監視にあたるトンネルを設けますが、その設計を担務しました。

基礎の一部に構造物を設けることが難しい箇所があり、どのようにトンネルを配置するか、構造はどうすべきか、難しい設計となりました。

建設所の経験が初めてである私に、この設計が任されました。上司に相談することはありましたが、荷重の設定、トンネルの構造などはみな私が設計するように指示がありました。

他のダムの設計事例を調べたり、各種の解析をしたりしながら設計を取りまとめ、上司の判断を仰ぐと、その設計で施工を進めるとのこと。

若手である自分に設計を任せてくれ、さらに、その設計が実際に構築されるということで、その仕事が終わったときには、大きな達成感を感じました。

また、仕事を実施している間は、やる気十分で、夜遅くまで仕事をしていても疲れを感じないほどでした。

このような、素晴らしい経験をしたことが、60代になり、社長を経験したときに役立ちました。

報酬だけではモチベーションは維持できず

私が社長を務めた会社では、受注の多くを依存していた顧客の事業の低迷を受け、その後の売り上げが大幅に減少することが懸念されていました。

社員の給与も削減しなければならず、社員の中には、将来の生活に不安をおぼえる人が多くいました。

このため、社長としてまず取り組んだのが、業績を回復し、社員の不安を払しょくすることでした。

これまでの事業のあり方を大幅に見直すことで、2年ほどするとその成果が見えだし、これまで以上の売り上げと利益を確保することが見えてきました。

この実績を踏まえ、社員の報酬も元に戻すことができ、社員の将来の生活に対する不安をぬぐうことができました。

このことで社員のモチベーションも一段と上がるものと期待していましたが、それから1年たった時に実施した、社員の会社に対する満足度調査で、意外な結果が出ました。

「処遇に対する満足」は増えたものの、「仕事に対するやりがい」という項目では、前と変わらない結果となっていました。

この原因を探るため、世代を問わず面談を実施したり、懇談会を開催したりしました。

その結果、若手から中堅の社員から多く聞かれたことが、自分が担務する仕事への関心が薄いこと、また、達成感が感じられないことでした。

そのようなことが明らかになったことから、一人一人の社員が担う仕事にやりがいを持ち、仕事が終わったときに達成感を感じられる仕事のやり方への取り組みが始まりました。

仕事に意味を見出すことでやりがいが継続

やりがいを持つうえで留意したことに、その仕事に能動的に関わることがありました。

改革を始めるまでは、上司から与えられた仕事を、ただ指示に従って、いつまでに仕上げる、といった、受動的な仕事のやり方でした。

また、受動的な仕事のやり方であったため、なぜ自分がこの仕事をやっているのか、その仕事が、会社にとって、また、社会にとってどれほど有意義なことであるかが、明瞭になっていないという社員からの意見が多くありました。

このため、まず、社員が参加するプロジェクトをなぜ会社が実施するのか、そして会社としての社会への貢献を明確にしました

そして、そのプロジェクトの中での社員の仕事の位置づけ、意味合いを明確にしました。これにより、社員一人一人の、そのプロジェクトでの立ち位置を明確にすることができました。

また、社員が達成すべき目標とスケジュールを明確にし、目標の達成度に応じて報酬も変わってくるようにしました。これにより、社員の仕事に取り組む姿勢を高まり、仕事が終わったときの達成感も増すようになりました。

このような方策を取り始めて、2年たった頃には、社員が仕事に向かう姿勢も以前とは全く異なったものとなりました。

まとめ

人生の多くの時間を会社生活で送るとき、やはり、従事する仕事にやりがいを持ちたいと思うのは当然のことと思います。

仕事にやりがいを感じ、成果が社会に貢献することができるとの喜びがあれば、一段とモチベーションが上がり、さらに自分を磨いていこうとする意欲も増してくると思います。

日々の生活を維持するうえで、報酬は基本的な要因だと思いますが、それだけでは満足感は得られません。

その仕事に自分が担う意味合いを見出すことが大切で、その意味合いを持つことができれば、長く仕事に従事できると思っています。