上司、リーダーの役割

自信過剰な人の仕事の特徴-会社生活43年からの教訓-

組織のトップに立つと、当初は慎重に事を進める人でも何年か経つと自信を持つようになり、自分なら何でもできると思ってしまうことがあるようです。その過剰な自信が墓穴を掘ることもあります。

作家、藤沢周平はその著書で、天保の改革を主導した老中、水野忠邦がある施策を、反対がある中、断行しようとしました。しかし、忠邦が自信をもって取った行動が、最終的には失敗を招く結果となり、自信過剰の行動が失敗を招く事例を紹介しています。

また、ゴーン会長の解任から後任の西川社長の退任に至る、日産のガバナンスの問題についても、両経営者が、日産のトップになったことで、自分は何でもできるといった過信から通常では許されない行為を平然と行ってしまったのではないでしょうか。

大企業なり、大きな組織のトップばかりでなく、組織のトップになることで、大なり小なり同じようなことになる可能性があることを私も経験しました。

今回は、藤沢周平の作品、日産の経営上の問題および私の会社経験から「自信過剰の人が仕事で冒す失敗」について紹介します。

自信過剰な人が陥る失敗

小説「義民が駆ける」は、江戸後期の幕府老中、水野忠邦が画策した、川越藩、庄内藩、長岡藩の3藩の国替え、いわゆる三方領地替えを題材にしています。

財政に苦しむ川越藩は、経済状況の良い庄内藩への転封を画策し、幕府の上層部に賄賂を贈るなど画策します。

将軍家斉の命を受けた老中水野忠邦は、長岡藩を巻き込んで、川越藩の意向をかなえようとします。

1840年ころ、水野忠邦は、川越藩、庄内藩、長岡藩の三方国替えを画策し、その実施を各藩に通告しました。

その知らせを受け、藩主を慕う庄内藩の農民たちは、その取り下げを願い自らの判断で老中らへの直訴を行うため江戸に向かいました。

国替えの通告は出されたものの、庄内藩の農民の動きから、周辺の諸藩からも同情的な意見書が老中のほうへ出るなど、その実施をためらう機運があり、なかなかに実施には至りませんでした。

時間もたち、行動に移る時が来たと思った老中水野忠邦は、国替えの最終的な根拠となる証拠を集めるよう配下の江戸町奉行に指示を出しました。

その調査を町奉行に任せることとした水野忠邦は、二人いる町奉行から、自分に抵抗的な人を避け、自分が江戸町奉行に任命し、自分の意図を全うするであろう人物、矢部氏を選びました。

しかし、三方国替えのきっかけとなった根拠に疑問を持ち、庄内藩に同情を寄せる矢部氏は、水野老中の意図とは異なった行動を取ります。

矢部氏は、最終的にその国替えになる根拠が不純であることを確認し、国替えが無理強いであることを評議の場で説明するのでした。

結局、評議では国替えは取りやめとなり、水野老中の思いは打ち砕かれることとなりました。

老中首座となり、何でも自分の思うままに事を進めることが出来ると思った忠邦が、最後の段階で逆転を許すことになりました。

ここで紹介する一節は、自分の思いを打ち砕かれた水野老中が、述懐する場面です。

 “「しかし矢部を町奉行にしたのは、儂じゃ。まさか、楯つきもしまい」
それは事実だった。忠邦は矢部の才幹を認めていたから、既往にこだわらず失脚した筒井のあとに据えたのである。

斉昭の推挙は聞いたが、だから登用したわけではない。
だが忠邦にそう言わせたのは、権力の座にいる者の、肥大した自負かも知れなかった。

小普請組支配の閑職から、もう一度日が射す場所に引き上げてもらった矢部が、どのようなことであれおれに刃向かう筈はない、と忠邦は思っていた”
――――――
“―矢部に嵌められた。
憤怒が突き上げてきたのは、それからなおしばらく後のことだった。

怒りは、矢部の意図と人物を見抜けなかった自分にも向けられている。三方国替えの実施には、幕閣の対面がかかっていた。

だから辛抱してここまで運んできたのだが、最後にきて、一瞬の間に逆転を喰らったようだった。この失策は、いずれ高いものにつくかも知れないと、忠邦は思いながら、なお茫然と坐り続けていた“

引用:藤沢周平著 義民が駆けるから

日産トップの自信過剰が招いた経営混乱

日産をV字回復させ、経営の神様とまで言われたゴーン会長が不正行為で解任され、その後を継いだ西川社長も、問題のある報酬を受け取ったことで辞任せざるを得なくなりました。

これも、日産のトップが持った過剰な自信が、問題ある行為に走らせてしまった事例と思っています。

9月12日の日経新聞朝刊では、その二人について、以下のように書いています。

 日仏両政府の思惑も絡む日産ルノー連合をどう運営していくのか。ゴーン被告は個人の力を過信して独裁に陥った。

西川社長は指名委員等設置会社への移行など企業統治改革の歯車は進めたが一部の人間だけで決める体質は変えきれなかった

職位がもたらす過信が組織の運営の障害に

ダムの建設所の課長を務めていたときの経験です。課長という管理職になり、現場の責任者になるとともに、多くの権限が与えられたと考えていました。

権限があるということで、つい、自分にその実力が付いたと過信してしまいました。現場で判断しなければならないときも、周りの意見よりも自分の意見を押し通し、トラブルを招くこともありました。自らの意見を押しとおそうとすることが、目立つようになっていたようです。

その状況を見ていた上司がすぐに私のところへ来て、両手のこぶしを鼻に重ね、厳しく話しました。

「お前のその天狗の鼻をへし折ってやるか」というのが、その言葉でした。

まさに、課長になったからといって、まだ実力もないのに調子に乗るんじゃないぞというありがたい言葉であったと思います。

自信過剰を戒め社員に寄り添う姿勢で経営

60歳代になり、土木建築関係のコンサルティング会社の社長になり、事業を成長軌道に乗せることを目的に、今までの経営を変えるため改革を実行しました。

社員の理解を得るためいろいろな場で改革の必要性、思いを話しました。

何回も自分では社員に向け話をしたつもりでいましたが、改革を始めて2年目の頃だったと思います。社員の間に理解が浸透していない事実に出会いました。

部長クラスの人とあるプロジェクトに関して話をしたときのことです。

その部長がいきなり「社長がずっと言いたかったことはそういうことだったのですか。今初めて思いがわかりました」とのこと。

良いことを進めているといった自信から、話が一方的になり、社員を置いてきぼりにしてしまっていたのでは、と強く反省しました。

それからは、方策を立て、何かことをなそうとしたときには、社員が納得するまで、話し合いの場を持つよう努力しました。

まとめ

トップに立つことで、謙虚さを忘れ過剰な自信から通常では考えられないことに手を染めてしまうことの事例を紹介しました。

大きな組織に関わらず、上に立つ者は、常に常識を持ち、周りの人の意見を求めて、判断を下す必要があるようです。