仕事で行き詰った時

慢心が招く自らの危機

会社などで、何か一つのことをやり遂げ、周りの人もその成果を評価してくれるようになると、自信がつき、仕事も面白くなります。

一方で、自信がつき過ぎて、今までのような真摯な姿勢を忘れてしまい、視野が狭くなってきてしまうことが多々あります。これは、自分が慢心したことの現れで、そのような状況下では、自ら危機を招くことがあります。

今野敏は、その作品の中で、優秀な警察官がわずかな警察官しか選抜されないポストに就き、周りから「エース」と呼ばれ初めた頃から、人の意見に耳を貸すことができなくなり、窮地に追いやられてしまう姿を描いています。

また、そんな姿を見た上司の一言によって、今の自分が慢心していたことに気づく様子もえがかれています。

私も、ダム建設に従事していたときに、自らの慢心のため、トラブルの発生を抑止できなかった経験があります。そして、そんな私に注意してくれたのも、直属の上司でした。

今回は、今野敏氏の作品と私の経験から「慢心によりもたらされる危機とその対処法」について紹介します。

人の声を聞かなくなる慢心の恐ろしさ

小説「ロータスコンフィデンシャル」は、全国の公安の情報(インテリジェンス)を収集統括する「ゼロ」と呼ばれる組織の一員である倉島が主人公です。

倉島は「ゼロ」の研修を終え、警視庁外事一課第五係に所属しています。選ばれること自体難関といわれる「ゼロ」の研修を終えたことから、倉島は周りの人から「エース」と呼ばれるようになりました。

第五係に異動してしばらくすると、倉島の態度にも当初の緊張感が薄れ、慢心から来る余裕の姿が見られるようになりました。

そのような中、以前、極秘の情報収集を一緒に行った、他部署の若い警察官から、ベトナム人の暗殺に絡み、ロシア人が関与しているのではないかという話が届き、その警察官から、情報収集を始めるよう要請がありました。

その警察官からの情報が漠然としていたこともあり、ロシア人に関する情報収集にも熱が入らず、他部署にいる知り合いに情報を求めるだけにし、本格的な調査に乗り出すことのない倉島でした。

そんな、これまでと違う倉島の姿を見て、同僚の先輩公安員である白崎が倉島に代わって、ロシア人の調査に乗り出しました。

翌日、白崎からの連絡が途絶え、行方が分からなくなったことから、倉島はやっと、状況が悪化していることに気づくのでした。

ここで紹介する一節は、先輩である白崎が、倉島の慢心を指摘してくれているにもかかわらず、それに気づかない倉島の姿です。

白崎が廊下で立ち止まったので、倉島もそうするしかなかった。

「ヴォルコフが殺人に関与しているとは思わないといったね?」 白崎にそう言われて、倉島はうなずいた。

「ええ、そうですね」

「片桐の意見を、無視するということか?」

「無視ではありません。ちゃんと伊藤に調べさせています」

「俺が知っている倉島は、怪しいと思ったら真っ先に突っ込んでいって、徹底的に調べるやつなんだがな———」

倉島は苦笑した。

「確証があれば調べますよ。でも、ヴォルコフに関しては不確かな話ばかりじゃないですか」

「不確かだから調べる。そうじゃないか」

「とにかく、自分はヴォルコフに関わる気はありませんから—— 」

「そうか」

白崎が言った。「じゃあ、おれが調べるが、文句はないな」

「そりゃ文句はありませんが——」

 

白崎が、ヴォルコフの調査に入った途端、白崎の行方が分からなくなり、公安の方で、問題が顕在化していきました。そのような中、倉島は、これまで、前向きに調査を行わず、かってに他部署の人材を使っていたことで、上司の叱責を受けるのでした。

ここで紹介する一節は、自分の慢心から、危機を招いた倉島が、上司からこれまでの行動について叱責を受ける場面です。

 もしかしたら、作業班(ゼロに所属するメンバーが情報収集を行うこと)作業班を外されるかもしれない。いや、それ以前に、公安から飛ばされるのではないか。そんな思いがあり、後頭部が痺れるくらいに不安になった。

佐久間課長がさらに言う。

「何か言うことはありますか」

「考えが足りませんでした」

「そのとおりです。しかし、それだけではありません。あなたは、作業班に入り、慢心していたのです」

 頭を殴られたくらいの衝撃を受けた。倉島は、その一言で、ようやく気づいた。

 白崎はそのことを指摘してくれていたのだ。倉島はそれに気づかなかった。それは、白崎を見下していたからだ。

 慢心は恐ろしい。

佐久間課長が言った。

「しばらく謹慎というのが、妥協な措置だと思いますが—— 」

(今野敏著 ロータスコンフィデンシャル)

慢心から招いたトラブル

これまでも、何回となく紹介した、私が、30代でダムの建設に従事していたときの経験です。

ダムの建設の見通しがたった頃に、ダムに付帯する構造物を新たに建設する必要が生じました。課長としてその構造物の現場の設計責任者に指名されました。

構造物が完成し、水を貯め始めたときに、トラブルが発生し、何回かの調査と、補強工事を経て、その構造物を完成させることができました。

その構造物に発生したトラブルの原因は多岐にわたりますが、自らが設計に従事したときの姿勢に問題があったことを、構造物が完成したときにつくづく感じました。

その時の反省の言葉として思い浮かんだものに、ひらがなの一つひとつに反省の思いを込めた「ま・あ・い・か・はやめにしよう」というものがあります。

“ま”は慢心のま、“あ”は安心のあ、“い”は依存心のい、“か”は過信のかです。そして、「まあいかはやめにしよう」は、妥協することへの戒めです。

ここでは、慢心について、私が反省した事例を紹介します。

私が従事した構造物は、世界でも比較的珍しい工事でした。このため、海外の実績や、国際的な工法に関する論文を建設所の所長を筆頭に読み漁りました。

これらの資料を基に、構造物の設計を進めていったことから、我々が、この分野では日本の先端を行っているのでは、という意識が強くなりました。これが慢心の初めでした。

日本では珍しい工法ということで、多くの技術者が工事の現場に視察に訪れるようになりました。

既に、自分が一番この工法については知っているといった慢心が染みついていたので、来る人、来る人、その質問にはさらさら答え、さらに、もらった意見についても右から左の耳へ素通りする感じで、頭に入っていきませんでした。

そのような時、別の部署にいた先輩が「こんなにうまく行くことがあるのだろうか。何か忘れてしま っていることはないのか」というようなことを現場で話しているのが気になりました。

また、「お前のように自信過剰なやつは、天狗の鼻をへし折る必要があるな」とも話していました。しかし、 出来上がっていく構造物を見るにつけ、そのようなことはすっかり忘れてしまいました。

注意を喚起してもらったものと思いますが、その時は何にも気が付きませんでした。こんなことも慢心のなせる業だと思います。

いよいよ水を貯め始めたところ、その構造物に予想もしていなかったトラブルが起こり始めまし た。

そして、最初に、そして最後までわれわれの前に立ちふさがったトラブルが、その先輩が 指摘してくれた箇所で起こったのでした。

慢心により自らに危機を招いてしまった経験で、大勢がプロジェクトに参加している中で、自分がといってはおこがましいところがあり ますが、あんなふうに流暢に来訪者に対して説明していたことが恥ずかしくてしょうがありません。

そして、そのようなトラブルが再発する困難な状況下で、やはりその先輩からいわれた「お前の天狗の鼻をへし折ってやる」という言葉を思いだしました。

その言葉の意味するところは、慢心を捨て、もっと謙虚になれとの教えだったと思います。

その後は、自然に対しても、人に対しても謙虚な姿勢をとることができるようになり、何とか、トラブルを解消できました。

人に説明する以前に、もっと現場を見て、成すべき事を成す。人の指摘は素直に聞き、 得るものがあれば直ちに従う、それでも心配な点があれば事後の備えをして最後の時を 迎える。こういった大切さを幾つかの経験から教えてもらいました。

まとめ

人は一つのことを成し遂げ、それなりの責任あるポストに就き、周りからちやほやした目で見られるようになると、どうしても自分の能力におぼれ、慢心してしまうことが多いようです。

そして、この慢心により、謙虚さが失われ、人の言うことを聞かない、大胆なことを深く考えもせずやってしまい、自ら危機を招くことがあります。

どのような立場になっても、常に謙虚な姿勢を保ち、慢心することを避けることで、一段と人は成長していくものであると私は強く思っています。