上司、リーダーの役割

部下を指導し、育成する方法―上手に叱る-

上司が部下に対し厳しく接するとき、上司の姿勢に二つのケースがあります。

部下の態度もしくは成果が気に食わず、怒鳴り散らし、部下には、この上司はいったい何を言っているのか理解できない場合が一つ。

また、部下もまずいことをやってしまったと意識しているときに、厳しい言葉であるものの、上司が、なぜ問題が起きたかを説諭する場合が二つ目です。

前者が「怒り」、後者が「叱り」で、怒りには、教育的なところは何もありませんが、後者には、「何とか成長してもらいたい」という上司の気持ちが表れています。

作家、宮城谷氏はその著書で、たった一度の怒りにより相手と不仲になり、将来に禍根を残すことになった例を挙げています。

私も、職場で、ただ部下のことを考えないで「怒る上司」と、何とか部下を成長させたいと考え「叱る上司」の違いを見てきました。

今回は、宮城谷氏の作品と私の経験から「部下を指導し、成長させるための方法として、上手に叱ることの大切さ」について紹介します。

怒りは部下の指導育成にはならず

小説、「風は山河より」の舞台は、西暦1500年代前半の戦国時代の三河を中心として地域で、主人公は、徳川家康の祖父にあたる松平清康です。

岡崎城を主城とする清康は、駿河、遠江国の戦国大名である今川氏の力が衰えつつあるのを機会に、東方に陣を進め、東三河を攻め落としました。

さらに、勢いに乗った清康は今川勢の熊谷氏が守る宇利城に攻め込みました。

松平家の宗主である清康は、叔父である松平内膳正と松平右京亮の二人を大将にして攻撃を仕掛けました。

右京亮が先陣を切り攻め込みましたが、敵の反撃に会い、討ち死にしてしまいます。一方、戦巧者の内膳正は、戦況を見続け動こうとせず、弟の右京亮を助けようとしませんでした。

戦端が一時止み、諸将が大将清康のもとに集まった際、清康は、内膳正が弟を助けなかったことを怒り、叔父である内膳正を面罵しました。

面罵された内膳正は、このことを不快に思い、その場を離れるとともに、二度と清康に会うこともなく、また、協力することもなくなりました。

結局、清康が叔父、内膳正を面罵したことが、のちに清康とその家に凶変を招くことにつながっていくのでした。

ここで紹介する一節は、清康が怒りを抑えきれず、内膳正を面罵したときに、内膳正がどのような思いを抱いたかを書きあらわしています。

さすがの清康も(宇利城を)攻めあぐんで、足もとがみえるうちに兵を引いた、
—————
清康の怒りは収まらない。この人がこれほど怒ったのは、これが最初で最後であったにちがいない。
叔父の内膳正を面罵したのである。
「右京亮が不利となり、助けが必要であるのをよそに見て、一国にもかえがたい右京を討たせてしまった。——」
生まれてこのかた、これほど痛罵されたことはいちどもない内膳正は、顔を赤くした。恥じたのではなく、怒ったのである。
—– 小僧に、いくさがわかろうか。
おそらく内膳正はそう思ったにちがいない。—–ついでにいえば、これ以降、内膳正信定は清康のもとに姿をあらわすことはなかった。
—————
(清康家臣)「この君は、神仏が人間の姿をしているのだ」
そういうものさえいた。
もはや親戚をはばからなくなった清康の意向を家臣たちは痛感したのであろう。
ところで中国の古典に「老子」があり、そのなかに、
—善く戦う者は怒らず。
と、あり、戦いのうまいものは怒らないものだ、
ということであり、それを、争わざるの徳、という。清康がここで怒ったことは、宇利の熊谷氏よりも大きな敵をつくったことになり、争わざるの徳を欠いたといえようか

出典 宮城谷 昌光著 「風は山河より」

怒りは部下の離反を招くのみ

ある職場で、たびたび部下を呼びつけて大きな声で叱責している課長がいました。

隣の職場にも聞こえる声で話していますが、なぜ怒っているのかよくわかりません。当然直属の部下は何が問題化は理解していると思いますが。ではどうしたらよいかは全く分からず、ただ立たされている苦痛しか味わっていないのではと見えました。

結局、ただ怒るばかりで、部下を指導しようとしない、その上司についていく部下はいなくなり、ラインの職を追われ、スタッフとしてその課長は働くことになりました。

部下がふがいないと思うと、つい、怒りが先に立つことがあるかと思いますが、そこは、我慢し、部下に対しては、何が問題化をしっかりその叱りの中に含めて話してあげる姿勢が上司には必要である、と勉強した経験でした。

部下を指導する上手な叱り方-相手の気持ちを思う―

私が30代の頃のある建設現場でのことです。

上司は、人との交わりを大切にされる方でした。現場には時々お客様が視察に来られることがありました。上司は、お客様が帰られるとすぐに、お礼の手紙を書いていました。

あるときから、その手紙を私に書くように指示がありました。原案を書いてもっていくと、「何を言いたいのか、これではお客様にはわからないだろ」とか、「書き出しも、何もないじゃないか」とか、さらに「手紙を書いたことがあるのか」といった叱責が飛びました。

最終的には、「これではだめ」といって、突っ返されるのが常でした。

何回かそのようなことを繰り返すと、やっと、修正を入れて「これで出しておけ」ということで、その件が落着しました。

このようなことが続き、自分には他にもやることがあるのだから、上司が自分で書けばよいものを、とかいろいろ不満がたまる日々でした。

その上司のもとを離れ、他の職場に異動し、ある部門の責任者となりました。

対応すべきお客様も多くなり、自分自身で手紙を書くことが増えました。あるとき、手紙を書くことをいとわず、比較的まめに手紙を書いている自分に気づき、驚きを感じたことがありましたが、これも、あの時の上司のおかげかと、そのとき気づきました。

その上司が退職し、しばらくたってから近況をその上司に送ろうと手紙を書いたところ、早速返事が返ってきました。

その返事には「若い時は、下手な手紙を書く君だったが、うまい手紙を書くようになったな。これも年のおかげか」と、書いてありました。

この上司の例のように、部下を指導するときに叱ることがありますが、その部下を信頼し、何とか成長させてやりたいと思う気持ちがそこには必要です。

まとめ

職場にいて、怒りをぶちまける上司とは極力距離を置くべきと思います。

しかし、上司によっては、その怒りが教育的なものであることが多いものです。よく、その上司の言動を見極め、もし、それが自分を鍛えてくれる意図のある叱りであるならば、謙虚に、その教えを学ぶ姿勢も大切だと思います。

また、上司は、決して自分を満足させるために、怒りを部下にぶつけることはするべきではなく、何が問題であるかをよく説明し、部下を成長させてやりたいという思いを持ちを持って叱ることが大切です。