仕事で行き詰った時

苦労した経験と成長-会社生活43年からの教訓-

「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉は、よく聞かされたことがあると思います。

私も、会社の入社式のときに、部門のトップからこの言葉を聞かされたことを今でも覚えています。そして、このことわざが、まさに真を突いているなと、長い会社生活の中で強く思っています。

私がお付き合いした先輩や同僚の中で、本当にこの人は苦労してきたのだな、と思い当たる人がいます。

そして、これらの人がまさに技術的な面で優れており、学ぶことが多くありました。

また、これらの人たちが広い視野を有しており、組織のトップとして活躍している姿も見てきました。

さらに、これらの人たちに共通する日常的な姿として、ものごとに謙虚であることがあげられます。

このような人たちの中で、私が部下として直接仕えた先輩の例を紹介します。

また、宮城谷氏は、その作品の中で、私が紹介する先輩とは正反対の例として、苦労をせず、悩むこともなく育ったまま王を継いだ中国古代の公子が、敵国との戦争に遭遇したときのみじめな姿を書きあらわしています。

今回は、宮城谷氏の作品と私の会社生活での経験から「苦労した経験が、その後の成長の基礎になる」について紹介します。

苦労を知らずに育ち難関に立ち向かえず

小説「香乱記」の舞台は、秦の始皇帝が死に世の中が乱れ始めた、紀元前3世紀の古代中国です。 始皇帝の後を継いだ二世皇帝は統治能力がなく、中国各地で反乱の火の手が起こりました。

そのような動乱期の中で、秦の時代以前の斉の国王の子孫である田氏を名乗る兄弟二名とその叔父が、中国東北部の斉の国を再興しました。

この作品の主人公で、三代目の王となる田横は、初代の王、田儋(でんたん)とその息子の田市を支え、知力と胆力を発揮し、斉の国の再興とその後の斉の国の運営に尽力し続けました。

引用した一節の場面は、斉が秦の猛将の攻撃を受け、初代斉王である田儋がその戦いで死に、その子の田市が斉王を継いだときの話です。

斉の都、臨淄(りんし)を攻撃された田市は、今まで苦労することなく育てられ、そのため、自らの知力で、危機をしのぐことが出来ずにいました。

軍の先陣を任されていた田市は、自軍の将軍から、兵力の数からも絶対に負けることはない、と聞かされました。

ここで紹介する一節は、そのとき田市が取った行動を書きあらわしています。

このことばも耳孔のなかで消えた。

わたしは勇気をためされているらしい。

そういう意識が田氏にはあり、それがかん事であった。田市は豪族の嫡男として生まれ、ひとたびも窮屈さを感じることなく成長した。

口角からでたことばは、またたくまに家人が実現してくれた。それもあって、田市には自分の能力や器量の限界をみさだめようとするこころみをもたず、そのための機会も求めなかった。

要するに田市には自分の知力あるいは体力をつかってしなければならぬというものがなかった。家が存在し、自身が存在すれば、現状は永久に不易であると錯覚した。

だが、時運に馮(の)って父の田儋は斉王となり、田市の住居は王宮となった。あいかわらず田市の口角からでることばは、臣下が実現してくれたが、はじめて違和感をおぼえた。

じつは田市が未知の他人と接するのは、それが最初であるといってよく、いままで考えたこともない自己について意識するだけで居心地が悪かった。さらに田儋を喪ったことで、田市ははじめて戦乱の烈風にさらされた。臨淄から逃げる途中で実感したのは、

——-人とはうすきみの悪いものだ。

ということであった。—–田市は斉王の嫡男なのであり、実体よりも名称が先行してゆく。稔熟していない心身が、名称にひきずられているようである。

(宮城谷 昌光著 香乱記)

斉王である田市は最大のリスクに遭遇し、その組織のトップとして立ち向かわなければならない状況でした。

しかし、何も苦労することなく、やりたいことをやり通して育てられ、自分の能力を試すことが出来ず、結局、その戦いから逃げ、斉都である臨淄を放棄してしまうのでした。

苦労をすることなく育った人が、組織をリードしうる人材にはなれないという事例でした。

トラブル対応での苦労が幅広い視野を育む

私は、土木技術者として多くの先輩技術者と出会う機会がありました。そして、それらの先輩の幾人からは、物を作るときの心構えについて、多くのことを学びました。

その先輩たちに共通していることは、土木構造物の築造に従事した時に、多くの苦労を経て構造物を完成させた経験があることです。

ここでは、「香乱記」の公子とは正反対の事例として、苦労を経験した先輩土木技術屋から私が何を学んだかを紹介します。

私が、若い時に建設工事の現場でトラブルを抱えていたときのことです。

トラブルの対応で、私が所属していた現場の技術者だけでは人手が足りず、よその部署から応援に来てもらうことになりました。

その後、長くお付き合いすることになった先輩も上司として赴任してきました。

その先輩技術者が、常に口にするのが「自然に対してつねに謙虚になれ」という言葉でした。,

トラブルの対応がほぼ終わり、余裕が出来たときにその言葉のいわれを先輩に聞くことがありました。

その先輩は大きなプロジェクトを支える土木構造物の建設工事の現場の責任者を務めていました。工事が完了し、実際にその構造物に荷重がかかるようになると、構造物に変状が生じました。

そのままでは、通常の運用に差支えがあるということで、その原因を探り、対策を講じることになりました。

その原因を探ることに時間を費やすとともに、その対策工事においても苦労を重ねました。しかし、その苦労を同僚、先輩たちと乗り越え、何とか工期に間に合わせて構造物を完成させ、通常の運用にこぎつけることが出来ました。

原因を探るときには、種々の要因が考えられ、なかなかに原因がつかめなかったことだったそうです。一つ一つトラブルの事象と調査結果との関係を見極めつつ、真の原因を突き止めていったとのことでした。

また、トラブル対応の工事においても、今までに経験したことのない厳しい条件下での工事でもあり、思うように工事が進まなかったこともあったようです。

それらの苦労の中で、仲間たちと知恵を出し合い、工法に改良を加えるなどして工事を進め、完了することが出来たとのことです。

私が話を聞いたときの最後に、「自分の勝手な考えで原因を探ろうとすると、真の原因にはなかなかたどり着けないこと。そのようなときには、謙虚に自然に立ち向かうことで、最終的な原因にたどり着くことを学んだ」と話していました。

その先輩は、その後も、いくつかのトラブルを解消する役目を担い、土木部門の技術のスペシャリストとして、また、我々の部門のトップとして、組織をリードしてくれました。

苦労を重ねることで、技術を磨き、さらにはものごとを見る視野を広げることができることを証明してくれた事例と思っています。

まとめ

宮城谷氏の作品から、苦労を経験しない人材が組織のトップとして機能しないこと、また、私の経験から、苦労を若い時に経験することで、リスクへの対応時の視野が広がり、人としての謙虚さも併せ持つようになることを紹介しました。

目の前に現れた苦労については、ことわざのとおり“買ってでも担う”ことで、人としての幅広い能力が身に就くことは間違いないようです。