上司、リーダーの役割

成長には失敗経験が必要-会社生活43年からの教訓-

会社生活では、失敗することなく仕事を進め続ける人もいれば、失敗して苦しむことを経験する人もいることと思います。

失敗することなく、失うものもない会社人生と、失敗しながらもなんとかそれを乗り切っていく会社人生のどちらで、人は成長していくのでしょうか。

宮城谷氏は、その作品の中で、若い時代に境遇に恵まれない中にあっても、その境遇を糧にして、将来に望みを託す主人公が成長していく姿を描いています。

私自身も失敗を幾度か経験しましたが、上司のある言葉で、失敗を乗り越えることができ、そのときに多くのことを学びました。

周りにも、失敗を経験した人がいますが、順調に会社生活を送った人より、それらの人のほうが成長し、大きな仕事についているように思っています。

今回は宮城谷氏の作品と私の経験から「成長するためには、失敗することも必要」について紹介します。

失敗し失うことがあっても必ず成長の糧を得られる

小説、「草原の風」の舞台は、紀元前6年から57年の中国で、主人公は後漢を起こし、初代帝王となった劉秀です。

劉秀は二十代のとき、まだ自分の進む道が定まらずにいました。日頃の行いに秀で、徳の高い劉秀は、叔父に進められ、常安(長安)に留学しまた。しかし、留学後に何をするか、どこに住めばよいか、その後のことはまだ決めていませんでした。

留学を終えても、すでに長男のいる叔父の家には戻ることができず、実家に戻ることもためらわれ、孤独感を強めるのでした。

しかし、そのような境遇にあっても、劉秀は、失うものがあればこそ、その分得るものがあると思い直し、将来に期待を寄せるのでした。

ここで紹介する一節は、劉秀が、失うことばかりを経験した二十代の劉秀の将来に向けた決意を述べる場面です。

—–独りになったなあ——。

と、劉秀はつくづくおもう。劉秀の頭上はるかにある天空は、まだ冬の色であるが、十二月が最首なので、すでに新年の天空である。その天空をふりあおいだ劉秀は、

—–冬にいて、春を待つ心が、自分にふさわしい。

と、あえて意(おも)った。が、長い冬というのが自分の二十代であるように予感した。

————

—-昔、叔父にあずけられた時点で、こうなることはわかっていたではないか。

劉秀は自分の未来が暗く閉じられてゆくという予感をふり払いたかった。人は何かを失えば、何かを得られる。多くのものを両手でかかえて生まれ育った者は、それらを落とさぬようにするだけで、新たなものを得ることができない。そう想えば、

—–この両手は、天を支え、地を抱けるほど空いている。

と、劉秀は己の両手を見つめた

( 宮城谷 昌光著 草原の風)

 

失敗がなければ人は成長しない

これも『草原の風』からの引用です。

国の安定を求めての、劉秀の戦いが続いており、帝都である咸陽をのぞき平定が進みました。

その咸陽では、同じ劉姓を名乗る帝王がその地域を治めていましたが、その統治は乱れ、せっかく前帝王を退出させたにもかかわらず、民の生活は苦しくなるばかりでした。

国の安定を望む劉秀は、そのように乱れた咸陽を自分の手に収める必要を感じ、咸陽に向け軍を進めることになりました。

咸陽攻撃のための手立てを全て整えた劉秀は、それでも失敗を恐れ、出陣することに一抹の不安を感じます。

しかし、その失敗を乗り越えてこそ成長を続けられるという強い信念が、劉秀を突き動かしました。

劉秀自身はまだ腰をあげない。

—–打つべき手は、すべて打った。

それでも人には疎漏がある。というのは劉秀の認識であり、その疎漏によって失敗させられるかもしれないが、その失敗がなければ、人は上達しない、劉秀はおもっている。

失敗を恐れすぎると、決断が鈍る。

むしろ失敗は大いなる教誨となる、とおもえば、おのれの判断と実行に勇気をそえることができる。

( 宮城谷 昌光著 草原の風)

天下に乱立する英傑との戦いに、失敗を恐れることなく挑んだ劉秀は、結局、天下統一を図り、光武帝として、後漢王朝をひらくのでした。

失敗を指摘する厳しい上司の下で成長

ある土木構造物の建設所職場で、構造物の設計関係の仕事をしていたときの経験です。

私が設計した検討書は、すんなりと上司の承認を得ることができましたが、その上司が異動となり、新たな上司のもとでつらい時期を迎えました。

その理解の良い上司が去り、その後に、技術的に優秀な人であるという評判の高い人が着任し、数年その人の直接の部下として仕事をしました。

構造物を設計するうえでは、考えられる荷重に対し、安全であることが第一条件ですが、施工コストを最小にすることも重要な要素でした。

どのように安全な構造物に設計したか、代替案は他にないか、また、コストを下げる工夫はどのようなことを考えたのか、いろいろ検討し、その経緯を明確に示す必要がありました。

設計を完了するためには、自分なりにこれらのことを検討し、取りまとめ、上司の承認を得ることが必要でした。

しかし、すんなりと上司の承認を得ることができたことはまれでした。「論理的な展開が不十分でこれでは人を説得できない」というのが第一声でした。

上司から指摘された、論理的な展開を見直して再度持っていきました。すると、次は「さらにコストを下げる方法があるはず」ということで、承認を得るまでに、上司の席に通うことが続きました。

設計書の作成にたびたび失敗し、上司の信頼も失せて来たのではということで、「もういい加減にしてくれ」、「担当者を代えてくれ」と、思ったことが何度もありました。

それでも、少しずつ検討書の内容がよくなっていくことは自分でもわかってきたこともあり、あきらめることなく上司通いを続けました。

この上司が指摘する問題点についての繰り返しの検討により、論理的な考え方などの能力が身についたことは確かでした。

このように、最適な設計を得るまでに、失敗を繰り返し、あきらめずに挑戦することで人は成長するものであることを学んだ建設現場での経験でした。

自分の失敗経験が部下の成長を助けることに

建設所での経験を経て10数年後に、自分も管理職となり、判断を下すポストに就くようになりました。

その部署で設計する内容については、他部門と調整することがたびたびありました。

部下が持ってくる検討書を見ると、どうしても納得が得られません。

論理的な話の進め方がおかしく、とても他部門の理解を得られないことが度々ありました。

部下に理解できない点をよく伝え、再度の修正を求めました。

私同様、部下もまた「やり直しなんと面倒なことを」と嫌気がさしたと思いましたが、他部門との調整、さらには、部下の成長のため、そのようなことを繰り返しました。

そのような経過を経て仕上げた検討書をもとに、他部門との調整を進めましたが、多くの場合、相手から具体的な質問、意見が出て調整がうまくいったことを覚えています。

また、やり直しを言いつけられた部下もまた、成長してくれたものと感じることができた経験でした。

そのようなことで鼻を高くしましたが、振り返って思えば、若かったときにあの厳しい上司の下で何回かやり取りした経験が、今、生きているのだと改めて思っています。

まとめ

会社生活で、失敗なんかしないで済むのであればそれにこしたことはないと、私も若い時に思いました。

しかし、いざ社会に出、長い会社生活を送る中で、失敗を経験することで、また、苦労を経験することで人は育つということを、つくづく経験しました。

私の土木技術の大先輩の言葉です。

1回ぐらいの失敗は許されるものだ。そこか何が怖いかということを勉強してもらえばよいのだ」と。