モチベーションをアップしたいとき

将来の夢や目標があれば我慢できる

最近、「今の若い人は我慢ができない」という話を聞くことがよくあります。

さて、振り返ってみると、自分が若い時にも上司から、自分も含め「お前ら若い連中は我慢が足りないぞ」と言われていたような気がします。

では、我慢が足りないというのはどのような状況で生じるものなのでしょうか。

何か将来の目標に向け、面白い仕事に従事しているときには、煩わしいことがあっても、これを処理すればと思い、我慢するという意識なく対応できるのではないかと思います。

作家、堂場瞬一氏も、その作品の中で、若い人が我慢できないのは、将来の夢や目標を持てていないからと書いています。

私も、社長に就任したときに、仕事に面白さを感じることができず、ただ、仕事をこなすだけの状態に陥っている若い社員を見かけました。

何とかしようといろいろ試みましたが、結局、社員それぞれに目標を持たせることで、仕事に興味をもち、生き生きと仕事を進めるようになりました。

今回は、堂場氏の作品と私の社長時代の経験から「将来の夢や目標を持つことが、仕事を進める上でいかに大切か」について紹介します。

夢を持てば我慢できる

「警察(サツ)回りの夏」は、ある殺人事件をきっかけにした、新聞報道のあり方を問う小説です。主人公は新聞社の地方局に勤める記者、南です。

山梨県で幼い娘二人が殺害される事件が発生しました。母親が姿をくらましてしまったことから、母親の犯人説が噂されます。

同期との出世競争に後れを取っているのではと考える、日本新報社の記者、南は、何か特ダネ記事を取りたいと焦っていました。

その南に対し、ある所轄警察署の幹部刑事から、母親が近く逮捕されるとの情報を得、記事に乗せる時間がなく、追加の確認をしないまま記事にしました。

しかし、翌朝、記事が公になると、警察署から、その情報が誤報であるとの発表があり、南は追い詰められていきます。

その記事が公になる前から、この事件はネットの世界で強い関心を集め、この誤報以来、日本新報社は非難の標的になります。

新聞社としての姿勢を明らかにするため、社長の小寺の指示もあり、外部委員による調査委員会が設けられました。

委員長には、50年前に新聞記者を務め、その後、マスコミの専門家として大学教授となり、現在は閑職にある高石が勤めることになりました。

高石をはじめとする調査委員会の委員の熱心な調査、聞き取りにより、この事件の真相が明らかになる中、誤報記事に関して隠された罠があることがはっきりしてきました。

ここで紹介する一節は、委員会の報告書が出来上がり、その報告を兼ねた会議が終わり、委員長である高石と社長の小寺が、報告書の公開を受け、今後のこの事件に対する新聞社の方向性について語りあう場面です。

そこでは、追い込まれながらも執拗にこの事件の真相を追う南記者を話題に、昔と今の記者の気質の違いが語られる中で、夢を持つことで、苦しい状況を我慢することができるという、高石の言葉が紹介されています。

 (高石)「今のあなたの様子からは想像もできませんが、当時は事件取材も真面目にやっていたんですね」

(小寺)「それはそうですよ」小寺が苦笑する。「新人でしたから、目の前の仕事を一生懸命やらないと、後々自分の好きな取材はできない。入社した時に持っていた目標のためには、多少の不便や不快なことは我慢するものです」それは先生も同じだったのでは?」

高石は無言でうなずいた。このごろの若い連中は、その「我慢」ができないのが問題である。高石がマスコミの世界に送り出した教え子たちも、最近は簡単に辞めてしまうことが多い。

もちろん、合わない仕事を無理に続けることはないのだが、辞める原因は、「我慢が足りない」ではなく「想像力の欠如」ではないかと高石は疑っている。今の仕事が辛くても未来の可能性を想像できれば、何とか耐えられるものだ。

もっとも、そもそも「目標」も「夢」もないのかもしれない。甲府支局を訪れた時の、静まり返った雰囲気を思い出す。若い記者たちはまるで、日々の仕事を無感傷にこなすことだけが、唯一の生きる道だと思っているようだ。

(堂場瞬一 警察(サツ)回りの夏)

 

将来の夢を持つことで、それを実現したいという希望が持てれば、若い人でも生き生きと仕事に励むことができ、我慢という言葉も忘れるはずだと、作者は暗に書いています。

目標を持った社員の生き生きと働く姿

今回の事例も、幾度となくこのブログで紹介した、私が、土木建築関係の設計コンサルティング会社の社長に就任したときの経験からです。

この会社は、大手企業の子会社であり、親会社の設備の設計を担当する会社でした。

親会社との結びつきが強く、会社の多くの仕事は、毎年度、親会社の関係部門から発注される業務でした。

そのようなこともあり、社員にとっては、あてがいぶちの仕事が多くなり、社員はどうしても受け身的な姿勢が強くなり、その分、やりがいを見つけることが難しい状況でした。

また、私が社長になったときに、親会社からの受注が急減するという状況に見舞われ、将来的な不安を社員が感じる状況となっていました。

このため、社員のやる気は低下し、会社を辞めていく社員も増え始めました。

この社員の不安、やる気の低下の克服が、就任早々の私の大きな仕事のひとつとなりました。

受注が減ることで、将来の生活に不安を抱く状況への対応については、既にこのブログで紹介したように、親会社に頼らず、親会社以外の企業からの受注を増やすことで、売り上げの上昇を果たし、徐々に解消していきました。

一方、社員のやる気を向上させることについては、時間がかかりました。

社員との懇談会や、アンケート調査などを繰り返し、どうすれば、社員のやる気を向上させ、仕事に生きがいを感じるようになってくれるか、経営幹部との議論が続きました。

その結果、到達した解決策は以下の通りです。

  • 会社として将来目指す理想の姿が明確にすること
  • その理想の姿を目指し、会社全体の長期的および短期的な目標を明確にすること。
  • その目標に基づいて、各部門の目標を明確にすること
  • さらに、各部門の目標に基づいて、個人の目標も明確にすること
  • 各社員の目標達成のために必要な、技術、能力強化を図っていくこと

会社が将来どのような姿になりたいか、社員全員で議論し公表しました。その理想の姿に向け、各個人が目標を持つことで自分がなすべきことが明確となりました。

これにより、今まで上からの指示待ちで仕事していた受動的な姿勢が変わり、自ら動き始めるという、能動的な姿勢がみられるようになりました。

その頃から、社員が仕事に従事する姿も生き生きとしたものとなりました。

やはり、各人がそれぞれに将来の目標を持つこと、その達成に必要な技術、能力は自らの意志で強化していくことで、仕事に立ち向かう姿勢が変わったのだと思います。

そしてそのような職場には、“面倒くさい”とか“我慢が足りない”といった言葉の入る余地は無くなった気がしています。

まとめ

 「若い人は我慢が足りない」という言葉は、いつの時代にもあり得ることだと思います。そこには、堂場氏が書いている通り、将来の目標なり夢がなく、今の仕事に充実感を得られないことがないことが大きな原因であると、私の経験からも感じています。

上司、リーダーといわれる人はこの点を理解し、まず、部下に将来の夢なり目標を持ってもらうように、リードしていくことが必要なのだと思います。

また、若い人たちも、やるべき仕事の意味を考え、そこに自分としての興味をもち、能動的にその仕事に挑んでいく姿勢が必要なのではと思っています。