仕事で行き詰った時

先人の知恵―困難な中で湧き出る知恵、工夫(深良用水の建設から)―

以前にこのサイトで、「もだえ、苦しみの先に成長が」と題して、プロゴルファー、中嶋常幸氏の言葉と私の経験を紹介しました。

もだえ、苦しみの先にさらなる成長が(中嶋 常幸 日本経済新聞、私の履歴書より)スポーツをしていて、半年前は負けることがなかったのに、急に勝つことを忘れ、戸惑ってしまうことは、多くのスポーツマンが経験したことと思いま...

江戸時代に建造された土木構造物の建設の時の困難を知ると、まさに、困難の中から様々な工夫と知恵が湧き出てくることを学びます。

20年以上前に、江戸時代に開発された深良用水を視察する機会がありました。

トンネルの中を見、その当時の技術者の苦労話を聞いたとき、苦労、困難の末に完成した用水の建設に刻まれた様々な工夫、知恵のすばらしさに驚きを感じました。

今回は、深良用水の建設に携わった技術者たちが、困難の末に生み出した知恵や工夫の話を紹介します。

深良用水とは

深良用水は、江戸時代前期に、静岡県裾野市(旧、小田原藩深良村)地域の灌漑用に、芦ノ湖の水を通すため、掘削された隧道です。

芦ノ湖から裾野市まで、延長 1280m(断面:幅約 2m、高さ約 2m)の隧道を掘り抜いたもので、 徳川 4 代将軍家綱の時代、1666 年と言いますから、今から 340 年以上前に建設に着手 し、3 年半の歳月と 7300 両の費用を費やしたと言われています。

現在もこの用水は灌漑、飲み水に利用されているばかりでなく発電にも利用されています。

火薬の無い時代に、いかに隧道を掘進するか

深良用水は、1 年に 2 回、隧道の内部を点検しています。

20 年以上前になるかと思いますが、私もこの点検に立ち会う機会を得、その時に、隧道内部の状況を全線にわたって見るとともに、現代のような、掘削技術がない時代にどのように隧道を掘りぬいたか、当時の建設の様子を聞かせてもらいました。

当時は、火薬などない時代でもあり、岩盤の掘削は、岩の割れ目にのみを入れ掘り起こしていくことで掘削しました。岩の表面に割れ目がない場合には、薪を燃やし、岩の表面を焼いて高温にし、水をかけて急冷することにより、強制的に割れ目を作って掘削を進めたと聞きました。

隧道の断面を見ると、現在のトンネルのようにきちっとした形には出来ておらず、 掘り易さに沿った形状になっていたのが印象的でした。掘削した岩はコンクリートなどで保護されていませんでしたが、崩れることなくしっかり保持されていました。

隧道の両側から掘り始めた隧道が、1メートルの誤差で貫通したことにびっくり

隧道の掘削で重要なことは、水の取入れ口と排水口の両方から掘り進んだ場合に、 両方から掘り進んだ隧道を、ずれることなく合流させることがあげられます。

当時は、現在のような測量技術がないことから、山の尾根沿いに、トンネルの延長に沿う形で提灯を並べ、夜間、両方の口から方向を見定め、掘削の方向を確認しながら岩堀を進めたとのことでした。

実際、その合流点を見てきましたが、穴はきちっとぶつかり合い、高さ方向に下流側が 1m 程度高い状態で掘削されていました。

現在のような測量技術のない時に、これほどの精度で隧道を掘り上げたことに心底、感心しました。

掘削時の換気のため別ルートの隧道を掘削

掘削時には、トンネル内の換気が重要になります。

深良用水の場合には、本体隧道の上部に、ある間隔で空気坑が掘り上げられていました。

坑夫の安全を確保するという観点からも、行き届いた施工がなされていたことを裏付けるものでした。

火薬の無い世界での掘削、測量機械のない中での掘削方向の精度の確保など、その時代にある技を駆使し、工夫と知恵で1280mのトンネルを掘った先人の技術力に頭が下がる思いをしたのを今でも覚えています。

まとめ

深良用水の建設に感動していた時、ちょうどある講演会でアサヒビールの名誉顧問をされている中條氏の講演会の話を聞く機会がありました。

その中で、氏は「ハングリー、失敗の時、神様は多くの気付きを持ってくる」と話されていました。

我々も、事をなす時に安易な策に向かわず、高い目標、困難な目標をかかげて物事に取り組むことが必要で、目標達成のために苦労する中で、工夫、知恵がわき出てくるものなのかなと、この深良用水の話を書きながら思っています。