仕事で行き詰った時

危機時の対応はどうする-会社経営10年からのアドバイス(その2)-

前回のブログでは「危機時の対応はどうする (その1)」と題して、危機に際しては、その組織のトップである社長やプロジェクトマネージャーが、一人で悩むのではなく、関係する皆で知恵を出し合うことが、活路を開く道であると書きました。

では、そのように組織のメンバーが知恵を出し合える風土をつくるためにはどうしたらよいのでしょうか。これが、今回のテーマです。

そのためには、プロジェクトを率いるトップが、“いかに知恵を出し合える組織を築き上げることができるか”が重要な点と思っています。

「はやぶさ2」プロジェクトでは、6年前に地球を離れ、その後、約50億㎞を飛行して地球に帰るという快挙を成し遂げました。そして、このプロジェクトのマネージャーを務めた津田雄一氏も、知恵を出し合う組織を作り上げた方であると思います。

津田氏のその著書「はやぶさ2 最強ミッションの真実」で、いろいろな分野から集まった人たちの知恵を集めるために、プロジェクトマネージャーとしていかに努力したかを紹介しています。

一方で、私が若い時に経験した職場では、そのような雰囲気とは違った様相を示していました。優秀なトップのもと、集まったメンバーがトップに頼り切り、なかなかに自分の意見を言えない雰囲気が出来上がってしまいました。

また、私がある会社の社長になったときには、社員にわくわく感を持ってもらうために、いくつかの方策を講じました。

今回は、津田氏の著作と私の経験から、組織の風土の違いが、「知恵を出し合える組織」作りのどのように影響するかを紹介します。

「やってみなはれ」精神を奨励するプロジェクトマネージャー

「はやぶさ2」は、20104年に地球を旅立ち、6年間におよそ50億㎞を飛行し戻ってきました。

このプロジェクトでは、2004年から検討が始められ、カプセルが地球に戻ってくるまでの間、多くの難題がプロジェクトチームに突き付けられました。

その一つ一つについて、計画を狂わすことなく課題を解決し、プロジェクトチームは12月6日を迎えることができました。

その間、JAXAをはじめとして、関係するメーカー、大学などいろいろな機関の関係者が集まり、難題の解決に対応してきました。

難題解決にあたっては、常に挑戦的に、前向きに、そして意見を出し合うことも遠慮することなくプロジェクトを推進してきた、とプロジェクトマネージャーの津田雄一氏は、その著書「はやぶさ2 最強ミッションの真実」の中で紹介しています。

このように、いろいろな組織から集まった人たちの心をまとめ、前向きに、しかも面白がってプロジェクトを進めるチームを率いてきた津田氏の言葉には、難局を乗り切るうえでの秘訣が込められていると思います。

ここでは、津田氏の著書から、その点に関していくつかを紹介します。

“はやぶさ2プロジェクトの面白いところは、こういう「磨き合い」をしていると勝手に参戦を望む輩がわらわらと現れてくることだ。

軌道計算で腕に覚えのあるJAXAメンバーや、軌道決定を担当する富士通などのメーカー担当者が、自分の計算によるとこうです、と勝負を挑んでくる。はやぶさ2の飛行の信頼性は、こういった太陽系飛行を面白がって「嗜(たしな)む」人々に支えられている。”

“プロジェクトというのは恐ろしい。面白いと思って挑戦的な目標を設定しても、それが計画になった瞬間「義務」となり苦痛になる。難しいプロジェクトになればなるほど、目標の最低ラインへの近道を見つけ出し、そこにぎりぎりひっかかるだけの活動になりがちだ。

しかし、それでは、はやぶさ2の魅力は激減する。—–あっぷあっぷしながら成功のボーダーラインをなんとかクリアする、というような活動になるのはまっぴら御免だった。

そのための処方箋は、場外乱闘の余地を残しておくこと。「やってみなはれ」精神だ。私ははやぶさ2の制約を超えた内容の研究を奨励し、あわよくば運用に組み入れる余地があることを公言した。

この話に、たくさんの若手や学生が乗ってきた。古株のメンバーが決めた計画通りに動くだけでは、責任ばかりが重くなって面白くないが、はやぶさ2には”遊ぶ“余地がある。火がつきそうなところに積極的に点火して燃え上がらせて回る、というのが私のしたことだった。”

このように、若手を含め、難題解決のためには、意見を戦わせる土壌を築くことが、そのときにトップがなすべき大切なことであると思います。

また、こうした土壌があれば、もう一つの難局を乗り切るための手立てであった。“知恵を絞りきる”ことも可能になるのではと思います。

優秀なトップのもとで均一化してしまった組織

私が30代で、ダムの建設工事に携わっていたときの経験です。

ダム建設工事が順調に進んでいた工期も半ばを迎えたころに、ダムの付帯設備として、追加で大きな工事を進める必要が生じました。

その時点で建設所のトップが変わり、多くの人があの人は優秀であると評判している所長が転勤してきました。

技術力もあり、判断力もあり、追加の工事を工期内に完成させるには適任であると、建設所にいた我々は思いました。

その所長のもとで部下として勤めていたのは、20代後半から30代の若いメンバーで、私が一番の年長者でした。

急いで設計を取りまとめる必要があり、我々が検討書をもっていくと、所長からはすぐに問題点が指摘され、修正するように指示が出ました。我々部下は、テキパキ仕事を進める所長に対し、何となく遠慮があり、指示されたことに反論することなく仕事が進みました。

このようなことが続くことで、あえて自分から意見を言わなくても所長が判断してくれるという状況になっていき、難しい課題があっても、自ら挑戦しようという行動をとることも少なくなっていきました

時間もなく、処理すべき課題が多くある中、時間をかけ、それなりに苦労しながら設計を完了しました。

しかしその時感じたことは、仕事を終えた達成感よりも、これで終わったという安堵感の方が強く、仕事の面白さを味わうまでには至りませんでした。

そのような経験があり、自分が部下を持つようになると、組織を動かすうえでは、部下が仕事に面白さを感じ、やりがいを持ってもらうことが大切である、と考えるようになりました。ことを学んでいきました。

そして、社長となったときに、組織の活性化のためには社員が何でも言える風土づくりが大切ということで、この若い時の経験を教訓として、いろいろな方策を実践しました。

自ら考え判断できる組織作り

私が、土木建築関係の設計コンサルタント会社の社長になったときの経験です。

社長を務めた会社は、その当時、売り上げが伸びず、将来の成長見通しもないこともあり、経営改革を進める必要がありました。

そのような中で、社員の意識改革が重要な経営課題の一つでした。

そして、この意識改革を進めるうえでは、前述の若い時の建設所での経験が生きることになりました。

難局を乗り越えるためには、社長をはじめ経営層が頑張っても成果が出ないことがはっきりしていました。社員一人ひとりが、自ら考え、判断していく組織づくりが急務でした。

このためには、社内のコミュニケーションを活発化し、誰もが意見を言える組織づくりが必要でした。何でも話せる組織づくりのため、全社員参加のワールドカフェを開催し、社員の意見の取り込みを行いました。

また、部門単位での懇談会を開催し、組織を変えてくための意見交換を行い、社員から出てきた、必要と思われる意見については、迅速に対応するようにしました。

このような施策が功を奏し、短期間で、職場の雰囲気が変わり、業績もアップしていきました。

まとめ

2回のブログを通して、難局に出会ったときに、いかに組織としてその難局を乗り切るかについて、私の経験、高田氏の小説、そしてはやぶさ2のプロジェクトマネージャーの津田氏の著書から紹介しました。

一点目は、トップをはじめ、関係者が遠慮することなく、知恵を出し合うことです。

二点目は、メンバーが遠慮することなく意見を出し合えるような土壌を築き、そのテーマに皆の関心が集まるようにすることであると思っています。

この意見を出し合える組織が作れるか否かは、その組織のトップのありようが大きく関わってきます。

今後、大きく働き方が変わり、動きの速い社会環境となる中、このような組織で仕事を進めることが一段と必要になると思います。

そういった意味で、津田氏のように、意識して、そのような組織を作り出そうとすることが、上司の役割だと思います。