今の仕事に疑問がある時

問題解決ができない理由と弊害―姑息な対応―

仕事を進めているときに何らかのトラブルが発生し、自らの部署だけでは解決が難しく、会社内の他部署、さらには他の会社、組織を巻き込まなければならない事態が生じることがあります。

このような状況に遭遇すると、まず心理的に問題を早く解決しなければと、強く考えてしまいます。

その場合、実際に起きていることを全て詳細に話すと、関係する部署などで問題視されることが出てくるなどし、その対応で時間が取られる、もしくは非難を受けるなどを心配してしまいます。

その様な状況に置かれると、つい事実を簡略化、もしくは曲げて説明し、とりあえず関係部署の納得を得てしまおうとすることがあります。

いわゆる姑息な手段を講じてしまう誘惑に駆られてしまうのです。

では、姑息な手段を講じてトラブルを収束に向けることが出来るのでしょうか。

私の経験では、姑息な手段を講じることでさらにその上塗りの説明、対策を講じる必要が生じ、結局、周りの関係者からの信頼を失い、ことがうまく収まらなくなることが多いようです。

今野 敏氏もその著書で、姑息な手段で問題を解決しようとする姿勢を戒める話を紹介しています。

今回は、今野敏氏の作品と私の会社生活での経験から「問題解決ができない理由としてあげられる姑息な対応とその弊害」について紹介します。

問題の拡大を恐れ真実の共有を拒否することの弊害

小説「清明」は、東京の町田市で起きた中国人が絡む殺人事件において、主人公である竜崎神奈川県警刑事部長が、組織上の問題などを本質論で突破し、犯人をあぶりだしていくストーリーです。

被疑者が中国政府がらみの人間であることが判明し、捜査本部としては、どうしても公安部のほうから情報を入手する必要が生じました。

しかし、日本と中国の政府間の関係が悪化することを心配する公安部の関係者は、捜査本部で情報を話すことが情報漏れにつながることを恐れ、限られた幹部だけに話そうとします。一方で、竜崎刑事部長は、捜査本部全体としての情報共有が捜査の進展に必要と考えています。

ここで紹介する一節は、安易な考えで対応しようとする公安部の人たちに対し、強い言葉で隠すことなく情報を話すよう、竜崎部長が説得する場面です。

 (神山公安部外事二課)「捜査本部全体で共有するのだとしたら、我々は情報を提供することはできません」

「情報は共有しなければ意味がない」

すると相場(公安部外事二課)が言った。

「そんなことをすると、とんでもないことになりますよ」

一捜査員が部長に対していう台詞ではない。公安という立場がこういう発言をさせているのだろうと、竜崎は思った。

「とんでもないことというのは、どういうことだ?」

竜崎が尋ねると、相場はこたえた。

「日本と中国の国家間のトラブルに発展しかねないんです。その責任が取れますか?」

伊丹が驚いた様子で自分のほうを見るのを横目で見ながら、竜崎はこたえた。

「責任を取れというのなら取る。殺人の被疑者を確保し、然るべき法的措置を取ることが、私の責任を果たすことだ」

(今野 敏著 清明)

結局、竜崎部長の話を聞きいれ、公安部の人たちは情報をすべて話すことになりました。この情報のもとに捜査が展開され、短時間のうちに被疑者を逮捕することが出来ました。

姑息な手段は余計に問題をこじらせる

この項も小説「清明」からの引用です。

犯人逮捕に至りましたが、警視庁伊丹刑事部長と神奈川県警竜崎刑事部長の二人は、中国政府の関係者が殺人事件の犯人であったことを、マスコミにうそをつくことをよしとせず、上司の了解なしに真実を報道しました。

警視総監の了解を得ず、日本と中国との外交関係に影響する判断を下したことで、懲罰を受けることを覚悟していた二人でした。

しかし、総監からは、「事実をありのままに報道したことで、強気の外交姿勢が保てた」との、外務省からの話があったと、むしろ、その行動を称賛されることになりました。

ここで紹介する一節は、トップから良い感触の話を聞いた両刑事部長の会話です。

 公安総務課を過ぎて廊下に出ると、伊丹が大きく息をついた。

「ああ、ここに来るときはどうなるかと思っていた」

竜崎はこたえた。

「俺もそうだ」

「吉村(公安)部長の機嫌がよかったのは、総監にほめられたからだろうな」

「結局、隠し事などしないほうがいいんだ」

「いつもこういうふうになるとは限らない」

「警視総監も言っていたそうじゃないか。姑息なことはしないほうがいい、と——。へたな小細工をすると、よけいに問題をこじらせるんだよ」

伊丹は肩をすくめた。

「俺はおまえみたいに、割り切って考えられないんだよ」

「どうしてだ?そのほうがずっと楽だと思うぞ」

「世の中、そんなに簡単なものじゃない」

「シンプルに考えればいいんじゃないか」

(今野 敏著 清明)

問題解決にあたって、関係箇所が増えるほど情報を秘匿する傾向がありますが、結局、竜崎部長が話す通り、シンプルに考え対応することが、近道になるようです。

私がトラブルに遭遇した際の教訓は、このシンプルさを全うできず、問題を長期化してしまった事例です。

真実を明らかにしないことで問題解決が長期化

私が若い時に従事した建設現場での経験です。

工事も終盤を迎えたときにトラブルが生じました。工期も迫っていることから、早くに原因を突き止め、修復工事を進める必要がありました。

トラブルの原因になりそうな箇所を調査すると、いくつか原因とおぼしき箇所が見つかりました。

その中で、トラブル個所から離れていたところにも、もしかしたらと思うような箇所がありました。しかし、離れていることもあり、直接には今回のトラブルには影響しないだろうと、その時点で判断しました。

判断の背景には、そこまで修復の工事が広がった場合には、とうてい工期内に工事は終わらないのではという心配もありました。

また、工事が長期化すれば、工事の完成を待って、次の作業に入る予定の部署から何か言われるのではないかなど、いろいろ考えてしまいました。

その様なこともあり、修復工事は、まずはトラブル個所近辺の事象を対象に行い、早めに問題を解決してしまおうという判断に至りました。

修復工事が終わり、品質検査のため、構造物に正規の荷重をかけることになりました。

荷重がかかり始めしばらくすると、構造物に異常が見られはじめ、改めて調査を実施することになりました。

再度、原因調査をすると、前回、あえて見逃した箇所で同様な事象が起きており、これがトラブルの遠因であることが、念入りな調査の結果、明らかとなりました。

この箇所を含め、再度修復工事を行うことで、構造物は荷重をかけても構造物は変状を見せることなく完成しました。

結局、最初の調査時点で、よけいなことを心配せず、離れた箇所の事象をトラブルの遠因であると判断していれば、修復工事を2度繰り返すこと無く、工期内に工事を完了させることが出来たのにと、強く最初の調査の時の判断を後悔した経験でした。

まとめ

なにか、ことを進めているときに、想定と異なった、それまでと変わったことが発生した時には、生じていることに真摯に向き合う必要があると思っています。

時間がないとか、上司や関係部署の信頼を失うとか、いろいろ判断を惑わせることが頭を駆け巡り、つい、姑息な手段を講じてしまいがちです。

この姑息な手段を講じることでどうなるかといえば、結局、今野敏氏が書き記すように、“よけいに問題をこじらせる”ことになると思います。