今の仕事に疑問がある時

多様性のある組織に現れる効果-43年の会社生活からのアドバイス-

企業の環境問題や事業の継続性などが求められ、また、ITの進化で働き方が大きく変わっていこうとしているいま、会社を取り巻く事業環境の変にスピード感をもって対応していくうえでは、多様性の必要性を今ほど求められている時代はないのではないでしょうか。

では多様性とはどのようなことを言うのでしょうか。また、多様性のない組織ではどのようなことが起こるのでしょうか。

司馬遼太郎氏は、その作品この国のかたち」の中でこの多様性の弊害について論じています。

また、歴史学者の関幸彦氏は、遠山美都男氏と山本博文氏との共著の中で、組織に異端児がいることの効果について、鎌倉幕府の官僚大江広元を通じて論じています。

私自身も、若い時に従事した建設現場で、メンバーの考え方が均一的な職場であったために、考え方が偏ってしまい、起こりうるリスクを組織として予測できなかった経験があります。

ここでは、組織における多様性の効果を、司馬氏と関氏の作品と私の経験から紹介します。

多様性のない均一組織の弊害

「この国のかたち」は、司馬遼太郎が、1986年から絶筆となる1996年までの間、歴史随筆として、取りまとめられたものです。

「この国のかたち 1」の中の“江戸期の多様さ”に書かれています。

江戸時代徳川幕府のもと300の藩それぞれが個性と多様性をもっており、その多様性差が、明治の統一期の内部的な活力を生んだと論じています。

一方で、司馬氏が取り上げた30年前の日本の社会を取り上げ、むしろ国全体で、均一になる方向に進んでいくことで、国力が衰弱することを懸念していました。

ここで紹介する一節は、司馬氏が指摘した均一性の弊害です。 

「今の社会の特性を列挙すると、行政管理の精度は高いが平面的な統一性。

また文化の統一性。

さらには人々が共有する価値意識の単純化。

例えば、国を挙げて受験に熱中する単純化へのおろかしさ。

価値の多様状況こそ独創性のある思考や社会の活性化を生むと思われるのに、逆の均一性への方向にのみ走り続けているばからしさ。

これが、戦後社会が到達した光景なら、日本はやがて衰弱するのではないか」

(司馬遼太郎 この国のかたち1)

司馬遼太郎はその著書の中で、30年前に日本の社会が均一になることで国力が衰弱することを懸念していました。

一方で社会の多様化こそが、活気のある社会を生み出す基本であることを語っていました。

組織における異端児の有用性

「人事」は、多くのサラリーマンが強い関心を持つ事柄です。

その「人事」に関する、3名の歴史学者による書、「人事の日本史」は、日本史を古代から近世まで振り返り、「人事」の本質を以下の3点の視点から、歴史の中の事例を基に明らかにしようとするものです。

  •  歴史上重要な意味を持つ人事とは
  •  個人は人事をどのように考え、行動したか
  •  日本的な人事の論理の存在

本書は、これらの視点に沿い、現代の「人事」のあり方を改めて考えさせる内容となっています。

ここで紹介する話は、組織に異端児を入れるという「人事」の効果について書かれています。

時代は鎌倉時代、幕府の事務方トップといえる政所別当に任ぜられた京都の公家出の大江広元が、幕府の勢いが衰え始めたころに、武士では思いもよらない献策を行い、幕府の維持に貢献しました

ここでの話は、後鳥羽上皇が、北條義時・雅子の鎌倉幕府に仕掛けた、承久の乱が舞台です。

武士が主導権を握る幕府の中で、広元が、その組織の中の異端児として影響力を発揮し、戦争の勝利に貢献したときの、広元の考え方、行動を紹介しています。

“鎌倉側の大勢は、王朝側を坂東で迎え撃つ戦術を主張した。それに異を唱えたのが広元だ。「こちらから京都に攻めこむべし」と。

この広元の判断には、二つのポイントがあると思う。一つは、京都に攻めこむことへの心理的抵抗が、広元にはなかったことだ。東国武士の大方に京都侵攻を躊躇させたのは、見知らぬ京都という地への、つきつめれば王朝という権威への恐怖心であろう。

—————

その点、広元は違った。古巣に幻想をもっていない分、「勝つためには何が必要か」だけを、冷静に考えられたのだ。

そして第二は、「待ち時間」が長いほど鎌倉側に不利になるのを見抜いていたことだ。

——-ーーーー—

武士のなかの「異物」であるからこそ、広元はそうした武士の弱点をドライに観察できていた。

最終的には北條政子は広元の「異論」を容れ、鎌倉側は王朝との関係で決定的勝利を得る。

—————

広本の例は、役に立つ「天下り(広元が、京都の公家を辞め鎌倉幕府の官僚となったことを指す)」の事例というだけでなく、組織に「異物」を入れることの重要性を教える最高の例だ。

(遠山美都男、関幸彦、山本博文著 人事の日本史から「天下りにも効用はある」関幸彦)

均一的な組織に潜むリスク

私が、土木構造物の設計業務に従事していた時の経験です。

私が従事していたプロジェクトにとって重要な要素をなす構造物の設計ということで、私が所属していた建設事務所には、その構造物を責任をもって仕上げるということで、事務所のトップとしては若く、会社の土木部門の技術陣は皆、認めていた優秀な人が転勤で移動してきました。

また、その下には、私を含め若手の技術者が数名集められました。

対象となった構造物は、日本でも珍しい設計を採用したこともあり、海外の事例なども勉強し、実際の施工事例も視察に出かけ設計の参考にしました。

設計するための資料も整い、設計が始まりました。

設計を進める際には、所長の指示がまず出され、我々はその方針に基づいて設計を進めるのが常でした。

また、我々自らが技術力で設計したものを、所長も所に承認伺いに行った際も、所長の訂正の一言が出れば、何の疑問を持たず修正することが多くありました。

事務所には、時々技術検討のために外から技術者の方々が来ることが多くありました。

それらの方々から出る質問に対しても、所長が答え、我々が同意する状況でした。

そのような、状況を見て、外の技術者からは「まるで君たちは、どこを切っても同じ顔が出てくる金太郎アメみたいだな」といわれることもありました。

統一された考えのもとで皆が同じ動きをしているとその人は感じたのだと思います。

そのようなことがありながらも設計は着々と進みました。

外部の技術者からも意見をもらいましたが、多くは、事務所の設計案で構造物のかたちが決まりました。

工事が進み、構造物が出来上がってくるに従いい、くつかの個所でトラブルが発生する状況となりました。

そのトラブル個所のため原因を探ることになりましたが、そのたびに、あの時もう少し検討会で議論していればよかったとか、あの時、外部技術者からあった意見を取り入れておけばよかったと思うことがよくありました。

優秀な所長であったことは誰もが認める事実でしたが、その下にいた技術者が、完全に所長に依存し、他の設計思想が入り込めず、司馬遼太郎が指摘した均一的な状況が続いたことがトラブル発生の根本原因であったと後から思う経験でした。

多様性の組織に現れる自発的行動

多様な意見を取り入れてこそ、多くの見えない条件に対応することが可能であることを学びました。

また、この経験からは、いま一つ大きな教訓を学びました。

それは、均一的な組織では、つい“人に依存過ぎることによるリスク”が発生しますが、多様性がある組織であれば、自発的な行動が基本であり、そのようなリスクの発生を抑止することができる点です。

依存心を捨てて、自ら考え、仲間と意見を戦わせてより良いものを求める必要性を知ったうえでの反省です。

若い頃ならある程度まで持っていることが許されることかもしれません。しかし、ある立場の人がことを決める際に(決めるということ、例えば担当から所長まで、レベルの差は色々あると思いますが)決して持ってはいけないものが依存心ではないでしょうか。

依存心があると、つい、判断に真剣さが欠けてしまいます。

そのことの責任者たるもの、これで自分が決めなければという気概がなければ、ある意味での生き甲斐もなくなるのではないでしょうか。

まとめ

均一的な組織の弊害の事例を紹介しました。解決策として、多様な能力を持った人を集めることも重要ですが、一人ひとりが、物事に対峙したときに、しっかりした考えをもち、それを声に出していくことが必要なのではないでしょうか。

私の経験から、依存心を捨て、自発的な発言するなどの行動がとれるのも多様性組織の効果と思っています。

一方で、自発的な行動には失敗を伴うことがあります。しかし、頼ることを捨て自らの判断で行動し、それで失敗したとして、一回ぐらいの失敗を何で恐れる必要があるでしょうか。

ある大先輩に言われました。

「一回ぐらいの失敗は許されるものだ。そこから何が怖いかということを勉強してもらえればよいのだ。ただし、二回、三回と同じ失敗をしていると信頼されなくなるので、その点は注意が必要だ」と。

また、「あまり事がうまく行き過ぎると、物を作ることの怖さを実感できず、本当に怖い場面に遭遇しても問題の本質を捕らえられないで困る」と。