仕事で行き詰った時

危機時の対応はどうする―会社経営10年からのアドバイス(その1)-

昨年12月6日の未明に、小惑星探査機「はやぶさ2」から切り離されたカプセルがオーストラリアの南部に無事着陸し、回収されました。

「はやぶさ2」が成し遂げた快挙は、JAXAをはじめ多くの機関、組織が関係したプロジェクトでした。

このように大きなプロジェクトが完ぺきなまでの成功をおさめましたが、ここまでに至るまでには、いくつもの危機があったことと思います。

私が会社を経営しているときにも、経営にかかわる事業から部門が進めるプロジェクトまで、その成功に至るまでには、やはりいくつかの危機を乗り越える必要がありました。

このように、プロジェクトを推進しているときに出会う危機に対し、どのように対応し、切り抜けたらよいのでしょうか。

それには、2つのことが重要な点として挙げられると思います。

一つは、危機に遭遇したときには、その組織のトップである社長やプロジェクトマネージャーが一人で悩むのではなく、関係する皆で知恵を出し合うことが、活路を開く道であると、私の社長経験から思っています。

作家高田氏も、その著書で、主人公の呉服商店主が、連続する困難に出会い、どのように乗り切るか悩み続けていたときに、知恵を絞ることが大切であることに気づいた話を書いています。

そして、危機を乗り切る重要な2点目が、“そのプロジェクトを率いるトップが、いかに知恵を出し合える組織を築き上げることができるか”であると思います。

今回のブログでは、最初の「知恵を絞る」を紹介します。

二点目の「組織のあり方」については次回のブログで紹介します。

危機に際して知恵を絞る

「あきない世傳 金と銀 淵泉編」は、このシリーズの9作目にあたります。

「淵泉編」の舞台は、江戸時代に浅草寺のそばで呉服商を営む「五鈴屋」で、主人公は、七代目五鈴屋主人となった幸です。

五鈴屋では、新たな絹織物として今まで世間では売り出されていなかった、小紋染めをほどこした商品を新たに開発し、売り出しました。

手ごろな値で買え、しかも江戸市民に合った小紋染めは、すぐに女性客の心をとらえ評判となり、売り上げも伸びていきました。

さらなる、小紋染めの販路を広げるため、女性ばかりでなく男性客にも気に入られる小紋染めを求め、主人他店の者が知恵を出し合い、十二支の文字を小紋染めに使うことを考え付きました。

いよいよ、十二支の文字入り反物を売り出そうとしたときに、店主の妹、結の裏切りにより、売り出しがおぼつかない状況に追い込まれました。

その難局を切り抜け、何とか文字入りの反物を売り出すことができ、ほっと、したのもつかの間、ある罠に落とし込められ、問屋仲間を外され、呉服商いを辞めなければならない危機的な状況に陥りました。

なんとか木綿を使った太物を商品として商売を続ける五鈴屋でしたが、店主をはじめ、その落胆は大きなものがありました。

そのような中、以前知り合った儒学者の弥右衛門の訪れを受け、中国の古書「菜根譚(さいこんたん)」の話を聞きました。

その話をきっかけに、店主は、連続する危機を乗り越える意思を改めて固め、知恵を絞りだして新たな商品を売り出す覚悟を持つのでした。

ここで紹介する一節は、弥右衛門の言葉を店主が聞き、その言葉に力を得て、その危機を乗り切ろうと決意した場面です。

弥右衛門の言葉は、五鈴屋の主従の胸を打った。

佐助(江戸店の支配人)は前のめりになって、まだ乾ききっていない墨書を凝視する。

「新たな盛運の芽生えは、何もかも失った時、既に在る——」

儒学者の言葉を繰り返す、支配人の声が揺れている。

手酷い目に遭って、まさに零落の心持ちだった。どう足掻いても沈むばかりで浮上できそうもない、と思っていた。だが、新たな芽生えは既に在る、と学者は言う。

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弥右衛門の言葉は、君子ならぬ江戸本店店主の心の眼を、見開かせるのに充分であった。

平時に油断せず、異変に際してはあらゆる忍耐をし、物事が成るように図る—真にその通りだ。結、日本橋音羽屋、そして呉服仲間。難儀は次から次に押し寄せるが、潰されてはならない。

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何もかもがままならない今、うちに芽生えたものを見出し、育て、必ず物事が成るように図る。そのために、あらゆる知恵を絞ろう。

(高田 郁著 あきない世傳 金と銀 淵泉編)

このように決意した幸のもと、新たな木綿を生地にした商品の開発に主従は知恵を出し合うのでした。

結局、懇意にしている染物師が、木綿の反物に十二支の文字を染める技術を開発し、今までにない商品の販売にこぎつけるのでした。

知恵で窮地を切り開く

ある土木建築関係の設計コンサル会社の社長に就いた時の経験です。

これまでも何回か話題にした、社長就任当時に行った経営改革に関する内容です。

社長就任当時、会社は売り上げが落ち、その後も回復の見込みがない状況でした。このため、これまでの経営のあり方を根本から変えることにしました。

社員が一つとなって、これからの事業を展開していく意味とミッションを明確にし、長期的な目標も定めました。このように、いろいろ手を打つ中で、最も力を入れたことは、社員の意識を変えることでした。

社員が現状に満足してしまっている状況では、現在の危機は乗り越えられない、ということで、意識改革が必要でした。

その中でも、大事にしたことが、社員一人ひとりが、これからの事業においてそれぞれの分野で知恵を働かせる社風にしようとしてことです。

ひとつの事例を紹介します。

社長に就任するまで、各部門の縦割りが強く、部門が協調して顧客に対応することはほとんどありませんでした。

今までお付き合いしてことのない顧客に商品を売るようになり、この縦割り組織では、顧客のニーズに対応できないことがわかってきました。このために、すぐにも縦割り組織を見直す必要が生じました。

その一つの手段として、部門を横断するプロジェクトチームを作り、そこで、商品の開発から顧客への販売まで、一貫して進めるようにしました。

今だかってない仕事のやり方に、集まった社員は当初、何から始めたらよいかといった状況で、面食らうばかりでした。

しかし、「困ったときは知恵を出し合おう」という、意識が浸透し始めたこともあり、集まったプロジェクトメンバーそれぞれが、得意とすることで知恵を出し合い、商品を開発し、販売にこぎつけていきました

難題に出くわしたときには、あきらめず、知恵を絞りだして、立ち向かう、まさに、五鈴屋の店主の思いと同じ状況となりました。

まとめ

ある目的遂行のためのプロジェクトなり、会社や組織が新たな事業を展開するときなど、必ず、危機は訪れます。

このようなとき、いかにその難局を乗り切るか、ひとつの要点が、関係者が知恵を絞り切るまで出し合い、方策を見つけることだと思います。

このように、関係者が集まって知恵を出し合うことで、そのプロジェクトに集まったメンバーは底力を発揮することができるようになると思っています。

そして、そのように、知恵を出し合う風土はどのようにつくられるのでしょうか。

2点目の要点“知識を出し合える組織をいかにつくるか”については、次回のブログで紹介します。