仕事で行き詰った時

仕事の達成感がやる気を高める-会社生活43年からの教訓-

サラリーマンとなり、ある立場になって大きな仕事を任されたとき、目標達成のために努力をし、ある時点でここ一番の決断をしなければならないことを経験することがあります。

そしてそのような困難に遭遇し、方策を立てながら課題を解決していく中には、サラリーマンが感じることのできる醍醐味があると思います。

そして、その醍醐味は、仕事が終わったときの達成感がいちばんではないかと思います。

特に大きなプロジェクトに携わり、困難が多いほど大きく、その達成感は大きく、次の仕事に向けてのやる気ももたらしてくることと思います。

では、この達成感を得るためには、どのようにすればよいのでしょうか。

作家、山本兼一氏はその著書「火天の城」のなかで、以下に達成感を得るかといったことについて触れています。そこでは、仕事に向かい、まずは自分の持てる能力を全てさらけ出し、もうこれ以上自分がやれることはないといった状況まで、努力することの大切さを書いています。

私も、30歳代で、ダムの建設に従事したときに、ダム建設のベテランから、持てる能力、技術をダムの建設に注ぎ込むことの大切さを教えられました。

そしてその教えをダム建設の最後まで持ち続けたことで、ダム完成時には、大きな達成感を得ることができました。

今回は、「いかに達成感を得るか。また、その達成感がやる気を生み出すこと」について山本氏の作品と私の経験から紹介します。

人事を尽くして天命を待つ

小説「火天の城」は、織田信長が築造した安土城が題材で、その安土城の総棟梁として、この未曽有の建築物に挑戦した岡部又右衛門とその息子、以俊(もちとし)の物語です。

これまでにない五重の天主の建築に、信長はいくつもの難題を押し付けてきます。その要望を全ての見込み、自らの創意と工夫、情熱をもち、各部署の棟梁の力を集め、安土城を築いていきます。

安土城も、足掛け2年が過ぎ、柱や梁からなる骨組みも完成し、瓦葺き、粗壁作りが始まりました。ある一日、大雨とともに、雷鳴がとどろく天候となり、変わる吹き、壁塗塗りの作業を全て休むことを、総棟梁である又右衛門が命じました。

作業する人たちがいなくなったところで、又右衛門は、大雨と雷がとどろく中、「天主の具合を見るのじゃ。こんな大荒の日は、高い建物の具合を見るのにうってつけだ」と言って、城の出来具合を点検するため、すべての階層を、息子の以俊と見て回るのでした。

建物は、大風が吹いても少しもびくともせず、その様子に、又右衛門が珍しく、自信ありげに語るのに対し、息子、以俊が、なぜ父親がそれほどまでに自分に自信を持っているのか問いました。

ここで紹介する一節は、その問いに対する松右衛門の答えです。

 「親父」

「なんだ」

「どうしてそのように自信がある。なぜ心配にならぬ」

「心配ーーーーー、なにを心配する」

「自分で建てた建物の欠点は棟梁本人がいちばんよく知っているであろう。どこに雷が落ちそうか、大風が吹けばどこの軒があおられるか、どこの仕口の刻みが甘かったか、すべて知っておるのが棟梁じゃ。気にかからぬのか」

「そんなことを気に病んでどうする」

その言い方があまりに父親らしくないので、以俊は目を凝らした。笠の下の父の顔は、笑っていた。

「心配なのはよくわかる。建てた者が、たしかに建物の弱みを一番よく知っておる。だがな、建ててしもうた後では、もはやどうにもならぬ」

「それはそうじゃが」

「ならば忘れろ。ここまで、できる限りのことをした。天下一の柱を見つけ、天下一の腕で組み上げた。これ以上できることはなにもない。この天主は、わしそのものだ。倒れるなら、わしもいっしょに倒れる。それだけのことだ」

父親の言葉が、やけにさっぱり潔くひびいた。

「しかし、気になることはないのか」

「あるとも。大ありだ。若いころはことにそうだった。お前の百倍も気に病んでおったとも。気になって眠れなんだこと、夜中に見に行ったこともたびたびじゃ。だが、建ててしまったものは、どうにもならぬ。そのことに気づいてから、わしは目の前の仕事で決して手を抜かぬようにした。大工にできるのはそれだけだ。それ以外になすべきことはない」

そのとおりだと思った。なんの異論もなかったので、黙って父の言葉を噛みしめた。

「そうではないか」 「ああ——、そのとおりだな。ようわかった」

以俊はこの父の子として生まれたことを、初めて嬉しく思った。初めて誇りに感じた。

父親のなかにもさまざまな葛藤があったのだ。一人の男としてそれを乗り越えてきた父を、以俊は誇らしく感じた。

(山本兼一著 火天の城) 

やり遂げることで達成感を得る

私が、30歳代でダムの建設に従事していたときの経験です。

入社早々に建設所に勤めることになったため、技術的なこと以外にも、構造物を構築する場合のリスクの考え方など、学ぶことの多かった職場でした。

その建設所には、すでに多くのダム建設に従事してきたベテラン技術者がいました。

まだ、ダムを建設することに対し、なにを留意すればわからない私に、ダム建設を通して。自然のこわさを知ること、その上で、どのようなことに注意して建設に従事するかを、他旅指導してくれました。

先輩に現場でよく言われました。「土木の構造物は出来上がってしまえば外面だけしか見えず、内面に潜む問題をいつしか忘れてしまうので、何の心配もしなくなるが、それが一番心配だ」と。

その先輩が何を言っているのか、最初は良くわかりませんでした。

土木構造物は、出来上がったときに最大荷重を受けるものもありますが、多くは、水を貯めたり、地震にあったりして始めてその真価を発揮するものだと思います。先輩が諭したことはそれに通じることだと思います。

ロックフィルタイプのダム建設でも、山を掘削して健全な基礎を出し、その上にロックや土質材料を盛ってしまえば、もうその基礎を見ることはできません。

出来あがってしまえば、その基礎がどうであったかということは、外面の仕上がり状態に安心しきってしまい、トンと思い浮かばなくなることが多々あるかと思います。

外面に何か支障が現れる前に、どれだけその内部に目を向けていられたか、それがどれだけ大事なことかを教えてもらいました。

その教えを胸に占め、その後の構造物の構築に励んだ。

いつも頭に置いていたのが、この基礎はこれで安全か、他に手を打つ必要はないかといったことで、神経を使う状況が続きました。

このようなことで、工事を進め、いよいよダムに水を貯める状況になりました。

自分が担当した構造物には、ダムそのものの、またその基礎にも十分に注意をはらったという意識はありましたが、あとは、天身を待つといった心境でした。

そして、ダムに水がたまり、構造物に異常がないことを確認したときは、それまでの苦労をすっかり忘れ、これでやり切ったという達成感を強く感じました。

まとめ

サラリーマンが、今までに経験したことがない大きな仕事を任されたり、大きな課題に直面したりすることは、少なからず経験することであると思います。

このような仕事をあたえられたときにいかにやる気をもってその仕事にあたることができるかは大事な問題だと思います。

仕事をあたえられ、それが特に大きな仕事であればあるほど、その仕事が終わったときの達成感は大きなものとなり、次に向けてやる気が増してくるものと思います。

その達成感を得るためには、自分の持てる能力を出し切り、思いつくリスクなどに対応すし、その仕事をやり切ったということを意識できるかが大切であるとも思います。

せっかく仕事を任されたなら、自分の能力を出し切って、やり通してはいかがでしょうか。