仕事で行き詰った時

持続的成長には組織変革が必要-社長経験からのアドバイス-

「富士通がかわろうともがいている」といった内容の記事が、2月の日経新聞に載りました。

富士通は、1970年代に大型汎用コンピューターの開発で世界に進出して以来、順調な業績を上げていました。

しかし、東京証券取引所で昨年暮れに大規模なシステム障害が発生し、その原因としてマニュアルの不備があげられ、開発者である富士通の技術にも疑問が投げかけられています。

それ以前から東証にかかわるシステムの障害に富士通が関係していたこともあり、行動原理を刷新するなど背水の改革に取り組んでいます。

富士通ばかりでなく多くの企業で、それまでの成功体験から抜け出せず、業績が低迷する、いわゆる大企業病といわれる事例はよく聞きます。

この大企業病に陥ることなく企業が持続的に成長していくためには、外部の経営環境や将来の社会の姿を見据え、常に変わっていく姿勢が問われています。

そして、このコロナを経て、「不安定」、「不確実」、「複雑」、「曖昧」といわれる時代に入りつつある今、周りの環境変化に対応し変革していくことは、企業ばかりでなく、働く個人にもいえることであると私は思っています。

作家、今野敏氏は、危機に出会ったときの変革の必要性を、その作品「天を測る」で書きあらわしています。

また、私も社長となったときには、それまでの経営を大きく変え、成長を目指すために経営改革を実施した経験があります。その中で、今までの状況を大きく変えるためにいくつかの変革を試みました。

今回は、今野氏の作品と私の会社生活からの経験から「変革していくことの必要性」を紹介します。

危機時には変革が必要

小説「天を測る」は、幕末に徳川幕府の旗本として、西洋技術を学び、それを糧に日本の近代化に尽力した小野友五郎の半生記です。

小説は、1860年の咸臨丸の太平洋横断から、その後の江戸幕府による軍艦の建造、江戸湾海防計画作成に主体的に関わった友五郎の、江戸末期から明治維新直後までの姿を描いています。

太平洋横断をはじめ軍艦建造など日本で始めて手掛けるプロジェクトを、友五郎は持ち前の理論的な取り組みで成し遂げていきます。

しかし、その事業を進める中には多くの試練があり、ともに事を進める仲間から多くのことを友五郎は学んでいきました。

太平洋横断の際も、嵐に遭遇するという危機に陥りましたが、航海の指導者として乗り込んだ米国艦長経験者のブルックの指導を得て乗り切ることができました。

ここで紹介する一節は、その危機時に友五郎が、ブルックと咸臨丸に通訳として乗り込んだ中浜万次郎の船乗りを指導する姿勢から「変革の必要性」を学んだ場面です。

 船室に戻った友五郎は、揺れていない船のありがたみを噛みしめていた。

思えば、よく嵐の日々を乗り切れたものだ。航海の大半が嵐だったような印象がある。

経験豊富なブルックの指揮と熟練したアメリカ人士官・水夫がいなければ、おそらく咸臨丸は今こうしてサンフランシスコの港にはいないだろう。

どこか太平洋の海の底にいるはずだ。

もちろん、アメリカ人たちだけの力で嵐の海を乗り切ったわけではない。たった、三十七日の間に、日本人の士官と水夫たちも進歩した。

かれらには変革が必要だと、ブルックが言っていた。実際にその変革に尽力したのは、万次郎だった。

彼自身、捕鯨船に乗っていた経験があるので、船乗りたちには規律が必要であることをよく知っていた。ましてや、咸臨丸は軍艦だ。日本の士官や水夫は、航海が始まっても、従来の習慣を変えようとはせず、アメリカ海軍式の規律を身につけようとはしなかった

その状況に果敢に戦いを挑んだのが万次郎だ。

当初、日本人のくせにアメリカ人と行動を共にしている万次郎は、同胞たちから冷たい目で見られていた。

それでも、彼は熱心に士官たちの説明をし、水夫たちを説得した。最初は耳を貸さなかった日本人乗組員たちも、万次郎の船乗りとしての実力を目の当たりにして、言うことを聞かざるを得なくなった

嵐の中では、ブルックや万次郎に頼るしかなかったのだ。

旅の後半では、日本人水夫たちも、すっかり操船に慣れ、ブルックたちをそこそこ満足させるに至ったのだ。

危機には変革が必要だ

友五郎はそれを改めて思い知ったのだった。

(今野 敏著 天を測る)

 

持続的成長を目指すうえでの障害、部門の縦割り

私が、土木建築関係のコンサルティング会社の社長に就任した時の経験です。

就任した当初、会社が将来の成長が見込めない状況であったことから、就任早々に経営改革をスタートさせることにしました。

まず実施したのは長期の経営目標を定めることでした。そして、合わせて取り組んだのが、社が抱えるいくつかの課題への取り組みでした。

社長に就任した当時の社内的な問題として、閉塞感、受け身の姿勢、および縦割りの部門の壁の3点が挙げられます。

このうち、組織変革の必要性を強く感じたのが、各部門の社員が相互に行き来しようとしない縦割りの部門の壁でした。

会社は子会社であったことから、発足当時から親会社の主管部と土木、建築などの各部門とのつながりが強く、社内で連携して仕事をすることが必要なかったことから、長い期間で、この高い部門間の壁は築かれたものでした。

経営改革を進め、持続的な成長を目指すうえでは部門間の協力は必須で、どうしても現状に慣れてしまっている状況を変革する部門間の壁の撤去は、喫緊の課題でした。

持続的成長のため組織のあり方を変革

部門の壁を破壊するため、これまで部門内だけで業務を処理していればよいという意識を抜本的に変えるため、物理的な面と意識の面との両面で進めました。

(1)物理的な面での方策

まず、物理的な面での壁の破壊を社長就任と同時に進めました。

具体的に行った取り組みはオフィスのワンフロア化です。

社員の他、技術雇用と派遣社員を合わせ総勢700名が一つのフロアで働けるようにすることで、社員間の交流が広まり、連携するきっかけをつくれることを計画しました。

20年以上過ごした事務所からの移転時期であったこともあり、社員全員が同じフロアで働けるワンフロア化できる場所を探しました。

社員700人が、13のフロアに部門ごとで分かれていたものを、本社移転を機に、全員がワンフロアに入るビルが見つかり、風通しのよいオフィスに変えることができました。

移ってから、2年程度経過するとその効果が見え始めました。

打ち合わせコーナーでは、土木と建築の耐震関係の社員が議論をしている例とか、その他の原価部門の関係者が集まって一つのプロジェクトについて検討する状況が見て取れるようになりました。

また、原価部門から出ていた「間接部門の連中は、我々に仕事をやらせておきながら、定時に皆退社してしまっている」といった、原価部門と間接部門が違ったビルにいたことによるお互いが見えない中での不満も解消しました。

(2)精神的な面での方策

物理的な方策と合わせ意識の面では、部門間交流の場をいろいろと仕掛けました。

全社員を巻き込んだ会社のビジョンを考えるワールドカフェなど、ビジョン活動などを推進しました。

また、繁忙期を除く時期に、月1回これまでに話したことがない部署同士が集まり会話ができるよう、就業時間後にいくつかの部門の人が集まって懇談できる場を用意しました。

「もう、この会社に何十年といるが、こんな人がいるとは知らなかった」といった発言が多くの席から聞こえてくることもあり、当初の思惑がうまくいっていることに満足したのを覚えています。

このように、社長就任時に問題となった、現状に慣れ切った部門間の壁を取り払うという変革を推し進めることで、社員の意識も変化し、働き方も変わり、将来の成長に向けた足掛かりを築くことができました

まとめ

組織は、現状うまくいっていると、つい今の状況に満足してしまい自ら変わっていこうとする姿勢が失せてしまいます。

その間に、組織を取り巻く環境は大きく変化し、気が付いたときには自分たちがいま取り組んでいること、仕事のやり方が時代遅れになってしまうことがよくあります。

企業でも、成功体験から抜け出せず、成長が止まってしまい、いつしか競合の後塵を拝している事例をよく聞きます。

また、個人でも、上司から「お前はよくやっている」などと聞き続けていると、それが自信になり、今の状況を変えようとせず、能力を磨くことを忘れ、いつしか成長が止まってしまうこともよくあります。

そのような多くの事例から学ぶことは、「組織であり、個人であり常に周りの女句をよく把握し、変化する意識を持つこと」だと思っています。