上司、リーダーの役割

部門の縦割りの弊害と対策

夜明け前 しんしんと雪 灯暖かき

今シーズンは雪がよく降るようです。北陸のある高原に出かけ、止まった翌日、日の出前の外を見ると今日も雪。その中で、街頭が暖かさを醸し出していました。  

 さて、本題です。

新しい商品を開発しようとしたときや問題の解決を図ろうとしたときに、あの部門のあの技術があれば、すぐ解決するのに、なかなか部門の壁が高く、協力し合えないことを経験した人は多くいるのではないでしょうか。

特に、大きな組織になればなるほど、各部門がこれまで自組織で培ってきた技術にプライドを持つことでその兆候は顕著となるようです。

そして、人々のニーズが多様化した現在、この縦割りの壁の弊害は、一段と顕著になっています。

このような組織の縦割りの壁を打破するためにはどうすればよいのでしょうか。

作家、柳田邦男氏はその著書「零戦燃ゆ」の中で、そのヒントを与えています。

私も、設計コンサルタント会社の社長を務めていたときに、顧客のニーズに対応するため、ある方策を講じた経験があります。

今回は柳田氏の作品と私の経験から「部門の縦割りの弊害と対策」について事例を紹介します。

縦割りの弊害を乗りこえて航空機増産へ

 今回の事例紹介も、前々回と同じ「零戦燃ゆ」からの引用です。

柳田邦男氏の「零戦燃ゆ」は、太平洋戦争開戦時の華々しい活躍から、その後、米国にその機体の特徴を調べ上げられ、弱点を突かれるようになり、しかも、優秀な飛行士がどんどん戦死する中、人材も枯渇し、ゼロ戦の戦闘能力が著しく低下していくまでを描いたノンフィクションです。

ここで紹介する一節は、真珠湾攻撃によって始まった太平洋戦争から、珊瑚海海戦まで、日本軍が優位に戦争を展開している中、次のミッドウェイ開戦が始まる前、米国が総力を挙げ勝利するため、準備を始めた状況を取り上げています。

日本軍は、真珠湾と珊瑚海海戦での勝利から、その反応は、まさに勝者の驕りといえる姿勢を示し、これまでの海戦を反省することなく、ミッドウェイ海戦に臨もうとしました。

一方、米国では、敗者の執念ということで、ミッドウェイ海戦をいかに戦うか、これまでの戦いを反省し、その準備に邁進します。

そして、日本が驕りからくる余裕で、楽観的な戦略を立てるのに対し、米国は、今後の戦いは、空母を主体とした航空戦となることを見越し、航空機の大量生産に向かうのでした。

アメリカでは、開戦後、特別立法に基づく大統領命令で、民間産業の総動員体制が組まれていた。

それは業種別あるいは企業別に、軍艦、航空機、戦車、鉄砲などの軍需物資生産に協力させるというもので、このうち航空機の生産に協力を命じられたのは、ゼネラル・モータース(GM)、フォード、パッカードなどの自動車産業だった。

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 グラマン機の生産については、GM社に対しキャデラック社が一部の部品を提供することになったのだが、その中に、エンジンの支え棒も含まれていた。

グラマン社のスペックでは、支え棒の直径は1インチとなっていたのだが、キャデラック社は、なんと6インチの太い棒をつくろうとした。“強靭な車体”をセールスポイントにしていたキャデラック社の技術者の主張は、「エンジンの支え棒は思い切って頑丈なものにしよう」

というのだった。

あわてたのはグラマン社の技術者だった。

「頑丈であることは大事なのですが、直径1インチで十分なところへ、6インチもの棒をつけたら、重量の増加によって、重心のバランスや性能に影響が出るのです。太ければよいというものではありません」

こうした議論が際限なく続くのにたまりかねたグラマン社のジョージ・チタートン生産技術主任は、ある日、グラマン、GM両者の技術者たちに集まってもらうと、一席演説をぶった。

「技術者というものは、自分のやり方にプライドを持ち、自分流でやろうとしたがるものです。飛行機屋は飛行機屋なりに、自動車屋は自動車屋なりに、プライドがある、しかし、GM社の方には耳が痛いかもしれないが、私がいま使っているGM車は、ドアの締まり方が非常に悪い。技術というものは、なかなか完全というわけにはいかないのです。お互いに自分流にこだわらず、長所を寄せ合い、一日も早く国家適応性である航空機の生産をスタートさせてほしい

この演説の後、グラマン社とGM社の技術者たちの打ち合わせは、急速に進んだ。

(柳田 邦男著 零戦燃ゆ ③)

 

部門間の縦割り意識で顧客のニーズに対応できず

 私が社長を務めていた設計関係のコンサルタント会社では、構造物の耐震性評価技術に社外から高い評価を得ていました。

各部門は、親会社の各部門と強いつながりがあり、土木、建築ほか各部門が別途に技術を磨き、それぞれの分門ごとに主に、親会社を顧客として仕事をしていました。

このため、社内の土木部門、建築部門などいくつかの部門では、個別に技術を磨いてきた経緯がありました。

そして、それぞれに自部門の技術にプライドを持ち、情報を交換することはほとんどありませんでした。また、部門を超えて協力することもありませんでした。

私が社長となったときに、親会社からの受注が急減する事態が想定される事態となり、親会社以外の会社からの受注を増やすことが会社経営上の必須の条件となりました。

社外に営業に出ると、耐震性評価の技術へのニーズはあるのですが、各部門が個別に対応していたために、その顧客のニーズが基礎から構造物まで多様化しているために、要求にこたえることができないことが明確となりました。

このため、各部門が協力して技術を提供する必要が生じ、各部門の連絡会などを開くようになりましたが、各部門は、自技術への執着が強く、なかなかに協力することができない状況がしばらく続きました。

このまま、各部門間で調整することは得策ではないと判断し、縦割りを打破する意味合いもあり、各部門からその技術を有する関係者を集め、耐震技術に特化したプロジェクトチームを立ち上げ、そのチームで新たな顧客に対応することにしました。

まさに、縦割り組織を打破し、各部門が連携して顧客のニーズにこたえる体制をとったわけです。

ひとつの塊となったことで、メンバー間のコミュニケーションが活発化し、顧客ニーズへの理解を進むことになりました。

部門単独で対応していたときに、生じた顧客からの不満も、このプロジェクトチームを立ち上げてしばらくすると不満もなくなり、ニーズにこたえる成果を上げることができるようになりました。

まとめ

会社間や同じ会社の部門間でも、今、縦割りの壁が大きな課題となり、その対応が必要となっています。

この壁の打破し、各部門、組織が協力して課題を解決するためには、「零戦燃ゆ」での米国のとった対応にしろ、私が経験したプロジェクトチームの発足にしろ、組織を壊すくらいのトップの強い意志が必要ではないかと思っています。