上司、リーダーの役割

危機時のトップマネージメント-八甲田山死の彷徨から学ぶ-

ある組織が危機に瀕したときにその危機をどのように乗り切っていけるか。

いろいろ要因がありますが、大きな要因にそのときの組織のトップの力量があげられます。

その点をテーマにした小説はいろいろあると思いますが、新田次郎の「八甲田山死の彷徨」は、代表的な作品のひとつです。

そこでは、人の生死が問われる危機的状況下において、異なる考え方を有するトップのマネージメントの差が、真逆の結果を生んだ事例を明確に書きあらわしています。

私も、人の命に係わる状況ではありませんでしたが、厳しい自然環境の中での工事で、トップの力量の大切さを学びました。

今回は、新田次郎氏の作品とわたしの建設現場での経験から「危機時におけるトップのマネージメントは」と題して、お送りします。

八甲田山死の彷徨にある背景

小説「八甲田山死の彷徨」は、八甲田山で実施された雪中行軍の悲劇を題材とした小説です。

八甲田山での雪中行軍が計画されたのは、日露戦争がもはや避けられない状況となっていた明治35年1月でした。

日露戦争開戦とともに、青森と弘前の交通が冬場に遮断された場合を想定し、1月の厳寒期に八甲田山で雪中行軍という演習が行われました。

青森に拠点を置く第五聯隊と、弘前に拠点を置く第三十一聯隊から2中隊がその雪中行軍に選抜されました。

第五聯隊の雪中行軍部隊の隊長を任命された神田大尉、第三十一聯隊の部隊の隊長を任命された徳島大尉とも、部下に人望のある優秀な士官でした。

しかし、両隊長の上官にあたる聯隊長クラスの将官の雪中行軍に対する考え方、そして各隊長に対する信頼の置き方の違いが、両隊の行軍の成否を分ける結果となりました。

トップマネージメント1-部下を信じ、任せる勇気を持つ-

弘前第三十一聯隊の徳島大尉は、上官から指示のあった場当たり的な計画ではとうてい雪中行軍はなしえないと考えました。

このため、入念に計画を見直し、これなら可能と考えた計画書を聯隊長である、児島大佐のもとに持っていきました。

計画の大幅な見直しであり、児島大佐の承認を得ることが出来るか懸念していた徳島大尉でしたが。

ここで紹介する一節は、徳島大尉が上巻に向かって自らの意志を告げる場面です。

 徳島大尉が聯隊長の前で旅団や師団を批判したので、児島大佐は渋い顔をしたが、そのことには触れず、

「人々を恐れるとは?」

児島大佐は徳島大尉を見詰めて言った。

「この雪中行軍が死の行軍になるか、輝かしい凱旋になるかは、この行軍に加わる人によって決ります。——–雪地獄とはそういうものです」

徳島大尉はおそるべきことを言った。

「君の言わんとすることが、ほぼ分って来たぞ、なんでもいいから率直に言って見るがいい」

陸軍大佐児島軍造は軍人の中の苦労人であった。——彼は、徳島大尉のような部下を、何人か持ったことがあった。こういう男がこういう言い方をする場合は、その事柄が意外に重大なものであって、—–こういうときは言いたいだけ言わせたほうがいいのだ。彼はそう思った。

「遠慮することはない。思ったとおりのことを言って見るのだ」

児島大佐は諭すような声で言った。

「すべてをおまかせ願いたいのです、雪中行軍の指揮官はこの徳島にすべてをまかせえて頂かないかぎり、雪地獄には勝てません」

児島大佐には、その徳島大尉の言い方がひどく感情的な響きを持って聞こえた。

「すべてをお前にまかせるという約束で始めたことではないか。そして、そのとおりに進んできたのではないのか、これ以上なにをまかせろというのか」

(新田 次郎著 八甲田山死の彷徨)

児島聯隊長の確認を取った徳島大尉は、出発までに入念な準備をし、隊員にもきめ細かい準備を指示しました。

雪中行軍に出発してからも、隊長としてすべての権限を与えられ、幾度かの遭難の危機を盛り越え、行軍を成功裏に導きました。

自分が常に頭に立とうとする上司では危機を回避できず

青森第五聯隊の神田大尉の場合は、徳島大尉とは全く異なった上官を持つことになりました。神田大尉の上官は、聯隊第2代隊長の山田少佐でした。

山田少佐は、雪中行軍の隊長に任命した部下である神田大尉の意見を翻し、ことごとく自分の意見を前面に出し、それを神田大尉に押し付けてくるのでした。

雪中行軍の隊長であり、計画立案者である神田大尉と、その上官である山田少佐との間で、意見の食い違いがありました。

ここで紹介する一節は、そんな上官同士の意見の相違を懸念する部下の中尉の発言です。

伊東中尉は、眉間のあたりに時々皺を寄せて考え込む、山田少佐の神経質な顔と、時折、遠いところを見るような眼をする神田大尉の顔とを思い較べていた。

来たるべき、雪中行軍に際して、その実施計画を立案した中隊長の神田大尉と大隊長の山田少佐との意見が合わないという噂は同じ大隊の将校の間に流れていた。

山田少佐が雪中行軍の計画について神田大尉を大声できめつけていたという噂も聞いた。

神田大尉は小隊編成で雪中行軍に臨むべきであると主張するのに対して、山田少佐は中隊編成で行うべきだというあたりに、意見の食い違いがあるらしいということも知っていた

(新田 次郎著 八甲田山死の彷徨)

雪中行軍に入ると、随行のかたちで参加していた山田少佐が、神田大尉の意見をさえぎり、自分の意見を押し通すようになりました。

吹雪の中、山田少佐は、完全に指揮命令系統を逸脱し、隊長である神田大尉を無視して行動するようになりました。

何の準備もなく、思い込みの指示で行動する第五聯隊の部隊は、いよいよ彷徨への道を歩むことになってしまいます。

結局、210名の部隊のうち199名が行軍中に死亡する惨事を招いてしまいました。

危機に際して信用する部下にすっかり任せる勇気を持つ上官の部隊と、指揮系統を無視し、自分の意見を通そうとする上官の部隊で、その結果があまりにも異なった事例でした。

トップマネージメント2-リスクを意識したうえで部下に任せる-

私が、土木構造物の建設に従事していたときの経験です。

工事中にトラブルが発生し、その対応に時間を使ったため、予定工期に間に合わせることが難しくなり、突貫工事を実施することになりました。

工事は山深く入ったところで、それも1月の厳寒期でした。その時期に24時間体制で工事を行うということで、工期を守るほかに、人身事故を絶対に起こしてはならないというのが工事完遂の条件でした。

私は、その工事の設計部門の課長を務めており、また、施工管理のトップには、いくつもの工事で経験のあるベテランが任命されました。

我々の上に所長が新たに赴任してきました。工事開始前には、我々の設計及び工事管理の在り方に対し、いくつかの意見は言いましたが、おおくは「君らに任せてあるからよろしく頼む」という返事でした。

ただし、その所長は工事現場をよく歩いており、その時期の気象状況をよく調べていました。

トップマネージメント3-最大リスクは自ら対応する-

工事が始まり、設計した構造物も順調に仕上がり、工程も守られて工事が進んでいました。

しかし、順調に進んでいた工事が、その中盤に来て、大雪が降り、工事を一時中断しなければならない状況に陥ってしまいました。

工事が再開され、短縮された工期の中でいかに間に合わせるか、我々設計班と工事部隊の調整が続きました。その間も、所長は我々を信じ任せてくれていました。

何とか、工事関係者の努力があり、工期に間に合い、人身事故も起こさず工事は完成しました。

工事が終わり、「大雪で中断した際に、所長はなぜあのように落ち着いていたのですか」と、たずねたところ、「このような工事では何かが起こる。それを前提に工期を考える必要がある。自分の頭ではあの期間の中断日数は余裕として取ってあった」とのこと。

我々を信じ、そして工事に伴うリスクをも考えに入れていた上司を改めてすごい技術屋だと思った瞬間でした。

まとめ

プロジェクトを進めていても、また、事業を進めていても危機は必ずやってくるものと思います。

そのとき、部下がいかに優秀でも、権限を持つ上司が、部下の意見を聞かず、自分が頭に出てくるようでは、危機は乗り切れないことが多いと思います。また、乗り切ったとしても、仕えた部下には達成感は全く感じられないとも思います。

上司たるもの、信頼する部下を持った際は、大局的なリスクへの対応は自ら実施し、後は、信頼する部下に任せることが必要なのではないでしょうか。