今の仕事に疑問がある時

慢心の弊害と対処法

今回紹介する俳句・写真は、2年ほど前に奥多摩の河鹿園を訪れたときに作ったものです。

その日は、ちょうど梅雨が一時的に上がり、青空が広がる中、水嵩を増した多摩川の流れが豪快でした。

                                          滔々と 梅雨の晴れ間の 水の音

さて、本題です。

人は仕事をしていて、しっかりした成果を出し、そのようなことが続くと自信がつき始めます。

やがて自分の技術や能力に周囲の着目が集まるようになると、つい、仕事を進めている中で、自分がなすことが一番優れていて、問題はどこにもないと考えがちになってしまいます。

まさに、自信から慢心の領域に陥ってしまった状態だと思います。

慢心は、自分が一番と思うことで、人の意見を聞かなくなるようになります。

また、仕事の中で不調なことが起きているにもかかわらず、そのことに気づかないばかりでなく、適切な目でその現実を見ることができなくなるように、慢心はしてしまいがちです。

作家、真山氏はその作品「黙示」の中で、人が持つ慢心がもたらす弊害や、どのように対処すべきかについて語っています。

また、私も、以前紹介したダムの建設に従事していた時代に、人より勉強し、知識も十分あると思い込み、その工法のことなら一番よく知っているといった慢心から、トラブルを引き起こしてしまった経験があります。

今回は、真山氏の作品と私の経験から「慢心がもたらす弊害」について紹介します。

慢心は実力を過大に評価する

小説、「黙示」は、日本の「食と農業」をテーマにした作品で、農薬、ネオニコチノイドの開発責任者である農薬メーカーの平井宣彰が主人公です。

ラジコンヘリで農薬を散布していた農家の老人の操作ミスで、子供を含め十数人が農薬を浴びて被害を受ける事件が発生しました。

この事件をきっかけに、ネオニコチノイドの使用を禁じようとする農薬反対派の人たちが一部メディアとともに、活動を活発化させます。

一方で、この事件をきっかけに、農薬の是非論から話が広がり、農薬を不要と宣伝する遺伝子組み換え作物の導入を絡めた、日本の農業政策を今後どのように進めるかといったことにも焦点があてられるようになります。

このような中、ラジコンヘリの操作ミスによる農薬の顕爆の被害にちょうど遭遇し、重体に陥っていた息子をもつ平井は、このような状況下でも、将来の日本の食の問題を考えれば、農薬は必要で、いかに適切に扱うかということが大切、という主張を反対派やメディアに対し発信していきます。

小説のなかの今一人の主人公、代田は養蜂家として農薬の使用について懐疑的です。農薬散布の事故の現場に居合わせた代田は、農薬に対し反対の姿勢を示します。

しかし、その後、代田も、平井をはじめ農業のあり方を真剣に議論する専門家との交流の中で、日本の農業政策として、今すぐに、農薬や遺伝子組み換え技術の是非を現状で成否を決めるべきではないということに気づきます。

ここで紹介する一節は、ネオニコチノイドの使用に対し反対の姿勢を見せていた代田と平井が、日本の食に関して会話していたときの一節です。

(代田)まるで禅問答しているようだ。何が正しくて、何が間違いか。そんな風に簡単に分けられるものではないのかもしれない。

そして本当に怖いのは、知らないうちに事が進み、後戻りできなくなることではないか。代田は甘いコーヒーを舐めながら、平井の考え方が一番真っ当なのだろうと思った。

私たちは、万能感の錯覚に陥っているんです。でも、人間なんて無力ですよ。何より情けないのは、自分たちが生み出した流れすら止められないことです。だったら、それに抗わず、どう向き合い折り合うかを考えるべきじゃないでしょうか」

平井が話すのを聞きながら、もっと腰を据えて、じっくり話し合いたいと思った。

(真山 仁著 黙示)

慢心が人の意見を聞けなくする

私が、ダムの付帯設備の土木構造物を設計したときの経験です。

湛水池からの水の浸透を抑止する必要が生じ、対策を講じることになりました。すでにダム建設はめどがつき始めており、ダム建設も後半にかかっていたときの出来事でした。

工期的にタイトとなった状態からの検討で、しかも予算的にも限りのある構造物の構築でした。工期と費用の両面から最良の工法はどのようなものがあるか調査を始めました。

いろいろ候補が上がった中で、ジオメンブレンというビニールシートを用いた止水工法が最適と判断され、短期間でこの工法について私が所属する建設所内で勉強を始めました。

当工法については、日本では湛水池内にこの工法を使用した例が少ないことから、事例集めのために、ジオメンブレンを使った止水工の設計、施工例や、材料に関する研究結果を取りまとめた世界的な学会誌などを読みあさり、検討を進めました。

また、実際にジオメンブレンを使用している海外の建設現場にも出かけ、我々の地点への適用に参考となる事例を勉強しました。さらに、使用する材料の耐久性などについても、実験室で検討を重ねるなど検討を本格化させていきました。

このようなことを1年以上続けることで、ジオメンブレンを使用した止水工法の設計が固まり、施工段階に入りました。また、我々のこの工法に関する自信が強まってきていました。

日本でも珍しい工法ということで、施工状況の視察者や社内の技術者も多く現場を訪れました。

現場を訪れた人たちからは、いろいろな質問やアドバイスを受けることがありました。

そのようなときも、建設所にいる自分たちが一番勉強し、理解しているのだからという慢心もあり、出てきた質問には流暢に応え、アドバイスにもあまり注意を向けませんでした。

このような状況で工事が完成し、湛水池内に水を貯め始めました。

しばらくの間は、順調に水が貯まっていましたが、ある水位に達したところで、トラブルが発生し、それ以上水位を上げることができなくなりました。

湛水池の水位を下げ、調査をしたところ、最初に、そして最後までわれわれの前に立ちふさがったトラブルが、現場に視察に来てくれた人が指摘してくれた所で生じていたことがはっきりしました。

そのトラブルの現場にいて、まず思い出したのが、工事中に来訪者から出た質問に対し流暢に説明していたことで、改めて恥ずかしさを感じました。

また、自信過剰な慢心によって、施工中に現場で聞いたアドバイスに耳をかたむけなかった自分の姿勢を強く反省しました。

その後、トラブルの原因を解明することができ、その原因を除去する対策を講じ、無事に水を貯めることができました。

この経験を通じて、どのようなときにも慢心を戒め、人の話や自然に対し謙虚になることの大切さを学びました。

まとめ

慢心の戒めについて、真山氏の作品と私の経験から事例を紹介しました。

仕事が順調にいっているときほど、慢心に陥りやすく、そのことによる弊害は後になって大きなトラブルとなって現実化してきます。

真山氏が書いているとおり、「人は無力であること」を、順調な日々を過ごしているときほど強く持つ必要があるのではと思っています。

また、常に謙虚な姿勢をもち続けることで、この慢心に陥らずに済むのではと思っています。