今の仕事に疑問がある時

柔軟な思考で問題解決

自分一人でできると思って、何とか頑張って来たものの、この先進むことがむずかしいと意識し始めながら、今まで人に頼ったことがない場合、いまさら人の助けを借りることなんか、と思うことがあります。

そして、そのように意地を張っているときには、周りの人が、せっかく協力を申し出てくれても、恩にきるのもしゃくだし、いまさらという思いで、支援者に素直に協力をお願いすることができなかった経験を持つ人は結構いるのではないかと思います。

そのような場面で、回りの支援を得て、最良の結果を出すためにはどのような意識でいることが大切なのでしょうか。

やはり、一つの考えに凝り固まらず、柔軟な思考で解決策を見つけ出すことが大切であると思います。

作家、堂場瞬一氏は、その著書「チーム」で、練習の場を失ってしまった孤高のアスリートが悩む姿を見た老練なコーチが、そのアスリートにかける言葉の中で、その点について紹介しています。

また、ある海外プロジェクトの応札に携わったときに、周りの意見を聞かず一途に仕事を進めようとし、行き詰ってしまった部下に対し、まず一歩下がって、周りの意見を聞くことで道が開けることをアドバイスしたことがあります。

騙されていると思っていてもそれを活用する姿勢が大切

マラソンの世界最高記録を出すなど卓越した実績を残していた山城ですが、ひざの故障以来2年間実戦から離れています。

引退が頭をかすめる中、最後のレースとして五輪記念マラソンを目指すことにしました。

ちょうどそのようなとき、山城が所属するタキタが経営不振から陸上部の廃止を決定しました。

走る場所を失う危機にあった山城ですが、7年前に箱根駅伝で学生連合として一緒に駅伝のチームで走った、浦をはじめとする仲間たちが、金銭面や練習場確保などで山城をサポートするため「チーム山城」を結成することを決めました。

一時は、人の恩に着ることを嫌った山城ですが、走る場所が得られず、一人では目標とするレースの出られないことを痛感し、チーム山城で世話になることを決断しました。

けがの懸念もなくなり、元の調子に戻りつつあったときに、先輩であり、タキタの監督として山城の面倒をみた須田から、「全日本実業団駅伝(全実))」に参加するよう強く要請されました。

山城は、自らの方針として、マラソンを走るときには自分が納得するタイムを設定し、レースの前の練習では、その目標達成に貢献しないレースへの参加しないこととしていました。このようなこともあり、全実への参加も、目標とするレースには貢献しないと考え、参加を拒否し続けてきました。

そのような中、名伯楽と言われ、チーム山城のコーチを務めていた吉池が、須田の要請を受け入れ、頑な山城の説得にあたることになりました。

ここで紹介する一節は、吉池が山城に駅伝に出ることを勧めているときの両者の会話です。

「いい加減にしろよ」吉池がふっと笑った。「須田(タキタの監督)にはお前が必要だ。お前にも須田が必要だ。なんだかんだ言って、お前のことを一番よく知っているのは須田なんだから」

「駅伝は走りませんよ」

「お前ね——– 」吉池が立ち上がった。それほど大きくない老コーチだが、今はやけに大きく見える。「大人になれよ」

「十分大人などと思いますけど」

騙されたことが分かっていて、それでも互いを利用する――――涼しい顔でそういうことができるのが、大人ってものんなんだよ。どうだ、須田をうまく利用したら。そして、利用されてやったら」

(堂場瞬一著 チーム)

 

「全実には出ない」と宣言していた山城でしたが、その1か月後吉池のアドバイスを受け入れ、参加することを決めました。

タキタの陸上部が廃止となり、選手たちの行き先に苦労した須田監督は、山城を全実に参加させることを前提に、新たな引受先候補であるKBMに交渉を持ち掛け、選手全員の移籍が決まりました。

その背景には、山城の嫌う、駆け引きがあり、以前の山城であれば、参加することはなかったのですが、吉池の言葉を思い出し、出場を決めました。

次に紹介する一節は、そんな山城の今の心のなかを書いています。

須田は、山城がこの話を受ける前提で「賭け」に出たのだろうか。俺はそういう事情を知らず、まんまと罠にはまったのか——以前の山城だったら、そう考えただけで頭に血が上り、レースをボイコットしていたかもしれない。だが今は違う。「騙されたことが分かっていて、それでも互いを利用する」―――――タヌキオヤジの吉池の台詞が、妙に心に引かかっているのだ。確かに吉池なら、腹芸も平気で使いそうだが——自分に有利になることがあれば、少しぐらい騙されていてもいいかもしれない、と今の山城は思っている。

(堂場瞬一著 チーム)

 

柔軟な思考で案件受注

私が、コンサルティング会社の海外事業部門でトップを務めており、ある開発途上国の水力発電所の案件に応札しようとしていたときの経験です。

それまで会社で手掛けたプロジェクトの推進で実績を上げていた担当部長にプロジェクトマネージャー(プロマネ)としてその案件を任せることにしていました。

プロジェクトの実施にあたっては、1社が単独で実施する場合と、競合と組んで実施する場合があります。私がいた会社ではそれまで他社と組んで仕事をしたことがなく、そのプロマネも、そのようなプロジェクトで実績を上げていました。

そのようなこともあり、今回の水力案件についても、そのプロマネは単独での受注を目指す方向で準備を進めていました。

しばらく準備を進めていたところ、競合会社である大手コンサルの数社がその案件に応札することがはっきりしてきたことで、必ずしもわが社が単独で受注できる状況ではなくなりました。

しかし、そのプロマネは、単独で受注することによる利益の多さ、競合に技術を盗まれる危険性などを挙げて、単独で実施することに固執していました。

会社としては、初めて進出する国の案件であり、今後、その国で展開されるプロジェクトを受注するための足がかりとするためにも、どうしても受注したいと考えていた案件でした。

このため、そのプロマネと徹底的に相談することにし、私からは2点アドバイスしました。

一点目は、今回受注することで、その国の今後の展開にくさびを打つことができること、二点目は、競合に技術を盗まれることがあるかもしれないが、逆に競合会社が持つプロジェクトの運営方法などを学ぶ良い機会になること。

プロマネは、相談後も単独で受注することにこだわっていましたが、結局、他社の評判の高さなどもあり、ある競合会社とジョイントを組んで応札することになりました。

応札の結果、自社の技術力の高さと、競合のプロジェクト運営の運営能力が評価され、受注することができました。

後日談ですが、このプロジェクトを受注したことにより、その後の案件で、その国のプロジェクトを単独で受注することができるようになり、この時の判断が正しかったことが明らかになりました。

一つの考えにこだわることなく、柔軟に発想を展開して課題を解決することの大切さを学んだ経験でした。

まとめ

プロジェクトを進めるときなど、どうしても一つの考えに固執してしまい、前に進むことができなくなってしまうことがあります。

このようなとき、固執した考えから一歩離れ、逆の発想をするなど、柔軟な考え方を取り入れることで、新たな解決策が見えるものです。

そのためには、自ら視野を広げ、他人の意見をよく聞くことが大切であると思っています。