今の仕事に疑問がある時

失敗を生かせない自己正当化の心理

滔々と 梅雨の晴れ間の 水の音

ふと思い立ち、7月初めに国の文化財に指定されている東京の奥多摩にある「河鹿園」を訪れ、梅雨の晴れ間の一日を楽しみました。

山深く入った河鹿園の一室からは川の流れを一望できます。ちょうど、梅雨で水かさが増し、ダイナミックに流れる川の様子を堪能できました。

さて本題です。

仕事をしていて失敗してしまったり、プロジェクトに参加していてトラブルに遭遇したり、サラリーマン生活を送っていると、困難に出会い、トラブル解消に労力を費やさざるを得ないことは多くあります。

その際、真実から目を背けてしまい、結局、問題解決を遅らせてしまう、もしくは問題解決にも至らないことがあります。

「失敗の科学」の著者、マシュー・サイド氏は、いくつかの事例を挙げ、「なぜ人が失敗から学ぶことが困難か」という問いに対し、失敗を認められない人の心理状況について、記載しています。

また、どのような人が、そのような心理状態になることが多いかについても記載しています。

私も、建設現場である土木構造物に新工法を採用した際、完成後トラブルに遭遇し、その原因となった失敗を認められず、原因の追究が遅れてしまった経験があります。

不都合な真実に出会った時の心理 

マシュー・サイド氏著の「失敗の科学」は、なぜ失敗から学ぶことができる組織と、学ぶことができない組織があるのか、多くの事例を基に、その理由について著述しています。

自分自身、多くの職場で大小取り混ぜた失敗を経験してきた私には、なるほどそういった人間の心理の罠が背景にあったのかと、参考に思うことが多くあります。

今回は、その中で、「なぜ人は失敗から学ぶことが困難」なのか、といったテーマについて紹介します。

事例として挙げられたのは、1950年代に、世界の終わりを予言する教祖に集まったカルト集団の言動とメンバーの予言当日前後の心理状況について調査した、当時、ミネソタ大学の研究者であったフェスティンガー氏の研究を取り上げています。

予言者が世界の終末と予言したその日に、何も起こることはありませんでした。そのとき、

信者たちが取った行動は、誤った予言をした教祖に幻滅しなかったばかりか、その前に比べより教祖の熱心な信者になった事実を、フェスティンガー氏は実体験としてまとめています。

このエピソードをもとに、サイド氏は、不都合な真実が現れたとき、人は、これまでの解釈を変えてしまう傾向にあると述べています。

ここで紹介する一節は、なぜ人がそのような状況に陥るのか、詳述している箇所です。

なぜこんなことが起こるのか? カギとなるのは「認知的不協和」だ。これはフェスティンガーが提唱した概念で、自分の信念と事実とが矛盾している状態、あるいはその矛盾によって生じる不快感やストレス状態を指す。

人はたいてい、自分は頭が良くて筋の通った人間だと思っている。自分の判断は正しくて、簡単にだまされたりしないと信じている。 だからこそ、その信念に反する事実が出てきたときに、自尊心が脅かされ、おかしなことになってしまう。問題が深刻な場合はとくにそうだ。矛盾が大きすぎて心の中で収拾がつかず、苦痛を感じる。

そんな状態に陥ったときの解決策はふたつだ。1つ目は、自分の信念が間違っていたと認める方法。しかしこれが難しい。理由は簡単、怖いのだ。自分は思っていたほど有能ではなかったと認めることが。

そこで出てくるのが2つ目の解決策、否定だ。事実をあるがままに受け入れず、自分に都合のいい解釈を付ける。あるいは事実を完全に無視したり、忘れたりしてしまう。そうすれば、信念を貫き通せる。ほら私は正しかった!だまされてなんかいない!

(マシュー・サイド著 有枝春訳 失敗の科学)

 

また、サイド氏は、どのような人がこのような状況に陥りやすいかについて「天才ほどハマる自己正当化の罠」と題して、書いています。

そこでは、2010年、当時の米国連邦準備制度理事会(FRB)が、景気刺激策として大量の追加資金供給をバーナンキ議長が進めようとした才に、反対の姿勢を取った著名な経済学者や識者など対応が描かれています。

彼らは、その方策がインフレを増長するものとして反対ましたが、4年後、大量資金投入にもかかわらずインフレは起こらず、かれらの予想は外れてしまいました。

次の一節では、その結果を踏まえ反対意見を提出した人たちが、どのように反応したかを事例に取り、自己正当化の罠に陥りやすい人の特性について紹介しています。

認知的不協和は医師し、検察官、カルト集団のメンバー、世界的に著名なビジネスリーダー、歴史学者、経済学者、その他誰にでも起こり得る。

事実をありのままに受け入れることは難しい。大きな決断であれ、小さな判断であれ、当人の自尊心を脅かすものなら何でも認知的不協和の引き金になる。いや、むしろ問題の規模が大きければ大きいほど、自尊心への脅威も大きくなっていく。

(マシュー・サイド著 有枝春訳 失敗の科学)

 

結局、このような心理状況では、せっかく学べる失敗からの教訓も学べないことを、サイド氏は主張しているのだと思います。

そして、このような状況は、サラリーマン社会にも大きく影響しているものと思います。

以下、私の経験を紹介します。

自らの知見が否定されたときの自己正当化の心理

 私が建設現場で遭遇したトラブルの経験については、このブログでもいくつかのテーマで取り上げてきました。

今回は、トラブルの真相解明時の心理状態の視点から、振り返ってみたいと思います。

ダム建設に従事し、その付帯設備の設計と施工に携わったときの経験です。

ある漏水対策としての構造物を湛水池の中に設けることになりました。工期末も間近であったことから、工期的に早く、しかもコストを抑えた構造物の設計が必要でした。

このため、どのような工法が最適か、建設所の所長を筆頭に、課長である私と若手技術者数名が、関係する文献や海外での施工事例を数か月にわたって調べ、ある工法を用いることにしました。

採用した工法は、日本ではこれまで採用されていない工法であったこともあり、その後は、各部の構造について、文献調査ばかりでなく、必要に応じて模擬試験などを実施し、詳細な設計を進めました。

このように徹底した努力をしたことから、設計に参加したメンバーは、これ以上学ぶことはないというほど、その工法に対し自信を持ちました。

設計を終え、工事も順調に進み、ダムの建設に合わせるようにこの構造物も完成することができました。

水を貯め始め、ある程度水位が上がった時点で、その構造物の監視のため設置した計器が異常値を示すようになりました。どうも、その構造物のどこかからか水が浸透しているのではという状況が見え、水を貯めることを一時中断し、様子を見ました。

やはり、トラブルが生じていることが明確となり、すぐに湛水池の水位を下げ、その構造物を点検することになりました。

すると、一番に設計に注意をはらい、検討にも時間を要した箇所にわずかな損傷が見られました。しかし、あれほど注意して設計したところが原因になるわけがないという思いで、別の箇所の調査を続けました。

すると、水が浸透した痕跡を残す箇所が見つかり、そこが原因箇所であるということで、対策を講じました。

すぐに、水を再度貯め始めたところ、また、同じ水位のところで、トラブルが生じました。

再度のトラブルに意気消沈している中で、調査を進めたところ、最初のトラブル時に発見していた箇所の傷が広がっているのが認められました。

もう、トラブルを起こすことはできないという思いから、その箇所を含め、なぜ損傷が生じたか検討を重ねました。すると、最初に見つけた箇所の傷が大きなトラブルのきっかけであることが分かり、その個所を含めた抜本的な対策工事を行いました。

工事が終わり、水を貯め始めると、今回は、トラブルを起こすことなく、水位を上げることができました。

最初に、根本的な原因箇所を見つけたときに、あれほど勉強し、それを活用した箇所であれば、そこが原因になるわけがないという自分たちを守る心理が働き、それを否定する事実が突き付けられ、結局、真実から目を逸らすこととなった経験でした。

2回目にトラブルが生じたときは、そのような慢心をかなぐり捨てざるを得ない状況となり、かえって謙虚な気持ちを持てたことが、真実の原因を見出すことができた経験でもありました。

まとめ

何か失敗をしてしまったとき、特に、ことが重大であればあるほど、自己を正当化しようとする心理は働くものであると、マシュー・サイド氏は書いています。そして、会社組織では上位に立つ人ほどその傾向は強くなるようです。

では、そのような状態に陥ったときに、その罠を抜け出す方法はあるのでしょうか。

私の建設現場でのトラブル経験および社長を務めたときの経験では、組織のメンバーの誰もが、何でも話せる状況になっていることが大切であると思っています。

そして、上司が理不尽な意見を言った場合にも、それを押しとどめ、真実に基づいて問題を解決しようと、組織全体が意識できていることが重要だと思います。