今の仕事に疑問がある時

環境変化にいかに対応するか-43年の会社生活からの教訓-

会社勤めをしていると、まったく違う部署に異動になったり、どうしても転職を考えたりしなければならなくなることがあります。

また、上記のような自分にかかわる環境の変化のほか、外部環境が仕事をしているうちにすっかり変わってしまうこともあります。

コロナ禍で、この動きはますます早くなっているのでないでしょうか。

そのような、自分の周りの環境が変化したときに、スムースに移行していくためには、どのように考え、行動すればよいのでしょうか。

司馬遼太郎は、その作品、「坂の上の雲」の中で、陸軍の児玉大将が、砲術の専門家に対して語った言葉のなかに、そのヒントを書いています。

私も、本社の建設部門の課長を務めていたときに、部門のトップから、「この先今までのような仕事は無くなる。次に何をやるか考えろ」といわれ、一瞬戸惑ったものの、海外に活路を開くべく事業を展開した経験があります。

今回は、環境変化に対する対応を司馬氏の小説と、私の課長時代の経験から紹介します。

 

きのうの専門家をやめ、あすの専門家を目指す

小説「坂の上の雲 第5巻」の中では、日露戦争で旅順要塞を攻撃するために、日本軍がおびただしい血を流し続けた二百三高地での日本の陸軍の戦いの様子を描いています。

ロシアの誇る強靭な旅順要塞の陥落を任された乃木大将を司令官とする第三軍が、幾度も攻撃を繰り返しているにもかかわらず、日本軍の死傷者を出すだけで、事態を打開できずにいました。

現地総司令部の参謀長である児玉大将は、乃木軍の戦略のなさに業を煮やし、自ら、その戦場に赴き、乃木司令官の代行として第三軍の指揮をとるようになりました。

これまでのやり方では、要塞を落とすことはできないと考えた児玉は、これまでの第三軍では考えられない戦術を、部下に対し命令するのでした。

ここで紹介する一節は、児玉が出す指令に抵抗する砲術の専門家に対し、児玉が、状況の変化に応じて戦術を見直すことの大切さを説く場面です。

児玉の命令は、これまでの第三軍の戦術思想からいえば、驚天動地のものであった。

「まず、一つ」

と、児玉はその第一項を口早に言った。

「二〇三高地の占領を確保するため、すみやかに重砲隊を移動して、これを高崎山に陣地変換し、もって敵の回復攻撃を顧慮し、椅子山の制圧に任ぜしむ」

「二つ。二〇三高地占領の上は、二十八サンチ榴弾砲をもって、一昼夜ごと、十五分を間して連続砲撃を加え、敵の逆襲に沿うべし」

以上、砲兵の常識からいえば、まるで不可能のことであった。

(なんと無謀なことを言う人だ)

と、砲兵中佐佐藤鋼次郎はおもった。児玉という人は攻城用の重砲を、そのあたりで馬に曳かせている野砲や山砲とまちがえているのではないか、とおもった。

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ところが児玉にいわせれば、

(専門家のいうことをきいて戦術の基礎をたてれば、とんでもないことになりがちだ)

ということであった。専門家といっても、当時の日本の専門家は、外国知識の翻訳者にすぎず、追随者のかなしさで、意外な着想を思いつくというところまで、知識と精神のゆとりをもっていない。児玉は過去に何度も経験したが、専門家にきくと、十中八九、

「それはできません」

という答えを受けた。彼らの思考範囲が、いかに狭いかを、児玉は痛感していた。児玉はかって参謀本部で、

諸君はきのうの専門家であるかもしれん。しかしあすの専門家ではない」

と、どなったことがある。専門知識というのは、ゆらい保守的なものであった。児玉は、そのことをよく知っていた。

(司馬遼太郎著 坂の上の雲 第5巻)

児玉が、現状に対しなんの戦術の見直ししようとしない部下に対し語った言葉は、「それはできません」の世界から「まずやってみる」の世界にためらうことなく移行することが大切であることを示唆しているものだと思います。

何十年と続いた仕事がなくなるという劇的な環境変化

私が40歳代後半のときに所属していた部門では、会社の設備を設計、建設する業務を、部門創設以来担っていました。

しかし、社会の生活スタイルの変化などもあり、1990年代後半になると、これまで建設してきたような設備の建設需要が徐々に減り始めました。ちょうどその頃に私はその部門の課の課長となりました。

一年ほど課長を務めたころに、部門の幹部を集めた会議がありました。

その席で、部門のトップから、「ここ数年で、今までのような仕事はほとんどなくなるから、将来を見据えた仕事を見つけるように、幹部は考えること」との話がありました。

これまでのような仕事が減少することには気が付いていましたが、まさか、数年でこれまでやってきた仕事がなくなるといわれ、私をはじめ、部門に所属していた社員はみな、驚くしかありませんでした。

その後、会議があるごとに、トップから同じ話が出、検討が進んでいるかとの問い合わせが続きました。

これは、真剣に考えなくてはいけない状況であると気づき、部門内で検討を進め、新たに進出する事業の検討をはじえました。

結局、これまで培ってきた技術を生かせるであろうということで、海外の開発プロジェクトへの参加をはじめ、そのほかの事業として2,3の候補が上がりました。

新たな世界への挑戦

既に、部門の周りの環境が変わり始めている中で、部門の課長として、方向性を明確にしなければならない状況になりました。

「新たな事業への展開は、今までに経験がなく、難しい」と言ってはいられず、「まずは、手をつけ動き始めよう」と決意し、海外でのコンサルティング事業に着手することにし、そのリーダーを務めることになりました。

まさに、映画“ポセイドンアドベンチャー”で描かれた、船が沈没する中、何とか脱出口を探し求めて、脱出活動を開始したメンバーのような気がしました。

まさに、「座して死を待つより、少しでも動いて活路を開くべき」という心境でした。

新たな事業ということで、メンバーの募集を始めましたが、募集にあたって、皆に問いかけたのが、このポセイドンアドベンチャーの話でした。

この状況を理解してくれた若手を主体とするメンバーが集まり、海外事業がスタートしました。

動き始めたことで、当初感じていた悲壮感がだんだん薄くなり、部門として新たな事業に初めて進出するのだという高揚感が、私を始め、メンバーに湧きおこり、難しい問題も多々発生しました。

そして、何とか、それらの課題も克服し、3年ほど経つと、何とか、海外でのコンサルティング事業もやっていけるのではという状態になりました。

海外事業に出ることを決断し、一番い嬉しく思ったことは、集まった若手メンバーが、皆いきいきと仕事をしていたことでした。

このように、会社の周りの環境が変化し、新たな事業に乗り出し、何とか活路を見出した経験の中で、大切であると感じたことが2点あります。

 ① 新たな事業の可能性を調べ、何らかの進出する可能性を早期に見つけ動き始めること

 ② 動き始めた中で、早い時期に小さな成功例を見つけること

まとめ

自分が働く環境が変化する、それも劇的に変化することは、これまでもよく聞く話でしたが、このコロナ禍で、その状況は一層顕著になっているものと思います。

「坂の上の雲」の児玉大将の言葉と、自分自身が劇的変化に遭遇したときに経験したことから、環境変化に遭遇したときに、今までより将来を、より充実したものにするためには、以下の3点が重要なのではと思っています。

 ① 環境変化の実態を把握し、今までのやり方にとらわれず、その変化に対応する方策を           時間をかけず見つけ出すこと

 ② 「それはできません」から「まずは、やってみよう」という意識を持つこと

 ③ まずは動いて、小さな成功体験を見つけること