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「失敗から学ぶ」ことの弊害、非難―建設現場の経験からの教訓―

「失敗から学ぶことで成長する」ことの大切さは、よくわかっているつもりなのに、なかなかに実践できない状況にあるのが、多くの組織が抱える問題ではないでしょうか。

では、失敗から学ぶことを妨げる要因としてどのようなことが考えられるのでしょうか。

マシュー・サイド氏はその著作「失敗の科学」の中で、その点について、明確な示唆を与えてくれています。失敗に立ち会ったときの一般的な人の行動としての非難が、学習の機会を奪っていると、書いています。

私も、土木構造物の建設現場で何回か失敗し、トラブルを起こしたことがあります。自然は、容赦なく構造物の弱点を攻め立ててき、トラブルを拡大させるように働きます。そのトラブル対応の中で学んだことがあります。

「トラブルの対応にエネルギーを集中しな帰ればならないときに、非難合戦などしている場合ではありません」また、「そのことに集中することで多くのことを学ぶことができる」」

今回は、マシュー・サイド氏の著作と私の建設現場の経験から「非難は失敗から学ぶことの大きな弊害になること」について紹介します。

非難は貴重な学習のチャンスを奪う行為

マシュー氏の作品から、失敗したときに非難が起こる理由と、それが如何に失敗から学ぶ機会を奪っているかについて、いくつか引用します。

“非難は、人間の脳に潜む先入観によって物事を過度に単純化してしまう行為だ。ある意味、講釈の誤りをさらに悪化させたものと言えるかもしれない。非難は我々の学習能力を妨げるばかりでなく、ときには深刻な結果をもたらす。

 

何かミスが起こったときに、「担当者の不注意だ!」「怠慢だ!」と真っ先に非難が始まる環境では、誰でも失敗を隠したくなる。しかし、もし「失敗は学習のチャンス」ととらえる組織文化が根付いていれば、避難よりもまず、何が起こったのかを詳しく調査しようという意思が働くだろう。

適切な調査を行えば、ふたつのチャンスがもたらされる。ひとつは貴重な学習のチャンス。失敗から学んで潜在的な問題を解決できれば、組織の進化につながる。もうひとつは、オープンな組織文化を構築するチャンス。ミスを犯しても不当に非難されなければ、当事者は自分の偶発的なミスや、それにかかわる重要な情報を進んで報告するようになる。するとさらに進化の勢いは増していく。

次の一節では、ある航空機事故を事例に取り、その経緯を明らかにしたうえで、その事故にかかわった多くの人、組織に対する非難の無意味さと、ではどうすればよいかについて、述べています。

ここでひとつはっきりしているのは、実際に何が起こったのかを理解する前に、勝手な非難をするのはまったく無意味だということだ。悲劇の「犯人」を吊るし上げれば、ひとまずの満足は得られるかもしれない。そういう考え方のほうが人生はシンプルだ。

脊髄反射的な関係者叩きは、えてして醜い非難合戦につながる。ビジネス、政治、軍事の世界では、責任のなすりつけ合いは日常茶飯事だ。だが、当の本人には、まったく悪気がないことが多い。みな、本当に相手のせいだと思っている。

どんなミスも、あらゆる角度から検討して初めて、相反する出来事の表と裏を覗き見ることができる。その過程を経てこそ、問題の真の原因を理解できる。どんな間違いがあったのかを知らないままで、状況を正すことなど不可能だ。

 

さらに、避難合戦の実体について、多くが、企業の幹部の考え違いから発していることを以下のように紹介しています。

「非難や懲罰には規律を正す効果がある」という考え方が管理職に浸透していることも問題を根深くしている。彼らは「失敗は悪」として厳しく罰すれば、社員が奮い立って勤勉になると信じている。

非難合戦は、このような考えをもとに広まっているのかもしれない。ハーバード・ビジネス・スクールのある調査によれば、社内で起こったミスのうち、企業幹部が本当に非難に値すると考えているものは全体の2~5%にすぎないことがわかった。しかし実際は、70~90%が非難すべきものとして処理されている。

 

失敗への非難に注力し、本質を見失う事態に

ここでは、失敗したことへの非難に力を注ぎ過ぎているため、本来達成しなければならないことへ関心が向かなくなってしまうという視点から、非難することの弊害について紹介します。

作家今野敏氏は所の作品「自覚」の中で、その点について書いています。

警視庁で長いこと窃盗犯として追いかけていた犯人が、大森署管内で窃盗を働き逃亡しました。その際、大森署の若い警官が被疑者に職務質問で接触しておきながら、犯人とは思わず解放してしまい、逃がしてしまいました。

その若い警官が取った行動に対し、警視庁の担当課の捜査官はじめ、警察署の管理を担う監督官が、せっかくの逮捕の機会を逃したことに対し、何らかの責任を取る必要があると、大森警察署の竜崎署長に強く主張しました。

非難を繰り返す人たちを前に、竜崎は、失態を非難することより優先すべきこととして、被疑者を確保することのほうが、今は重要であると、説諭々します。

ここで紹介する一節は、竜崎と非難する者たちとの会話です。

(警視庁捜査第三課捜査員 北沢)「所轄のミスですから、所轄でしっかりと処理していただきたい。関本課長(大森署刑事課長)が言われたように、『猫抜けのタツ』は、我々が、何年も追いつづけている常習犯なのです」

さらに野間崎(第二方面本部管理官)が言った。

「大森署の失態です。ちゃんと責任を取ってもらいましょう」

竜崎所長は、無言でみんなの発言を聞いていた。戸惑っているようにも見える。

———-

やがて、竜崎が言った。

「君たちは、いったい何をやっているんだ?」

戸惑っているのではなかった。本当に理解ができない、という表情だったのだ。

野間崎がこたえた。

「何をやっているって、どういう意味ですか?」

竜崎がさらに言う。

「ここで、あなたたちが何をやっているのか、私には不思議でならないのです」

「だから、私たちは———–」

竜崎は、その野間崎の言葉を遮った。

「あなたたちがやるべきなのは、被疑者を確保することでしょう。誰かの失敗を非難することでも、責任を追求することでもない」

関本は、はっとした表情で竜崎を見つめていた。

北沢も同様だった。

(今野敏著 隠蔽捜査5.5 自覚)

失敗を非難することに専念するがために、今本当にやらければならないことに注意が向かなくなってしまった人たちの行動から、非難することの弊害を明示した事例でした。

自然は非難する暇などあたえてくれない

私が土木構造物の建設に従事していたときに、今野敏氏の作品と同様、非難などしてはいられない経験をし、そこから多くのことを学びました。

その工事の終盤でトラブルが発生し、当初は、「あの時の、あの人の判断が」などといった非難が出ました。しかし、いざトラブル対応を始めると、トラブル個所を修復しても、水を貯めると、また違ったところにトラブルが発生するといった、事態が発生しました。

まるで、水という自然が、容赦なく我々の構造物を襲ってくる感じがしました。

トラブル発生といった緊急事態になると、人を非難するようなこと等やってはいられず、全精力をトラブル対応、水との戦いに費やす必要が生じました。

お陰で、非難するといったことに時間をとることもなく、原因調査と対策工の設計、補強工事に集中することができるとともに、自然からいろいろなことを学ぶことができました。

学んだことは、工事にかかわることばかりでなく、その後の会社生活においても、役に立つことが多々ありました。

いくつか列挙すると以下の通りです。

① 自然界に構造物を作りことは現状で落ち着いているところを変えることであることか   ら、自然に如何に適合するかをまず考える必要があること。

② そのためには、自然に対し、謙虚な気持ちで向き合う必要がある。構造物を築いていくことで、自然に対しどのような影響をおよぼすかも考えずに、山を掘削したり、川の流れを変えたりすれば、必ず、しっぺ返しがあること。

③ 自然ばかりでなく、人に対しても謙虚な姿勢で対応することで、組織としての成果を上げることができるばかりでなく、組織の活性化にも役立つこと。

まとめ

「失敗から何を学ぶか」、また「失敗を非難する組織では失敗を生かすことができない」といった点について、事例をもとに紹介してきました。

失敗から学ぶことは多々あります。ただそれは、そのような意識がその組織に浸透していることが大切であると思っています。