仕事で行き詰った時

危機を乗り切る改革には名参謀が必要

前回から始めた、俳句と写真の組み合わせ作品です。

ひと時を 黄金に染めて 春茜

よく晴れた春の一日、夕方にウオーキングに出、いつも歩く尾根沿いの道の脇にある展望台に行き、夕日を見ていました。夕日が沈み始めると、西の空が黄金色に染まり、華麗な空の様子に見入ったひと時でした。

さて、本題です。

会社なり組織が危機を迎えたときに事態を収拾する、もしくは、会社の変革に向けて舵を切ろうとしたとき、組織のトップとして判断し、組織を動かしていく上で手掛けることは多岐にわたります。

しかし、それひとつひとつを一人でこなすことは難しく、共に作戦を立て、実行してくれる参謀的な相棒が必要となります。

では、組織のあり方として、トップとそのトップを支える参謀との関係はどのような形が望ましいのでしょうか。

両者の組み合わせが良好なものであれば、組織は活性化し、一体となって変革に向け動き始めます。

一方、両者の関係がうまくいかない場合は、組織自体がどちらを向いて進むかはっきりせず、活性化が失われ、変革も滞るようです。

司馬遼太郎氏は、その作品「燃えよ剣」の中で、トップと参謀の役割を明確に述べています。

私も、社長となったときに、よい参謀を得て、組織の改革を順調に進めることができた経験があります。

今回は、司馬氏の作品と私の経験から、「危機を乗り切る改革には名参謀が必要」について、紹介します。

危機時におけるトップと参謀の関係

小説、「燃えよ剣」は、新選組副長の土方歳三が主役です。

武州多摩出身の土方は、近藤勇とともに、武州多摩での剣術指南と、当地の剣客との喧嘩騒ぎに明け暮れていました。

しかし、江戸での道場経営が破綻したのをきっかけに、幕府の要請を受ける形で、土方は、近藤勇を上に置き、数人の剣客とともに、攘夷活動が活発化しだした京に上りました。

新選組副長として、また、近藤勇の参謀として幕末の動乱期に、新浪人や百姓上がりの寄せ集めを組織し、京都守護職松平容保の手配下に入り、当時最強の人間集団を作り上げた土方の姿を描いています。

新選組は、尊皇派の志士との争闘で実績を上げることで、幕府京都守護職の信を得るようになっていきました。その中で、近藤局長の立場も、幕府に重く用いられるようにもなり、新選組のトップとしての地位が確たるものとなっていきました。

そのような中、武蔵の国を出るときから一緒に行動してきた、新選組でも近藤の次席で、総長を務める山南敬助が、土方との方針の違いから新選組を脱退しました。

その山南の扱いをどうするか、以前から山南と親交のある沖田総司は、そのまま逃亡を許したい意向を持っていました。しかし、土方は、新選組の隊法に則り、山南に自決させるよう手配することを主張するのでした。

ここで紹介する一節は、そのような状況下で、土方が、新選組の中での自分の役割そしていかに近藤局長を立て、新選組をまとめて来たか、沖田に話す場面です。

 

(沖田)「山南さんをどうするんです」

(土方)「おれにきいたって、わかるもんか。そういうことは、新選組の支配者にきくがいい」

「近藤さんにですか」

「隊法さ」

(切腹だな)

—————

「どうもしやしませんよ。ただ、みな、あなたを怖れ、あなたを憎んでいる。それだけは知っておかれていいんじゃないかなあ」

「近藤を憎んでは、いまい」

「そりゃあ、近藤先生は慕われていますよ。隊士のなかでは、父親のような気持ちで、近藤先生を見ている者もいます。あなたとはちがって。—–

「おれは、蛇蝎だよ」

「おや、ご存じですね」

「知っているさ。総司、言っておくが、おれは副長だよ。思いだしてみるがいい、結党以来、隊を緊張強化させるいやな命令、処置は、すべておれの口から出ている。近藤の口から出させたことが、一度だってあるか。将領である近藤をいつも神仏のような座においてきた。総司、おれは隊長じゃねえ。副長だ。副長が、すべての憎しみをかぶる。いつも隊長をいい子にしておく。新選組てものはね、本来、烏合の衆だ。ちょっと緩めれば、いつでもばらばらになるようにできているんだ。どういうときがばらばらになるときだか、知っているかね」

「さあ」

「副長が、隊士の人気を気にしてご機嫌とりをはじめるときさ。副長が、山南や伊東(甲子太郎)みたいにいい子になりたがると、にがい命令は近藤の口からでる。自然憎しみや毀誉褒貶は近藤へゆく。近藤は隊士の信をうしなう。隊はばらばらさ」

「ああ」

(司馬遼太郎 燃えよ剣)

経営改革における名参謀

私が、コンサルティング会社の社長となり、これまでの経営を抜本的に見直す必要を感じ、経営改革を進めた話は、このブログでも再三、取り上げてきました。

今回の事例も、この経営改革をスタートさせてから数年の間の経験です。

10年後の会社のあるべき姿を明確にし、その理想の姿に向かった目標を定め、社員とともに行動することを宣言し、改革をスタートさせました。

一方で、その経営改革を進めるにあたって、社員が意識してその方向に動き出すためには、いくつか解決しなければならない課題がありました。

一つが、組織のあり方など、これまでの会社の経営のやり方を変えることから、社員の意識を大きく変える必要がありました。

二つ目が、社員が我々と同じ方向に向かい、一緒になって行動するように仕向けることでした。

三つ目が、目指した目標に向け、改革が計画通りに進むよう組織を動かし、管理する仕組みが明確でなかったことでした。

これらの課題の対応として、いくつかの方策を取り上げ実施しましたが、その中でも大きな取り組みが、会社のトップである私と、改革を進める上での戦略構築と確実な実施を担う参謀との関係作りでした。

私が社長になり、すぐに昔からよく知る年下の人を参謀として企画部長になってもらいました。

その人は、若い時から親交のあった人で、親会社のある部門の統括課長を務め、子会社の社長を務めた経験のある人でした。

会社の幹部として計画を立て、確実に実行した実績のあることを以前から聞いており、この機会に経営改革の参謀となってもらうことにしました。

両者で話し合い、上記3点の課題を克服するため、次のような方針を立て、お互いの役割を明確にしたうえで経営改革を進めることにしました。

  •  お互いが納得する将来の会社の理想の姿を構築する
  •  社長は組織のトップとして、社員に改革の方針を打ち出し、進め方を理解してもらうために社員の信頼を獲得するよう行動する。また、積極的に社員との懇談会を開催し、社員の声に耳を傾ける。
  • 参謀は、将来の理想の姿に向かいしっかりした戦略を立て、それを基に、会社の各部門をマネージングする。
  • 上記役割分担のもと、社長は方針を明確に伝えるものの、推進の管理などについては、いちいち口を出さず、肝心なときに、決定的な判断を下すこととする。

参謀は、社員にうるさがられても計画を推進するために、厳しい姿勢で各部門長、社員に臨む。

このような方針を立て、お互い頻繁に情報共有を図り改革を進めていきました。

思惑通り、社長との懇談会では、遠慮せず意見が出るようになり、社員の考えをトップが把握することができました。また、戦略に基づく計画も、参謀の厳しい管理のもと、的確に進んで行きました。

まさに、新選組の土方が提唱したトップと参謀の関係を数年にわたって実行していきました。

そのような体制の下、改革を進め、2年もすると、会社内の雰囲気が変わってきたのをはっきり感じるようになり、改革の成果も出始めました。

改革を進めるためにトップがなすべきこと、役割は多岐にわたります。そのためにも、 信頼のおける参謀を指名し、社長には向かない役割を担ってもらうことが必要であることを学んだ経験でした。

まとめ

 組織を運営する、とくに組織が危機に遭遇したときの問題として、考えなければならないこととして、トップを支える参謀との役割分担があると思います。

「燃えよ剣」からの引用と私の会社経営の経験から、組織にいるメンバーを動かすうえでは、トップは方針を明確に示し、社員の心を掴んで放さない行動が必要となります。

一方で、それだけでは、組織は厳格に目標に向かった動くことはできません。そのようなときに、参謀が、方針に則り確実に目標に向かい、社員が行動するよう指示を出し、指導する姿勢を持っている必要があると思います。

ここで、大切なことは、参謀がその任務を意識し、社員から疎まれようとも、確実にことを進めていく強い意思と行動力を持っている必要がります。

そして、この両者の関係が、阿吽の呼吸で進められた時、組織の変革は成果を上げることができるのではと考えています。