今の仕事に疑問がある時

問題解決には視点を変えてみることが大切-社長経験からの教訓-

仕事が順調に進んでいるときは、問題が生じてもその対策案がすぐ浮かんだり、同僚や上司のアドバイスですぐ解決法が見つかったりすることがよくあります。

しかし、今までに経験したことがないような課題やトラブルに出会うと、なかなかに解決策が見つからず、いたずらに時間が過ぎてしまい、よけいにいらいらすることが多くなります。

では、このように難題にぶつかり、その解決策が見つからなかったときには、どうすればその難題を解決することができるのでしょうか。

作家、辻堂魁氏は、江戸時代を舞台にした作品の中でこの点について触れています。

そこでは、多くの苦難を乗り越え、一流の呉服店を立ち上げ成功に導いた、大店の店主の言葉として「見方を変えて策を講じる」ことの大切さを紹介しています。

私も、ある会社の社長になったときに、低迷する事業の立て直しを図るため、これまでの経営のやり方の見方を変え、進出していなかった市場への売り込みを図ることで事業を持ち直した経験があります。

今回は、辻堂氏の作品と私の社長経験から「課題を解決するうえでは、視点を変えることが大切であること」を紹介します。

物の見方を変えて策を講じる

小説「風の市兵衛」の舞台は、江戸時代末期の江戸です。

主人公、唐木市兵衛は、10代の頃に剣の修業をおさめ、風の剣とよばれる技を使う剣術使いとなりました。

しかし、剣の技を高めるより、算盤技術を身につけ、武家や商家の経営を担うことに、生きがいを見つけました。

算盤を使うことで、武家や商家に半年とか1年の任期で渡り用心として雇われ、そこで、日々のやりくりに苦労する雇人を助け、立ち直りを図ることを生業としています。

市兵衛が雇われた家では、その家の存在に関わる問題に関し、悪徳者が絡むことが常態でした。

このため、市兵衛は、やりくりの指南とともに、その問題の解決のために剣を使うこともたびたびでした。

ここで紹介する一節は、市兵衛が、呉服と太物の問屋を営む磐栄屋に用心として雇われたときの話です。

新宿追分で数十年にわたり店を反映させてきた磐栄屋ですが、その敷地を乗っ取り、そこに支店を出そうとする日本橋の大店の嫌がらせを受け、売り上げが落ちる一方でした。

さらに、貨幣の改鋳が行われ、諸色が値上がりする中、この状況を乗り切るためには、商品の値上げも止むを得ないと、主人の天外以外の見せの関係者は主張します。

雇い主である天外から、意見を求められた市兵衛も、現状から 値上げもやむを得ないと返事をしました。

しかし、簡単に値上げをすることに異論を持つ天外から、別の打開策について意見を求められました。

浪花での商売にヒントを得て、このようなときにこそ値下げすることも一手であることを市兵衛は提案しました。

その提案に、天外以外の店の者は反発を強めましたが、天外は、見方を変えて、乗り切絵う策を考えることの必要性を力説するのでした。

次の一節は、そのときに、主人である天外が語った言葉です。

しかし天外は顔をあげ、また市兵衛に聴いた。

「唐木さん、浪花の商人ならこういうとき、どうするでしょうか」

市兵衛は首を傾げた。

なるほど、浪速の商人たちならどうするかな——市兵衛は考えた。

「わたしに商いの手ほどきをしてくれた問屋の主なら、諸色の値上がりしているこの時期を商機と見て、案外、値下げに打って出るかもしれません」

市兵衛が応えると、若い手代らが馬鹿ばかしいというふうに笑った。

天外もおかしそうに笑った。

それから組んでいた腕を解いて、膝へ乗せた。

天外は穏やかな表情を変えず、手代らとお絹に言った。

「うちも、この商機に値下げを講ずる策はないか」

三人の手代らが、「ええっ」と声を上げた。

「お父っつあん」

お絹が天外に言いかけた。

「いい物を高く売るなら商人魂の下だ。お得意さまにいい物こそ安くお売りするのが商人の腕の見せどころだ。今こそ、値下げはいいかもしれん」

「いくら旦那さまでも、それは無理です。お店が潰れます」

長介(手代筆頭)が首を左右に振って天外をいさめた。

———-

「ははは——頭から決めてかからず、見方を変えて策を講ずるのだ。値上げをするだけなら、考えずとも誰にでもできる

天外は、理屈を越えた古武士の一徹さで、己の商いを貫いていた。

清々しいまでに素朴で、潔い商人魂だった。

こんな男が商人の中に入るのかと、心密かに快哉を覚えた。

(辻堂魁著 雷神 風の市兵衛②)

その主人の決心を聞き、市兵衛は、今まで江戸では見られなかった呉服、太物の売り方を提案しました。

ためしに実施した市兵衛の提案した売り方が、庶民の反響を呼び、連日、お客様が絶えることなく、来るようになりました。

売り上げ減少の難局をどう乗り切るか

私が、ある会社の子会社である土木建築関係のコンサルティング会社の社長になったときの経験です。

その会社では、数十年の間、親会社からの仕事が売上の7割程度を占めていました。

しかし、親会社の影響を受け、仕事が大幅に減っていくということが見通され、社員の処遇も下げざるを得ない状況で、将来への不安から社員の雰囲気は大変沈滞していました。

この状況を打破するため、いかに経営を見直し、将来に向けて会社を成長させるかが社長になって最初の課題でした。

親会社に売り上げの多くを依存していたこともあり、減少していく売り上げをどのように回復し、さらなる売り上げ増にもっていくか、なかなかにアイデアが浮かんでこない日が続きました。

売っている商材は、新規構造物の設計、既設構造物の安全性評価に関するコンサルティングが主なものでした。

親会社との長い期間を通じての共同研究もあり、その分野では技術に高いものがありました。一方で、親会社に特化した技術が多く、なかなかに、ほかの顧客に打って出ることが難しいと考えられていました。

また、親会社から、毎年所定量の仕事が来ることから、特に、そのほかの顧客に出ていく必要性も低い状況でした。

そのような中、売り上げが減少していくことははっきりしており、なにか手を打たなければと、そのことばかりが頭を占める毎日でした。

これまでに沁みついた仕事のやりかたを見直す必要があると思い、親会社以外の顧客のいる市場に打って出ることを決心しました。

視野を広げて市場拡大を目指す

改革を決心したものの、数十年来、親会社との結びつきが強く、仕事はその会社から流れてくる状況であり、社員には能動的に営業をする意識がほとんどありませんでした。

また、そのままの商材では売れないであろうという気が強く、営業する意欲も低い状況でした。

このため、商材の売り方の視点を変え、こちらから積極的に打って出る意識を持つよう、社員を指導することにし、目指す将来像を社員に社長就任早々に示すことを考えました。

「親会社だけではなく、広く世の中のインフラ企業に対して、設備のゆりかごから墓場まで、一貫したサービスで、顧客に寄り添い、共に歩むトップコンサル」を目指し、外販で成長していこう、という経営方針を掲げ、改革の一歩を踏み出しました。

この経営方針に乗っ取り、社員の意識の変革に励みました。

2年もすると、親会社以外に売っていくことの実績が伴うようになりました。それで社員に自信がついたのか、売り上げを減らすことなく、さらには、3年目からはこれまで以上に売り上げと利益を伸ばすことが可能となりました。

 今までの仕事のやり方の視点を変え、受動的であった受注活動を能動的な受注活動に変えることで、予想された停滞を免れることができた経験でした。

まとめ

大きな課題に遭遇し、前に進めない状況に陥ったとき、これまでのやり方、ものの見方では問題が解決できないことがよくあります。

このようなとき、今までのやり方の見方を変えてみることで、新たな発想が出てくることがあり、それが問題を解決するよいきっかけとなることがあります。

今までのやり方にこだわらず、視点を変えることが大切であると思います。