能力を高めたいとき

真実を追求し行動することで確実な成果を得る

仕事上で判断すべきことがあり、決断しなければならないときや、トラブルを抱え、その原因を突きとめるときなどに出会った場合、時間がないことはよくあることだと思います。

このような場合、つい、今自分が持っている情報、または聞きかじりの話をもとに決めてしまい、判断するために必要な真実の追求がおろそかになり、成果に結びつかず、反省してしまうことがよくあります。

では、会社生活の中で、判断し行動するときに、後になって後悔しない判断とはどうすればよいのでしょうか。

山本周五郎はその著書の中で、そのような場合には、地に足の着いた言動、そして真実の上に立ち行動することを、強く語っています。

私も、土木構造物の工事現場で、時間に追われて進めた工事で、再度やり直しせざるを得ない状況に追い込まれたことがありました。

まさに、短期間での判断が功を奏さない結果となり、時間を変えても真実を追求することの必要性を学んだ経験があります。

今回は山本周五郎氏の作品と私の経験から「真実を追求し行動することの大切さ」を紹介します。

地に足のついた、かつ、真実の上に立った議論

小説「新潮記」の舞台は、幕末動乱期の高松藩です。高松藩の尊皇派に属する主人公、早水秀之進は、ある任務を帯びて水戸藩へ旅立ちます。

早水秀之進は、高松藩内で行われる、倒幕に関する議論が浅く、その真の意味を問うことなく結論を急ぐ姿勢に、常々疑問を抱いていました。

ここで紹介する一節は、秀之進が旅の途中、水戸藩の武士に出会ったときの話です。

水戸藩士が数人で今後の倒幕のことに関し、真剣に議論をしているところに出会い、彼らが目的に向かい、地に足をつけて行動している真摯な姿にすがすがしさを感じました。

一方、浅い議論を繰り返すだけで、ただ「倒幕」を唱えるだけで行動しようとする自国の藩士たちに憤りを感じる秀之進でした。

“秀之進は砂上へ置いたふりわけ荷と笠を拾いながら、去ってゆく四人の姿を見送った。

さっき久木と加地との議論を聞いていたときにも、内容の当否はべつにして、その態度のしんけんさには心を惹かれた。

高松でも、左近頼該(藩主の兄)の周囲には、志士論客が集まって来て絶えず議論がたたかわされる。

けれども多くは抽象的な、論争のための論争になってしまう。

なにかというと「結論」を求めあい、条理だって真実をつきとめようとする努力がない。

「世界の情勢」とか「国家」とか、いたずらに大げさな言葉ばかりが飛び交うだけで、しかもそういう言葉を楽しんでいるとしか見えない浅薄なものが多い。

久木と加地のとの議論は、それらに比べるとはるかに直截だった。

言葉が飛躍するときでも足はちゃんと地についている。そういう感じがした。

しかも両方とも真実の上に立ち、ぶつかるべきものへぶつかっている。

そして、確かに時代の新しい潮流の一端に触れたという感じがして、なにかすがすがしい気持ちさえ覚えたのである”

出典:山本周五郎著 新潮記

真実の追求をおろそかにしたことでトラブルを誘発

私が、30歳代でダムの建設に従事し、ある構造物の工事を担当していたときの経験です。工事もほぼ終わり完成も間近という段階で、構造物の基礎の近くでトラブルが発生して

しまい、トラブル個所の修復をしなければならない状況に追い込まれました。

工事も大詰めということで工期が迫っており、何とか工期内に工事を終わらせたいという意向を強く持っていました。

このため、調査も限られた箇所に限定し、深く掘り下げて原因に関する議論をすることなく、これで大丈夫だろうということで、修復の方針を決め、工事を開始しました。

修復の工事が終わり、再度その構造物に荷重をかけると、前回と同じようなトラブルが発生し、他の工事にも影響を与える事態となりました。

徹底的な原因追及により修復工事を完成

前回トラブルが発生したときに、原因追及が十分でなかったことを反省し、時間をかけ、徹底的に原因を突き止めることにしました。

トラブルが発生する原因について、構造物のトラブル個所に潜む真実を洗い出しました。

構造物だけではなく、その基礎部まで範囲を広げ調査を実施し、これしかトラブルの真の原因はないというところまで追及し、その原因推定に沿って方策を決め、工事を進めました。

工事中も、突き詰めた原因を排除すべく丁寧な管理を行い、二度と同じトラブルを発生させることなく工事は完成しました。

何が真実化を追求し、真摯に現象と向き合うことで努力が結実

私が建設現場で経験したことは、工期が迫り、時間がないことから、不十分な原因分析で事を進めたもので、このことは、まさに、山本周五郎がその作品「新潮記」の中で、主人公に言わせた、地に足のつかない状況での判断をしてしまったものだと思っています。

私が経験した、二度目の原因追及では、表面的な事象にとらわれることはせず、起きた現象に対し真摯に取り組むことを、常に頭におき行動しました。

その結果、同様なトラブルを生じることはなく、無事構造物は完成しました。

このような失敗を基にした教訓は、その後の会社生活において何か判断しなければならないときには大いに役に立ちました。

会社経営において、大きな事業場の判断をする必要があるときでも、疑問があれば、徹底的に判断に必要な情報を集め、真実は何かを問うようにしました。

このような姿勢で事に当たることで、結果が出るまで判断したことに不安を感じることはまずありませんでした。

まとめ

浅薄な議論から生み出された方針が、その後に大きな欠陥を伴う状況を招くことや、時間の無いことを言い訳とした不十分な調査、分析が、その後トラブルを招くことがあることを自らの経験から紹介しました。

仕事において成果を出すためには、妥協を許さず、とことん真実を追求した上で判断し、それを基に謙虚に行動することが必要と思います。