ある商品を開発し、その商品をお客様に買ってもらうときに、何を目指して行動するべきでしょうか。
売上高を伸ばして事業を拡大することも一つの考え方だと思いますが、これでは、なかなかにお客様の心をとらえることはできないことが多いようです。
では、その商品を継続してお客様に買っていただくためには、何を考えるべきでしょうか。
顧客満足度という言葉がありますが、何を満足してもらうことで継続的な商売ができるのでしょうか。
高田氏は、その著書「あきない世傳 金と銀」の中で、呉服屋が反物を売るときに、継続してお客様に気に入ってもらううえでは、お客様の心をいかにつかむかが大切かを書いています。
私も、ある会社の社長になったときに、お客様のニーズを把握することが事業を続けるうえでのカギであることを勉強しました。
今回は、高田郁の作品と私の社長経験から「顧客の満足を獲得するには、ニーズを把握することから始めることが大切」について紹介します。
顧客の心をつかんで商売を継続する
「あきない世傳 金と銀 瀑布編」の舞台は、江戸時代、浅草寺のそばで反物を売る「五鈴屋」です。
五鈴屋では、新たな反物として、今まで世間では売り出されていなかった、小紋染めという商品を新たに開発し、売り出しました。小紋染めは、すぐに女性客の心をとらえ評判となり、売り上げも伸びていきました。
しかし、しばらくすると、日本橋にお店を構える大店が同じ小紋染めを売り出しました。
ここで紹介する一節は、規模の大きな店が小紋締めを売り出したことによる小紋染めの売り上げを心配する、妹の結をはじめとした奉公人の前で、五鈴屋の七代目主人である、主人公、幸が語る場面です。
日本橋という立地で、ふんだんに在庫を用意し、大々的に売り出されたなら一体どうなるのか——。
結は、顔を歪めて姉に取り縋る。
「姉さん、ほんまにこれでええのん?このまま行ったら、小紋染めをほかの店に乗っ取られてしまうのんと違う?」
佐助と賢輔の表情にも、不安が色濃く滲む。
これまで、店主としての考えを伝えてきたつもりではあったが、いざ小紋染めが他店で売られるとなると、心は千々に乱れるのだろう。
「そんなことにはなりません」
妹の腕を優しく解いて、幸は毅然と告げる。
「ほかの店と売り上げだけを競うような商いはしません」
日本橋の大店と、浅草田原町の小さな店。
仮に売り上げ高だけを競うなら、勝敗の行方は火を見るより明らかだ。しかし、五鈴屋が目指す商いは、「買(こ)うての幸い、売っての幸せ」。そのために出来ることは沢山ある。他店には真似の出来ない品揃え、帯との取り合わせや着こなしの提案、等々。
「他店を恐れるよりも、どうすればお客の心をつかんで放さずにいられるか、より深く考えることが大事です」
(高田 郁著 あきない世傳 金と銀 瀑布編)
どのような商売でも、お客様の心をつかむことは大切なことで、それを私は、社長を務めてきたときに経験しました。
お客様のニーズを徹底的に考える
五鈴屋を百年続くお店にしていきたいと考える幸は、新たに売り出した小紋染めの成功にとどまることがありませんでした。
今やっていることのほかに、何がお客を満足させることが出来るのか、常に考える幸でした。
呉服商は反物を売るのが仕事で、仕立物師を紹介することはあったとしても、それ以外、お客がその反物をどうするかは与り知らない。
ただ、五鈴屋本店(大阪)、高島店(大阪別店)とも屋敷売りとしてお客の信頼を集められたのは、お客の手持ちの着物と帯を全て把握して、さまざまな提言をしていたからに違いなかった。
今、江戸店でも、着物と帯の取り合わせなどの助言を怠らないようにしているが、同じ店前(みせさき)現銀売りで、そうした交流をする店をほかに聞かない。
鈴紋に蝙蝠模様など商う品を充実させる以外に、目に見えないものを添えて売ることが、この先、もっと必要になるのではなかろうか。
(高田 郁著 あきない世傳 金と銀 瀑布編)
ニーズ把握のため、顧客とともに歩むことを事業の基本に
ある会社の社長になる前、私は別な会社で工場長的な仕事をしていました。
製品を日々生産する中で、いろいろな技術的課題が発生していました。その中でも一番に大きな課題が、首都圏を襲う地震の発生が危惧される中での、設備の耐震性を評価することでした。
設備の耐震性評価をどのようなコンサルタントに頼んだらよいか、会社内で議論している中で、その仕事をお願いしたのが、後にそこの社長になることになったコンサルタント会社でした。
その会社に仕事を頼んだところ、考えていた以上の報告書が手に届きました。このように素晴らしい技術を持っていることに、その当時感心していました。
その会社は、土木、建築、電気ほかに関わる構造物の設計や設備の安全性評価をメインとする会社でした。
数年後に、その工場長を退任し、耐震性評価の仕事を依頼した会社の社長となりました。
私が社長となったときの会社の状況は、売り上げが下降気味であり、事業の維持、拡大に向け、何らかの手を打つ必要がありました。
前の会社で工場長を務めていたときに依頼した耐震性評価の技術力の高さから、その会社が持つ優れた技術をもとに、より広い市場に出ていけば、より多くのお客様を獲得できるのではと考えました。
そこで、今持っている技術をもっと広い世界で販売していくことを、社長である私の最初の経営方針と定め、手を打ち始めました。
それまで特定のお客様からの仕事が主要なものであったことから、社内では、広い市場に打って出るほどの営業能力はありませんでした。
また、今までと違った市場に出ていくことに戸惑いを覚える社員が多かったことも事実です。
このため、社員の心が一つになり、どういう方針で市場に出ていくか、ということを明確なメッセージで社員に伝えることにしました。
広く世の中のインフラ企業を対象に会社の技術を使ってもらうことを意識し、メッセージを打ち出しました。
「設備のゆりかごから墓場(調査、計画、設計、施工から保守)まで一貫したサービスで、顧客に寄り添い、共に歩むコンサル」を目指すことを明確にし、一歩を踏み出しました。
顧客に寄り添い、ニーズを把握し始めた社員
経営方針を掲げましたが、その意味を社員に浸透させるため、メッセージを繰り返して社員に伝えるとともに、社員との懇談会を繰り返し開催しました。
また、それまでと異なった顧客とのお付き合いから、顧客のニーズを大切にしないと、顧客に満足を感じてもらえないということも分かってきました。
これら、経営活動と実践から浮かび上がってきた課題に、その後は対処することになりま
した。
顧客の声を第一に考え、我々の持つ技術を総動員して、顧客に商品を届けることを徹底し
ていきました。
そのようなことを3年も続けることで、社員から「どのようにしたらあの会社のホームドクターになれるかな」といった、会話がなされるようになりました。
また、営業部員だけでなく、技術系の社員も、努めて顧客の声を聞き、何とかそのニーズに応えようとする姿勢が身についてきました。
高田氏の描く、“どうすればお客の心をつかみ、放さずにいられるか”“目に見えないものを添えて売ることが、この先、もっと必要になるのではなかろうか”が社員に浸透したことをうれしく思った経験でした。
まとめ
物を売る、仕事を受注するとき何を考えればよいのでしょうか。
自分が得意とするものをお客様に売りつけても、お客様は「良い商品ですね」と、言ってくれるものの、なかなかに買ってはもらえるものではありません。
やはり、お客様の声を聞き、さらに、その上に付加価値をつけてお届けすることが、そのお役様を引き留め、放さずにいられる秘訣なのではないでしょうか。






